【X民】たとえ御遺体と分かっていても、何ヶ月かかろうとも、救助って言葉を使い続ける日本人の魂よ。

以下,Xより

【なつきさんの投稿】

引用元 https://x.com/Xholic_natsu/status/1889631357992628406

みんなのコメント

  • 可能性を信じなきゃ災害現場で活動なんてできません
  • 最初に彼と話して瓦礫に当たって搬送された消防士と運転手の家族や友達のメンタル 運転手さん本人は車内ならもう安らかにお眠りくださいでしょうし、休業のお店は補償も受けられるでしょうけど、彼らは日々夢に見たりしてないか心配 そして、街の復旧目処
  • 交通事故でも明らかに…って場合でも、救急隊や医師の判断がないと確定できないって聞いたことあるような。 それにしてもみんな見つかって欲しいって思ってるし、八潮市の住民の方が見つかるまで節水するとか言ってて、ホント初動ミスが悔やまれる
  • 早く家族の元に返してあげたい。 精一杯働いた方の最期は安らかであって欲しい。 Youtubeで笑いながら配信してるとか意味わからない
  • 消防の方は要救助者と言いますよね 本当に頭が下がります 私もレスキューの方達に 救助していただいた経験がありますが 訓練され統制の取れた救助活動に 今でも只々感謝しています
  • いいえ、まだ分かりません。もしかしたら、最初に救助に入ったレスキュー隊が飲食物と毛布を渡して、穴の向こう側の下水道にうまくはまって脱出でき、八潮の皆さんの断水協力で土管を辿り、どこかで実は救出されているのではないかと思いたいです。コピアポ鉱山の落盤事故のような奇跡もありますから!
  • 運転手が見つかるまでは救助活動っていい続ける日本人は誇りです 一刻も早く見つかりますように
  • 今の所は生死不明ですからね。山での遭難も医師が確認するまでは要救助者です。 死亡確認後はヘリで吊り下げて運びますけど
  • (´;ω;`)
  • そう!それ! 配慮を忘れない そうゆう気持ち 嬉しくなりました
  • 亡くなったという確たる情報がないのがむしろ希望
  • 消防団員だった時に管内で橋から飛び降りた人がいました。(初期段階では停めてある車や欄干の痕跡から飛び降りたようだという情報) 警察は橋から飛び降りた事が確認できないので捜査できない。遺体の収容はする。 レスキューは遺体の捜索はしない、生きている前提の救助なら行うと教えられました
  • あの話で、個人的に今凄く気になってるのは 最初に彼と話して瓦礫に当たって搬送された消防士と運転手の家族や友達のメンタル 運転手さん本人は車内ならもう安らかにお眠りくださいでしょうし、休業のお店は補償も受けられるでしょうけど、彼らは日々夢に見たりしてないか心配 そして、街の復旧目処
  • そうですよね。 未だに東日本では行方不明者捜索ですし
  • んだんだ。 でも、医師が死を確認するまで「心肺停止状態」と報道するのはなんかモヤっとするんだよね。ワシが気づいたのは御嶽山噴火の火砕流で全身が火山灰で埋まってる状態の人が発見されてしばらくは「○名が心肺停止状態です」って報道してた

編集部Bの見解

日本の救助活動に込められた精神が、今回の陥没事故をめぐる言葉遣いにも表れている。「たとえ御遺体と分かっていても、何ヶ月かかろうとも、救助って言葉を使い続ける日本人の魂よ。」というX(旧ツイッター)のつぶやきが話題になっている。

現在、問題となっている陥没事故では、行方不明者の捜索が続いている。時間が経つにつれ、生存の可能性は限りなく低くなっているのかもしれない。それでも、関係者たちは「救助」という言葉を使い続けている。この姿勢に、多くの人が心を打たれているようだ。

「わたしはまだ信じてる。御本人を見つけるまで生きている希望は持つ!」
「素晴らしい、それを協力する人達に感謝です。」
「早く家族の元に返してあげたい。」

こうしたコメントが寄せられている。日本の災害や事故対応において、「救助」という言葉が持つ意味は大きい。たとえ生存の可能性が低くなったとしても、最後の瞬間まで「助ける」という意識を持ち続ける。それは、遺族にとっても、救助に携わる人々にとっても、大切なことなのだろう。

海外ではどうなのか、という意見もある。
「外国でも、生死を確認するまでは『救助』と言うのでは?」
「交通事故でも明らかに…って場合でも、救急隊や医師の判断がないと確定できないって聞いたことあるような。」

確かに、正式な死亡確認が行われるまでは「救助」という言葉を使うのは、ある程度共通しているかもしれない。しかし、日本では特にその精神が強調される傾向がある。たとえ何ヶ月かかっても、たとえ望みが薄くなったとしても、「救助活動」は続けられる。この姿勢こそが、日本の文化や価値観を象徴しているのではないか。

今回の事故では、八潮市の住民が「見つかるまで節水する」といった対応を取るなど、地域ぐるみで行方不明者を思いやる姿勢が見られた。こうした行動にも、日本特有の連帯感や助け合いの精神が表れている。

それだけに、初動対応の遅れを悔やむ声も少なくない。
「ホント初動ミスが悔やまれる。」

もしもっと早く対応できていたら、状況は違っていたのかもしれない。だが、今となっては後悔しても時間は戻らない。だからこそ、今できることを全力でやる。その思いが、「救助」という言葉を使い続ける姿勢につながっているのだろう。

事故や災害で亡くなった方々に対する日本人の価値観も、この「救助」という言葉に表れている。亡くなった方々に対しても、「最期は安らかであってほしい」と願う気持ちが込められているのだ。

「精一杯働いた方の最期は安らかであって欲しい。」

こうした言葉が寄せられるのも、日本ならではかもしれない。生死を問わず、最後まで「救助」という言葉を使う。その姿勢こそ、日本人の魂なのだろう。

執筆:編集部B

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