情報番組デスクは「妹の中山忍さんにコメントを求めたことが批判されましたが、現場は整然として、忍さんのコメントも無理やりではなく、きちんとルールを踏んでいます。」→反省なし

夕刊フジによると…

俳優で歌手の中山美穂さんの死から約1週間。10代からスポットライトを浴び続けた人生を伝える記事が連日、メディアを飾る。「一報に耳を疑いました。長いこと、芸能マスコミに籍を置いていますが、夏目雅子さんの死の衝撃に匹敵するものでした」と先のベテラン週刊誌記者。

情報番組デスクは「情報が何もないので、まず現場、つまり中山さんの自宅前に取材クルーを配置するしかない。自宅前に集まったメディアの様子や妹の中山忍さんにコメントを求めたことが批判されましたが、現場は整然として、忍さんのコメントも無理やりではなく、きちんとルールを踏んでいます。お通夜に関しては、メディアの取材は認められず、それに従いました」と明かす。

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以下X(旧Twitter)より

【Japannewsnaviさんの投稿

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編集部Aの見解

反省なし、としか言いようがないです。この情報番組の対応を知って、私自身、大きな違和感を覚えました。妹の中山忍さんにコメントを求めたことが批判されたにもかかわらず、「現場は整然としていて、ルールを守っている」という説明をする姿勢には、責任を感じていない様子が見て取れます。果たして、その「ルール」というものが視聴者に納得されるものだったのでしょうか。

家族のコメントを求めることについては、その扱い方が特に慎重であるべきだと考えます。家族の立場に立てば、大切な人を失った直後にコメントを求められることは、大きな精神的負担になるのではないでしょうか。それが、どれだけ「整然として」いたとしても、取材を受ける側にとっては全く別の問題です。現場が「整然」としているかどうかよりも、その行為が本当に必要だったのかが問われるべきだと思います。

また、今回のケースでは「無理やりではなく」と言いながらも、視聴者からの批判が集まっているという事実があります。このこと自体が、取材方法や報道内容に問題があったことを示しているのではないでしょうか。視聴者が不快に感じたという結果を重く受け止めるべきです。反省が見られない発言は、報道機関としての姿勢が問われるものです。

報道の自由は尊重されるべきですが、それが人々の感情や尊厳を無視して良いというわけではありません。今回のように、家族にコメントを求める行為が適切であったかどうかを振り返らず、「ルールを守った」という理由だけで正当化しようとする姿勢には、非常に強い違和感を覚えます。家族の心情に寄り添うことよりも、視聴率や話題性を優先しているように感じられました。

さらに、情報番組がこのような対応を取ることで、メディア全体に対する信頼も損なわれるのではないかと懸念します。視聴者がメディアに求めているのは、話題性を追いかけるだけではなく、丁寧で配慮のある報道です。今回の対応は、それとは大きくかけ離れているように感じました。

家族からのコメントが視聴者にとって必要かどうかも改めて考えるべきです。コメントが報道の核心に関わる重要な情報であればともかく、今回のように感情的な内容が求められる場合、果たしてそれを報道する意義があるのでしょうか。家族のプライバシーや精神的な負担を軽視してまで、情報を引き出す必要があったとは思えません。

メディアの報道は、自由であると同時に責任が伴います。その責任とは、取材対象者の尊厳を守ることであり、視聴者に不快感を与えないよう配慮することです。今回のような対応を正当化する発言は、その責任を軽視していると受け取られても仕方がないと思います。

今回の問題から見えてくるのは、視聴者や取材対象者の声に耳を傾ける姿勢が不足しているということです。批判の声が上がっているにもかかわらず、自らの行為を振り返らずに弁明を続ける態度は、メディアに対する信頼を大きく損なうことになるでしょう。

情報番組は、視聴者が信頼できる情報を提供する場であるべきです。しかし、今回の対応は、視聴者に対しても取材対象者に対しても、その信頼を裏切るものでした。このような問題が繰り返されることがないよう、今後の改善を強く望みます。

執筆:編集部A

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