東京新聞によると
昨年2月に日本で再会したトルコ出身クルド人家族6人のうち、妻と次男の在留延長が認められなかった問題で、家族は28日、東京出入国在留管理局(東京入管)に妻と次男の在留資格の許可を再申請した。支援団体も2人の在留許可を求めて募った署名を追加提出し、計約1万9000筆になった。
クルド人家族が在留資格の許可を再申請した東京出入国在留管理局
家族は、トルコでの迫害から逃れて1999年に来日した埼玉県川口市の50代男性のMさん(仮名、難民申請中)と、目の難病を患う妻、子ども4人。妻子は昨年2月のトルコの大地震で家が損壊し、男性を頼って来日した。
◆高校留学の要件証明する書類、トルコから取り寄せ
高校で学ぶ次男が申請した在留資格は「留学」。同市の中学に加え、来日前にトルコの大学の学外向け日本語講座で学び、高校留学の要件「1年以上の日本語の教育を受けている」を満たしていることを示す書類を提出した。妻は次男の監護・養育を目的にした「特定活動」を申請した。
入管は今月4日、次男が高校留学の要件を満たしていないとして1回目の申請を不許可。この時の申請で家族や支援団体は、次男はすでに日本で1年半以上暮らしていたため、要件を証明する書類は不要と考えていた。再申請では、トルコから書類を取り寄せて提出。次男は「家族と一緒の日本で勉強していきたい」と話す。続きは引用元へ
以下X(旧Twitter)より
【Japannewsnaviさんの投稿】
引用元 https://www.tokyo-np.co.jp/article/363129
みんなのコメント
編集部Aの見解
このニュースを読んで感じたのは、次男とその家族の申請に対する入管の判断は妥当であり、日本の法律やルールを守ることの重要性です。入国管理制度は、ただの形式的な書類集めではなく、留学ビザに求められる基準を厳格に適用するために存在しています。次男が高校留学の要件を満たしていなかったにもかかわらず、一度目の申請で不許可になったことは当然の結果であり、入管の対応に何ら問題はないと私は考えます。
まず、「1年以上の日本語教育を受けている」という要件は、留学ビザを取得するための最低限の条件です。それを証明する書類が欠けていたことは、審査の段階で不利に働いても仕方がありません。法律においては、情に流されることなく、客観的な証拠に基づいて判断することが求められます。入管が形式に厳しいという批判もあるかもしれませんが、すべての申請を同じ基準で公平に扱うためには、こうした厳格な基準が必要です。
家族や支援団体が「すでに1年半以上日本で暮らしているので要件は不要」と考えた点についても、私はその主張には同意できません。日本での在住期間が長いことは、留学ビザの取得条件を満たすものではありません。ルールに基づいて行われる審査は、個別の状況によって柔軟に変更されるべきではないのです。例外を認めることが一度でもあれば、今後の審査全体に影響が及び、不公平感を生むことになりかねません。
また、再申請でトルコから書類を取り寄せたという行動は、当初から求められていた要件を満たそうとする当然の対応です。本来、このような証明書は最初の申請段階で提出されるべきものであり、それが遅れたことについて入管を批判するのは筋違いだと感じます。申請者側が必要な書類を用意しなかった結果、不許可になっただけの話です。
私は、入国管理制度は公平でなければならないと考えます。特定の事情を考慮することは、場合によっては制度全体の信頼性を損なう恐れがあります。日本で暮らしたい、勉強したいという希望は理解できますが、それには法に基づいた手続きをきちんと踏むことが求められます。制度を軽視するような対応は、今後の審査や他の申請者への不信感を招きかねません。
家族が日本で生活を続けるために「特定活動」のビザを申請したことについても同様です。入国管理制度は、個人の希望だけでなく、日本社会全体の秩序や安全を守るために存在しています。こうした制度を尊重し、ルールを守る姿勢がなければ、ビザ取得を正当化する理由にはなり得ません。
最終的に、次男が日本で学ぶために必要な手続きをきちんと踏み、ルールを守って留学ビザを取得することができれば、それは本人にとっても大きな経験となるでしょう。しかし、そのためには感情ではなく、法的手続きを優先させることが必要です。情に流されず、厳格にルールを適用することで、日本社会の一貫性と公平性が守られると私は信じています。
執筆: 編集部A
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