以下,Xより
【ききさんの投稿】
一人暮らしの母。
— きき (@tjdgptwmjadgjt) February 16, 2025
セイキョー2部とってるのは知っていたが
今日行ったら3部になってた。 pic.twitter.com/Ttf0rljKCi
家は母が生前聖教新聞は5部、公明新聞は3部取らされていた。
— 龍石 (@WK7i3sKFYnJTCe8) February 16, 2025
当時沢山取った方が福運が付くからと言われていた。
こういうあきらかに重複契約を放置してる時点で胡散臭いと思わないんですかね〜#創価学会
— 死に戻りフレディ (@TlVIalz38666880) February 16, 2025
私は新聞販売店に電話をして止めました。
— プリンセス (@bigbearwsd1) February 16, 2025
組織の人間なんてお母様のことは何一つ思わず、利用しているだけです。年金受給者から搾取をして何とも思わない鬼の集団です。亡くなられても香典一万円だけですよ!(私の母がそうでした。誰一人お線香上げに来ません)今直ぐ止めてください
これぞノルマの自己負担❗️
— マダカさん (@Nhd6vEFNr4YoIV9) February 16, 2025
つつましく暮らす老女(ききさんのお母様メンゴ💦)から無駄な購読料をむしり取る
これのドコが宗教界の王者なんだろう🙃
やる事せこすぎる
ノルマなんてないって言ってたぺとかぴとか言う人、聞いてますかー
— 革命的警戒心🫡いまわか (@imaotoushi) February 16, 2025
出たー!
— ATSUSHI 自作PC (@crecauta1) February 17, 2025
うちも実家暮らしの時4部も聖教新聞取ってた笑
明らかに頭がおかしな行動の一つ笑
引用元 https://x.com/tjdgptwmjadgjt/status/1891064096973262940
みんなのコメント
- 断れずに契約を増やしてしまったのだろうか。高齢者は特に付き合いを大切にするから、こういう勧誘を断るのが難しいのかもしれない。
- 同じ新聞が3部届くってどう考えても無駄。1部で十分なはずなのに、余分な2部はどうしているのか気になる。
- これが「信仰の証」と言われて増やしてしまったのなら、もはや新聞というより献金と変わらないのではないか。
- 高齢者はこうした契約を見直す機会が少ないから、家族が気にかけてあげるのが大切だと思う。
- 新聞の購読料は決して安くない。毎月6000円、年間で7万円以上の出費は一人暮らしには大きな負担になるのでは。
- 宗教の自由はあるが、必要のない契約を続けてしまうのは問題だ。信仰と経済的負担のバランスを考えるべきだと思う。
- 契約を増やすのが「信仰心の表れ」とされるのなら、もうそれは純粋な新聞購読ではない。無理のない範囲で続けるべきでは。
- 新聞の内容は1部読めば十分なのに、3部取ることに意味があるのか?読まずに捨てているのなら、もったいないとしか言いようがない。
- 付き合いで契約してしまう人が多いが、こういうのはどこかで見直さないと、どんどん負担が増えていくだけだ。
- 勧誘を受けたとき、高齢者は「NO」と言いづらいことが多い。特に宗教が絡むと、断るのに心理的な抵抗があるのではないか。
- 新聞の購読料を見直すだけで、他に有意義なことにお金を使えるはず。生活を圧迫するような契約は見直すべきだ。
- 毎日届く3部の新聞をどのように処理しているのか気になる。必要がないなら、ゴミになっているだけではないか。
- 家族が定期的に契約内容をチェックしないと、こうした無駄な支出が増えていく。特に一人暮らしの高齢者は注意が必要だ。
- 新聞を取ることは自由だが、明らかに過剰な契約は考え直したほうがいい。信仰が理由でも、無理のない範囲で続けるべきでは。
- 付き合いを重視する世代だからこそ、こういう契約を断るのは難しいのかもしれない。でも、それが生活を圧迫するなら本末転倒だ。
- 新聞の契約を増やすことが本当に本人の意思なのか、周囲の影響なのかが気になる。もし後者なら、一度見直したほうがいい。
- 経済的に余裕があるならいいが、負担になっているのなら必要のない契約はやめるべき。お金は有効に使うべきだと思う。
- 同じ新聞を何部も取る意味がわからない。もし「断れなかった」だけなら、家族がサポートして見直してあげるべきだ。
- 高齢者がこういう契約を増やしてしまうのは、情に流されることが多いからかもしれない。でも、生活に負担がかかるのは問題だ。
- 新聞を取るのは自由だが、それが本当に必要なのか、負担になっていないか、家族と話し合うことが大事だと思う。
japannewsnavi編集部Aの見解
一人暮らしの母親が聖教新聞を2部取っていたが、今日行ったら3部になっていたというSNSの投稿が話題になっている。同じ新聞が毎日3部も届く状況に、驚きや疑問の声が多く寄せられている。
新聞を複数部取ること自体は珍しくないが、通常は家族や職場で共有するために必要な場合が多い。しかし、一人暮らしの家庭で全く同じ新聞を3部も取る理由は何なのか。内容は1部読めば十分なのに、なぜ購読数が増えているのか、多くの人が疑問を抱いている。
特に指摘されているのは、契約を増やすことが本人の意思によるものではなく、断りづらい状況にある可能性だ。宗教新聞の場合、信仰の一環として購読を勧められることがあり、「より多く取ることで貢献できる」と考える人もいる。また、周囲との付き合いの中で、「断ると関係が悪くなるのでは」と思い込んでしまい、不要な契約を続けてしまうケースもある。
金銭面の負担も無視できない。聖教新聞は1部あたり月約2000円とされているため、3部になると毎月6000円、年間で7万2000円の出費となる。一人暮らしの高齢者にとって、この負担は決して軽くはない。新聞を読むこと自体は有意義だが、3部取ることに本当に意味があるのかは疑問が残る。
さらに、環境負荷の面から考えても、必要以上の購読は見直すべきではないかという意見もある。毎日3部届いたとしても、実際に読むのは1部だけで、残りは処分される可能性が高い。不要な紙の消費が増え、資源の無駄遣いにもつながる。
SNS上では、「勧誘を断れなかったのではないか」「宗教新聞の購読を増やすことを求められているのでは」「付き合いで増えてしまった可能性が高い」など、様々な意見が寄せられている。特に高齢者は、営業や勧誘を断ることが苦手な人が多いため、契約を増やしてしまうケースがあることも指摘されている。そのため、家族が定期的に契約を確認し、負担になっていないかをチェックすることが重要だという声もある。
こうした状況では、「本当に必要なのか」を冷静に考えることが大切だ。もし本人が納得して契約しているなら問題はないが、誰かに勧められて仕方なく増やしてしまったのであれば、見直すべきではないか。特に一人暮らしの高齢者は、契約内容を深く考えずに継続していることも多いため、負担にならない範囲で調整することも大事だ。
宗教新聞に限らず、勧誘によって契約を増やしてしまうケースはよくあるが、それが本人の意志ではなく周囲からの圧力によるものであれば、経済的にも精神的にも負担がかかる。契約内容を確認し、本人が本当に必要としているのかを慎重に判断することが求められる。
この投稿は、同じような状況にある人々にも考えるきっかけを与え、特に高齢者の購読契約について家族が関心を持つ重要性を改めて示したと言えるだろう。
執筆:編集部A
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