伊藤詩織氏、望月衣塑子記者を名誉毀損で提訴/望月氏「誤りはない。誠に遺憾だ。」

沖縄タイムスによると

伊藤詩織さん、名誉毀損で東京新聞の望月衣塑子記者を提訴 映画を巡る記事は「事実と異なる」 望月記者「誤りはない」

 東京新聞の望月衣塑子記者が書いた事実と異なる記事で名誉を毀損(きそん)されたとして、ジャーナリストの伊藤詩織さんが10日、望月記者に330万円の損害賠償を求め東京地裁に提訴した。伊藤さんの代理人弁護士が13日、明らかにした。

 伊藤さんが自らの性被害を記録、調査した映画「ブラック・ボックス・ダイアリーズ」について、望月記者は1月14日、同紙サイトに記事を執筆した。記事は「女性記者たちが性被害などを語った非公開の集会の映像が、発言者の許諾がないまま使われていたことが分かった」と指摘。映画の中で集会参加者が「20代のころ、詩織さんと似た経験した」と語ったことを紹介した。

 伊藤さん側は訴状で、この参加者から映像使用の許諾を得ていたことを明らかにした。伊藤さん自らが性被害者なのに、他の性被害者の許可を得ずに映像を使用する利己的な人物であるかのように記事で受け止められ、社会的評価が「地に落ちた」と指摘した。

 東京新聞は2月7日、記事の見出しや本文を訂正。伊藤さんが映像使用の許諾を得ていたことを認め、「誤解を招く表現だったことをお詫(わ)びします」と謝罪している。

 望月記者は本紙の取材に対し、「記事に誤りはないが、可能な範囲で伊藤さん側の意向に沿った対応をした。私個人に訴訟の負担を負わせ、言論活動を抑える意図を感じざるを得ず、誠に遺憾だ」とコメントした。 (編集委員・阿部岳)

[全文は引用元へ…]

以下,Xより

【Yahoo!ニュースさんの投稿】

引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/b871a7652e851a8a6676c760977689ecd163903f

みんなのコメント

  • 女の戦い今はじまる! 興味深い!どちらが勝つか?面白いですね
  • 仲間割れで草
  • 引用RPに深刻な話を茶化したいアホが大勢いるが、ただでさえアンチフェミからバッシングを受けている伊藤氏が誤報を垂れ流されたらどうなるか、考えるまでもない事だろう。 提訴は妥当
  • 記事読んだらイソコちゃんが仲間のはずの伊藤さんを背中からズドンと撃った感じで しかもそれが誤報だったということでの提訴。 私は元々伊藤さんに同情的なスタンスなのとこの経緯とで伊藤さんを応援する٩( ‘ω’ )و
  • 仲間割れ?
  • 仲間じゃなかったのかw
  • タイトルで笑うのは素人。記事を読んでさらに奥深さを堪能し全身どっぷり疲れる
  • 内ゲバはじまったな お仲間同士で潰し合ってくれるならありがたいけど、どっちも自分が正しいと思ってるから話がややこしくなりそう
  • 東京新聞が謝罪してるのに、本人は「誤りはない」って言い張るのか だったら新聞社の判断が間違ってたってことになるけど、そういうこと?
  • こういうの見てると、結局「言論の自由」って都合のいい時だけ使われるんだな 自分が訴えられたら「圧力」って、それは違うだろ
  • そもそも訴えられるような記事書いたのが問題じゃね? 誤報ならちゃんと訂正すればいいし、事実なら裁判で証明すればいい それだけの話だろ
  • 仲間割れしてるのに「遺憾」って言われてもな 都合が悪くなったら「圧力」ってことにするのは見飽きたよ
  • この人たち、普段は「権力に立ち向かうジャーナリスト」とか言ってたけど、結局は内輪の争いが起きると被害者ムーブするんだな
  • 沖縄タイムスが報じてる時点で、なんかもうお察し案件な気がする どっちを擁護するのか見ものだな
  • 自分たちが他人を批判するのは「正義」だけど、いざ自分が訴えられると「言論弾圧」って、いつものパターンすぎる
  • 普通に考えて、東京新聞が記事を訂正して謝罪した時点で、間違いを認めたようなもんだろ それなのに「誤りはない」って矛盾しすぎ
  • これがもし逆の立場だったら、「訴えられる方が悪い」とか言ってたんだろうな 結局、立場が変わると主張もコロコロ変わるのが見え見え
  • 記者が訴えられると「言論の自由が脅かされる」とか言うけど、一般人が誤報で被害受けたらどうすんの? そういうときはダンマリなんだよな
  • この人たち、仲間内で持ち上げ合ってたのに、ちょっとしたことでバラバラになるのほんと面白い 結局、個々のエゴが強いだけ
  • 内ゲバってこうやって始まるんだな 主義が似てるからこそ対立も激しくなるんだろうけど、見てる分にはただのコント
  • メディア側はいつも「報道の自由が大事」とか言ってるけど、じゃあ間違えたら責任取るのも当然だろ 訴えられるのが嫌なら正確に書け
  • 伊藤詩織が裁判起こす側に回るとはな これまでずっと「被害者」の立場で報じられてたけど、結局は普通に争いごと起こすんだな
  • これ、裁判でどっちが勝っても面白い展開になりそう 左派界隈のパワーバランス崩れるんじゃね?
  • 結局、訴えられると「私は被害者です」って言うのな 言論の自由を盾にするなら、堂々と裁判で戦えばいいじゃん
  • 自分が書いた記事に責任を持たず、「訴えられたのは圧力だ」とか言い出すのは記者としてどうなの? それなら何を書いてもいいってことになる
  • 東京新聞がすぐ謝罪したのは、やっぱりやらかしたってことなんだろうな でも当の本人はそれを認めないっていうズレっぷりがすごい
  • 記者なら、訴えられたら「裁判で真実を明らかにする」って堂々としてればいいのに、「個人に訴訟の負担を負わせるのは問題」って泣き言言ってる時点でお察し案件だわ

編集部Bの見解

伊藤詩織氏が、東京新聞の望月衣塑子記者を名誉毀損で提訴した。このニュースは、いわゆる「フェミニズム界隈」の象徴的な存在とされてきた二人が法廷で争うということで、非常に興味深い展開だと感じる。これまでお互いに支え合っていたかのように見えた関係が、一転して法的な対立へと発展したのだから、驚いた人も多いのではないか。

そもそも今回の訴訟の発端となったのは、望月氏が執筆した記事の内容だ。伊藤氏のドキュメンタリー映画「ブラック・ボックス・ダイアリーズ」について、「女性記者たちが性被害について語った非公開の集会の映像が、許可なく使用されていた」という趣旨の記述があった。しかし、伊藤氏側はこれを否定し、映像使用の許可を得ていたと主張している。東京新聞も後に記事の内容を訂正し、「誤解を招く表現だった」と謝罪していることからも、伊藤氏の言い分が正しい可能性が高い。

しかし、ここで注目すべきは、望月氏の対応だ。東京新聞が記事を訂正し謝罪しているにもかかわらず、「記事に誤りはない」と強く主張し、さらに「訴訟は言論活動を抑えようとする意図を感じる」とまで言い切っている。これには違和感を覚えざるを得ない。名誉毀損で訴えられるということは、当然ながら書かれた側が「社会的評価を不当に傷つけられた」と感じたからこそであり、それを「言論弾圧」とするのは論点のすり替えではないか。

言論の自由は重要だが、それは事実に基づく報道が前提となるものだ。虚偽の内容や誤解を招く表現を用い、それによって誰かの名誉を毀損することが許されるわけではない。もし望月氏の主張が通るのであれば、「メディアが何を書いても責任を取らなくていい」ということになってしまう。それこそ、報道の信頼性を損なう行為ではないだろうか。

それにしても、この騒動はある意味で「内ゲバ」のようにも見える。伊藤氏も望月氏も、これまでメディアでの発信を通じてフェミニズムや人権問題について積極的に発言してきた人物だ。どちらも「権力と闘う」ことを標榜し、世論を動かす存在として影響力を持っていた。しかし、今回の件で明らかになったのは、「同じ理念を掲げる者同士でも、利害が対立すれば容赦なく争う」という現実だ。

特に興味深いのは、望月氏が「伊藤氏側の意向に沿った対応をした」と言っている点だ。これはつまり、記事の内容が間違っていたわけではないが、伊藤氏の要望を受けて訂正した、ということになる。しかし、それならば東京新聞が謝罪したこととの整合性はどうなるのか。新聞社が謝罪したということは、記事に問題があったと認めたからではないのか。この矛盾した言い分は、あまりにも強引な弁明に思える。

また、望月氏が「個人に訴訟の負担を負わせるのは問題だ」と主張しているのも疑問だ。もしそれが通るのであれば、記者は誰に対しても何を書いてもいいということになりかねない。言論には自由があるが、それと同時に責任も伴うのが当然だ。自分が書いた記事によって誰かの名誉が傷つけられたならば、訴えられるのは避けられないことであり、それを「抑圧」とするのは言いがかりに等しい。

さらに、このニュースを報じたのが沖縄タイムスであるという点も興味深い。沖縄タイムスといえば、左派的な論調が強いことで知られており、望月氏とも思想的に近い立場にあるメディアだ。それが今回、望月氏を擁護するというよりも、事実をそのまま伝える形で報じたというのは、ある種の距離感を感じさせる。

結局のところ、この問題は「誰が正しいのか」ということよりも、「言論の自由とは何か」「メディアの責任とは何か」を問う出来事として注目すべきだろう。メディアには強い影響力があり、記者の書く記事が世論を形成する力を持つ。しかし、それを免罪符にして、誤った情報や誤解を招く表現を用いてもいいわけではない。メディアが報じる内容は、常に事実に基づき、誤りがあれば適切に訂正する責任がある。

今回の訴訟は、望月氏が「報道の自由」と「名誉毀損の責任」のどちらを優先するのかという問題にもつながっている。もし本当に「記事に誤りはない」と確信しているのであれば、堂々と法廷でその正当性を証明すればいい。しかし、「個人への圧力」などと話をすり替えるのは、問題の本質を曖昧にしようとしているようにも見える。

今後の裁判の行方によっては、メディアの在り方や言論の自由の限界について、新たな議論が巻き起こるかもしれない。いずれにせよ、この騒動は「誰が正義か」を問うものではなく、「メディアの責任とは何か」を改めて考えさせる出来事となるだろう。

執筆:編集部B

最新記事

コメント

コメントする

CAPTCHA


カテゴリー

  • 主要
  • SNS
  • スポーツ
  • 動物
  • 国内
  • 政治
  • 海外
  • 特集
  • 経済
  • 芸能
別サイトの記事も見る
  • 主要
  • SNS
  • スポーツ
  • 動物
  • 国内
  • 政治
  • 海外
  • 特集
  • 経済
  • 芸能
別サイトの記事も見る