【悲報】SDGsという左翼的な権威を盲信する高学歴層は、紙ストローがビニール包装されていたり、コーヒーのプラスチック蓋には無関心。矛盾に気づかない救いようのないレベルのアホばかりの模様。

NewsSharingによると

【コメント】矛盾だらけのSDGs

・コンビニの、セルフコーヒーの付属品の棚に「ストロー軽減のため、直接飲める加工がある蓋をお使い下さい」と書いてました。プラスチックのwww

・SDGsを謳っている会社は左翼 一日でも早く潰れますように

・SDGsはおバカの印、小泉進次郎、お前のことだぞwww

・本末転倒だらけなんですよね だって本当の目的が違うんだもの

・エコバッグを持参しておいて商品は全てビニールに包んでた老害を思い出しました

・紙ストローにはPFASが含まれているというリサーチもある。なので私は使わない。というかストローが必要なドリンクを飲まない

・馬鹿だね 完全な利権屋だね。

・左翼に踊らされるデタラメな社会はもう終わりにしようよ

[全文は引用元へ…]

以下,Xより

NewsSharingさんの投稿】

引用元 https://newssharing.net/sdgssagi2

みんなのコメント

  • 紙ストローをビニールで包装していたら、本当に意味があるのか考えたことはないのか。
  • プラスチック削減を叫びながら、カップの蓋はそのまま。こんな矛盾を誰も指摘しないのか。
  • 環境を守ると言いながら、結果的に無駄なコストと負担を増やしているだけ。
  • 思考停止で「エコだから」と言えば、どんな政策も正しくなるとでも思っているのか。
  • SDGsを盲信する人ほど、具体的なデータを見ずに感情論で話すのが不思議だ。
  • 環境対策と称して導入された政策の多くが、ただの企業のビジネスになっている。
  • 海外の流行をそのまま真似して、現実を見ずに政策を決めるからこうなる。
  • プラスチック削減のためと言いながら、代替品の環境負荷は誰も気にしないのか。
  • 森林を伐採して紙ストローを作るのが本当に環境に優しいのか、冷静に考えるべきだ。
  • レジ袋有料化と同じで、結局負担を押し付けられるのは一般市民だけ。
  • 「環境に良い」と言われれば、それだけで何も疑問を持たない人が多すぎる。
  • 再生可能エネルギーの推進もそうだが、結果的に庶民の生活が苦しくなっている。
  • 環境問題を口実に新たな利権を作るのが目的ではないのか。
  • SDGsを推進する人たちは、実際にどれだけ自分で実践しているのか疑問だ。
  • エコを口実にした政策の多くが、実は企業の利益を守るためのものばかり。
  • 環境を本当に守るなら、もっと合理的で科学的な対策を考えるべきではないか。
  • 思考停止で「これが正しい」と信じ込む人ほど、新興宗教やグローバリズムに騙されやすい。
  • 高学歴だから正しいというわけではなく、むしろ根拠のない自信がある方が危険だろう。ていうか進次郎は全く高学歴じゃないし。
  • 結局、環境を盾にして負担を押し付ける政策ばかりで、庶民の暮らしは何も良くならない。
  • 本当に地球のことを考えるなら、まずは現実を見て矛盾のない政策を作るべきだ。

編集部Aの見解

SDGsという言葉が広く使われるようになり、環境に優しい社会を目指すという理念が一般的になった。しかし、その実態を冷静に見れば、矛盾だらけの取り組みが目立ち、本当に効果があるのか疑問を抱かざるを得ない。特に、プラスチック削減を目的に導入された紙ストローのような施策が、その象徴ではないだろうか。

最近、飲食店などで紙ストローを導入する動きが広がっている。しかし、その紙ストローがビニールに包まれていたり、そもそもプラスチックの蓋がついたカップと一緒に提供されるという光景をよく目にする。これでは、いったい何のためにプラスチック削減を進めているのか分からなくなる。矛盾に気づかず「環境のためだから」と思考停止して受け入れる人が多いことに、違和感を覚える。

紙ストローの導入は、プラスチックの使用を減らすことを目的としているはずだ。しかし、実際にはストローだけを紙に変えても、カップの蓋や包装材にプラスチックが使われているなら、削減効果は限定的なものとなる。それどころか、紙ストローは使いづらく、時間が経つとふやけてしまうため、利用者の満足度も低い。環境負荷を減らすという大義名分のもと、不便を押し付けられているように感じる。

さらに、紙ストローの製造過程においても、環境に優しいとは言い切れない。紙を大量に生産するには木材が必要になり、製造過程でのエネルギー消費や水の使用量も増える。プラスチック削減のために紙を使うという発想そのものが、本当に環境負荷を減らしているのか疑問だ。単なるイメージ戦略に過ぎないのではないか。

こうした矛盾は、SDGs全体に言えることかもしれない。例えば、再生可能エネルギーの推進も、現実的な問題を無視して進められている面がある。風力発電や太陽光発電は確かに環境に優しいイメージがあるが、その設備を作るためには大量の資源が必要であり、製造や廃棄の際には新たな環境負荷が生じる。EV(電気自動車)も同様に、バッテリー製造のためにレアメタルの採掘が必要となり、その過程で環境破壊が進んでいる。

こうした問題点に目を向けず、ただ「環境のため」と盲目的に信じる人が多いことに違和感を覚える。特に、高学歴層の中には、SDGsを批判的に検証することなく、そのまま受け入れる人も少なくない。環境問題への意識が高いのは良いことだが、それが実際に効果的な施策なのかどうかを冷静に判断することも重要だ。

SDGsという言葉は本来、持続可能な社会を目指すという理念を掲げている。しかし、その取り組みの多くは、実際の効果よりも「やっている感」を演出するためのものが多く、実質的な問題解決には至っていないことが多い。むしろ、新たな矛盾を生み出し、無意味な負担を国民に強いる形になっている。

例えば、プラスチック製品の削減を進める一方で、代替として紙や木材を使用すれば、それに伴う環境負荷が増えることは明らかだ。にもかかわらず、「環境のため」と言えば、どんな政策も正当化されてしまう風潮がある。冷静に考えれば、本当に効果があるのか疑問な施策が多いにもかかわらず、それに疑問を持つ人は少ない。

これは、単なる環境問題に限らない。SDGsの名の下に行われている政策の多くは、経済的な負担を国民に押し付けるものが少なくない。カーボンニュートラルの推進によって、企業のコストが増大し、それが最終的に消費者の負担となる。再生可能エネルギーの導入も、電気料金の上昇を招き、多くの家庭にとって負担となっている。

こうした問題に対して、「環境のためだから仕方がない」と言うのは簡単だ。しかし、本当に持続可能な社会を目指すのであれば、目先の対策だけでなく、長期的に見て効果があるのかを検証しなければならない。紙ストローのような表面的な対策ではなく、根本的な問題解決に向けた議論が必要だ。

SDGsは、確かに一部の分野では意味のある取り組みかもしれない。しかし、全てを盲目的に受け入れるのではなく、本当に社会や環境にとってプラスになるのかを冷静に見極めるべきだ。今のような「やっている感」だけの施策では、むしろ逆効果になる可能性もある。

環境問題を考えることは重要だが、思考停止して「これは正しい」と決めつけるのではなく、客観的にデータを見て判断することが求められる。紙ストローのような象徴的な事例を見ても、それが本当に意味のある施策なのかどうか、疑問を持つことが大切だ。

執筆:編集部A

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