LASISAによると
信号機のない横断歩道を渡ろうとしている人に、走行してきた乗用車が停車して道を譲る――。日常でしばしば目にする光景です。あなたが歩行者だった場合、渡り終わった後に車の運転手に対しおじぎなどをして謝意を表しますか? これをするかしないかをめぐってSNSで議論が巻き起こりました。「親切にしてくれた相手にはお礼を伝える」と主張する“おじぎ賛成派”に対して、“反対派”の言い分は――?
議論の発端となったのは2025年1月末、とある漫画家が自身のアカウントで日常を描いた1ページ作品を投稿したこと。自身が車を運転中に横断歩道で小学生の児童に道を譲ったところ、道を渡り終えたその児童がわざわざ「くるっ」と振り返り、帽子を取っておじぎをしたことに感心したというエピソードを紹介したことがきっかけです。
これには2月5日夜までに4万件超の“いいね”が寄せられ、「私も初めておじぎされたときは感動した!」「大人だけど会釈するよ」「自分の地元だけじゃないんだ。うれしい」など共感の声が相次ぎました。
一方、同じくらい「おじぎは必要ない」との声も上がっています。「信号機のない横断歩道は歩行者優先だから」「わざわざお礼? 意味ないと思います」、「こうするように教えている学校あるけど、余計なことを子どもに押し付けないでほしい」など、強固に“NO”を表明するユーザーも少なくありません。
反対派の主張をより詳細に見ていくと、「謝意を表すにしてもアイコンタクトや会釈するくらいで十分。渡った後にくるっと振り向かれたら『また戻ってくるの!?』って身構えてしまう」と、わざわざ振り向いて脱帽・おじぎ、という一連の動作を不要と感じている人のほか、「信号機のない横断歩道に歩行者がいる場合は、車にとっては赤信号が点灯しているのと同じ。赤信号で止まっている車におじぎする?」と、謝意自体を不要とする人、「この文化が定着すると『譲ってやったんだからお礼くらい言え』と勘違いするドライバーが出てくるのでは」と弊害を懸念する人など、さまざまなパターンがありました。
中には「こういうバカな風習、なんで無くならないのか」「愚劣なパワハラの結果でしかない」「子どもにこんな“マナー”を押し付けるな」と強い言葉で否定するユーザーも。これに対しては「当然のことだとしても人に何かをしてもらったら感謝する」「ありがとうという気持ちで会釈するのはコミュニケーションの一つ」「買い物したとき店員さんにお礼を言うのと同じでは?」と反論の声も見られます。
ちなみに、飲食店やコンビニなど店舗を利用した際に店員にお礼を伝える一方、横断歩道で停車した車にはおじぎをしないというユーザーは、「店員がいなければ買い物ができないので感謝を伝える。車は横断歩道にいなくても困らない。だからお礼する理由がない」と持論を展開しました。
賛否が入り乱れる形となったこの話題、あなたは「おじぎ」賛成ですか? 反対ですか?
[全文は引用元へ…]
以下,Xより
【ツイッター速報?BreakingNewsさんの投稿】
【SNS発】横断歩道を渡った子ども、車に「おじぎ」 ←賛成? 反対? 意見真っ二つ、あなたの考えは? https://t.co/htpNRvcAUY
— ツイッター速報〜BreakingNews (@tweetsoku1) February 6, 2025
自分も頭下げたり、手で合図したりするけど強要しなくていいんじゃないかなあ❓
— やさぐれ馬券🐎/CT125🏍️ (@lovekeibarace) February 6, 2025
深々とお辞儀するかな❓
マトモに育てば、ドライバーの気持ちも分かると思う
別にどっちでも良いが
— くま准将 (@Commodore_Kuma) February 6, 2025
おじぎされたら
嬉しいのは事実😏
左翼が反対しとるよね。「車が止まって当たり前!」「学校で強制されてる!」「日本の洗脳教育だ!」って左翼の人たち、「優しさ」とか「感謝」とかそういうのマジで無いよなあ。学校で教えないよこんなの。ただ「日本人の心のが美しい」だけ。
— デンスケ (@YAMAHA_YPJ) February 6, 2025
引用元 https://lasisa.net/post/89899
みんなのコメント
- 手で軽く会釈する感じ。 深々とおじぎはしないよね。 半歩譲り合う気持ち 大切です。
- している子見たら感心する。
編集部Bの見解
横断歩道を渡る子どもが、車の運転手におじぎをするかどうかをめぐって議論が巻き起こっているようだ。確かに、歩行者優先のルールを考えれば、車が止まるのは当然のことかもしれない。しかし、それを理由に「おじぎは不要」「感謝する必要はない」とまで言うのは、少し寂しい話ではないだろうか。
この話題のきっかけとなったのは、とある漫画家がSNSに投稿したエピソードだった。信号のない横断歩道で子どもに道を譲ったところ、その子が渡り終えた後、帽子を取って丁寧におじぎをしたというものだ。これに対し、多くの人が共感し「自分も同じ経験がある」「気持ちが温かくなる」といった声が寄せられた。しかし、その一方で「歩行者優先なのだから、おじぎは必要ない」といった反対意見も多く見られ、意見が大きく分かれたのだ。
おじぎを肯定する人の多くは、「親切にしてもらったらお礼を言うのは当然」という考えを持っている。確かに、誰かがドアを開けてくれたら「ありがとう」と言うのと同じように、道を譲ってもらったら軽く会釈するのは自然な行為だろう。むしろ、そういった感謝の気持ちを表すことが、日本人の美徳でもある。日本では昔から「お互い様」という意識が根付いており、相手を気遣うことが当たり前の文化になっている。そのため、たとえルール上は歩行者優先であっても、車を運転している人の気持ちを考え、おじぎや手を挙げるといった行動を取る人が多いのだろう。
一方で、反対派の意見にも一定の理屈はある。「横断歩道では歩行者が優先なのだから、お礼をする必要はない」「車は赤信号で止まるのと同じなのに、いちいち感謝するのはおかしい」といった主張は、法律の観点からすれば確かに正しい。しかし、この意見には少し違和感も覚える。確かに法律ではそうかもしれないが、実際にはすべての車が完璧にルールを守っているわけではない。特に日本では、信号のない横断歩道で止まる車の割合はまだまだ低いのが現状だ。そんな中で、ちゃんと止まってくれた運転手に対して、軽くお礼を伝えるのは決して悪いことではないはずだ。
さらに、反対派の中には「おじぎをすることで『歩行者は感謝すべき』という風潮が生まれ、運転手が横柄になるのでは」と懸念する声もある。確かに、その可能性はゼロではない。しかし、だからといって最初から感謝の気持ちを表すのをやめるべき、というのは極端な考え方ではないだろうか。むしろ、そうした小さな思いやりの積み重ねが、社会全体の雰囲気を良くすることにつながるのではないか。
また、今回の議論では「学校でおじぎを強制されている」といった批判的な意見も見られた。これに関しては、実際にどこまで強制されているのかは不明だが、仮に学校で「譲ってもらったらお礼をしよう」と教えているとすれば、それは悪いことではないように思う。もちろん、感謝の仕方は人それぞれなので、おじぎをするか、軽く会釈するか、手を挙げるかは個人の自由だろう。しかし、「親切にしてもらったらお礼をする」という考え自体は、日本人として大切にすべき価値観ではないだろうか。
SNSでは、特に左派の人々が「こんな風習はバカらしい」「日本の洗脳教育だ」と否定的な意見を発信しているが、それこそ偏った見方ではないかと思う。おじぎをすることが美徳だと感じる人もいれば、そう思わない人もいる。それは個人の自由だ。しかし、誰かが感謝の気持ちを表すことを否定するのは、単なる価値観の押し付けではないだろうか。
結局のところ、この議論は「おじぎを強制するべきかどうか」ではなく、「人としての思いやりをどう考えるか」という問題に行き着くのだと思う。もちろん、おじぎをするかしないかは個人の自由だし、絶対にやるべきだと言うつもりもない。しかし、感謝の気持ちを表すことを否定する風潮が広がるのは、少し寂しい気がする。日本の社会は、互いに思いやることで成り立ってきた部分が大きい。ルールがどうこうではなく、相手の気持ちを考える心が、これからも大切にされることを願いたい。
執筆:編集部B
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