引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/900ccbe0f0b5ef309f0aa0066ab64bf6929dfe82
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24日、千曲市で車を運転中、歩行者をはねる事故を起こした共産党県議団の高村京子県議が無免許運転だったことが分かりました。運転免許の有効期限切れだったということです。
共産党県委員会が午後会見するということです。
「もし日本が攻められたら、自分のことだけ考えて逃げていいんだよ」 東京で開かれたウクライナの戦禍を伝える写真展で、私のすぐそばにいた女性が、小中学生と思われる2人の子どもにこう語りかけた。
■ 他国に侵略されたら「抵抗せずに降伏する」が賢明な選択なのか? 私とその母子3人が見ていたのは、ロシアとの戦闘で重傷を負い、病院のベッドに横たわるウクライナ兵士の写真である。キャプションには〈「あなたにとって平和とは何か」と聞くと、負傷した腕をあげて「勝利!」と答えた〉とあった。 母親が子どもに「逃げろ」と言うのも理解できなくはないと思いつつ、写真に写る兵士の決然とした表情とのギャップが、違和感となって私の中に広がっていった。ウクライナの状況を多少なりとも知る私には、彼女の言葉が、かの地で戦い続ける市民と兵士を侮辱するかのように聞こえたのだ。 そのとき思い出したのは、一昨年2月のロシアによるウクライナ侵攻直後に放送された、ある民放ワイドショーでのコメンテーターの発言だった。ウクライナが勝つ見込みはなく、戦いが長引けばより多くの犠牲者が出る、だからウクライナは無駄な抵抗をせず早くロシアに降伏すべきだというのである。 彼は「命より大事なものはこの世にはない」と言って話を結んだ。SNS上では、少なくない人がこの発言に賛同していた。
この立場からは、侵略か祖国防衛かにかかわらず「正義の戦争」はないとされる。『通販生活』2023年冬号の表紙は、猫がウクライナ兵に対して戦うなとたしなめる絵柄だった。 プーチンの侵略に断じて屈しない ウクライナの人びと。 がんばれ、がんばれ、がんばれ。 守れ、守れ、守れ。 殺せ、殺せ、殺せ。 殺されろ、殺されろ、殺されろ。 人間のケンカは「守れ」が 「殺し合い」になってしまうのか。 ボクたちのケンカは せいぜい怪我くらいで停戦するけど。 見習ってください。 停戦してください。 これにウクライナ大使館が抗議し、発行元のカタログハウスが、ロシアのウクライナ侵攻を猫のケンカに例えたことについて、「不適切な言葉で表現した」と謝罪する“事件”になった。
■ 誰でも命を失いたくはない、だが… ウクライナ人も命を失うのは怖い。「兵役のがれ」が社会問題にもなっている。それでも国に踏みとどまってロシア軍に抵抗し戦いを挑むのはなぜか。軍に志願したある男性はこう言った。 「私が戦うのは家族と祖国のため、そして全ての子どもたち、さらには将来ウクライナに生まれてくる子どもたちのためです」 ウクライナ人が守ろうとする「命」には、すべての同胞、そしてまだ見ぬ先の次世代を含む無数の「命」がイメージされている。「祖国」という言葉に込められたその大きな「命」のために、場合によっては「私」の「命」を捧げてもよいと考えているのだ。
引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/900ccbe0f0b5ef309f0aa0066ab64bf6929dfe82
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