【訃報】小倉智昭さんが死去 77歳 フジ「とくダネ!」などキャスターとして活躍 長く闘病生活も力尽きる

スポニチアネックスによると…

 フジテレビ朝の情報番組「情報プレゼンター とくダネ!」などでキャスターを務めた小倉智昭(おぐら・ともあき)さんが9日、死去した。77歳。秋田市出身。死因などは明らかになっていない。歯切れのいい司会ぶりで活躍。2016年に膀胱(ぼうこう)がんを公表し、肺にも転移するなど長く闘病生活を続けてきたが、ついに力尽きた。

 小倉さんは11月23日に放送されたフジテレビ「小倉ベース」に出演。都内の自宅でEXILEのHIROらとトークを展開。元気な姿を見せていた。その後、不調を訴え、千葉県柏市内の病院に入院。この日、体調が急変し息を引き取ったという。

 晩年はがん闘病が続いた。16年5月に膀胱がんを公表。同月に内視鏡手術でがんを切除したが、全摘はしなかった。病状は進み、18年夏、生放送直前に膀胱から大量出血。同年秋に全摘手術を受けた。その後、21年秋に肺転移が見つかり、23年には腎盂(じんう)がんと診断され、左の腎臓の全摘手術を受けた。

 闘病経験を伝えることも続けた。膀胱の全摘手術後、当時一般に浸透していなかった人工膀胱の知識を実体験とともに発信。尿漏れパッドが欠かせなくなり、使い終わったパッドの取り扱いに困ったため「男性トイレにもサニタリーボックス(汚物入れ)の設置を」と訴え、大きな反響があった。

 幼少時に吃音(きつおん)に悩んだが悔しさをバネに努力し、1970年に東京12チャンネル(現テレビ東京)に入社。競馬実況などで活躍する姿が故大橋巨泉さんの目に留まり、スカウトされる形で76年にフリー転身。TBS「世界まるごとHOWマッチ」などに出演し「1秒間に18文字の原稿を読める男」として脚光を浴びた。

 99年からフジ「とくダネ!」の総合司会を担当。小倉さんは司会を引き受けるに当たって「冒頭にフリートークをやらせてほしい」と希望。スポーツや音楽、時事問題などについて持論を述べる時間が設けられた。朝の情報番組はニュースなどのVTRでスタートするのが常識だったが、オープニングトークは徐々に定着。時に辛辣(しんらつ)な意見を発し抗議を受けることもあったが“物言うキャスター”として活躍した。当初、横並びの世帯視聴率でライバル局の後塵(こうじん)を拝していた番組は2001年2月に初の平均視聴率月間1位を獲得。16年7月28日の放送で4452回目の出演を果たし「同一司会者による全国ネットのニュース情報番組」の放送回数最多記録を更新し、21年3月まで続いた。

 番組終了後、小倉さんは闘病生活を送りながら、ラジオや情報番組などに出演。時事問題やメディアの現状について意見を述べていた。「僕の世代に向けた番組がほとんどない。同世代が楽しめるような番組をやりたい」と話していたが、その夢はかなわなかった。

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↓X(旧Twitter)

【Yahoo!ニュースさんの投稿】

https://twitter.com/YahooNewsTopics/status/1866215993787531662

引用元:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/12/10/kiji/20241210s000413H4060000c.html

みんなのコメント

  • つらい
  • 好きずきあると思いますが、私はあの歯に衣着せぬ物言い結構好きでした 音楽にも造詣が深く、彼を通して色々な方を知ることができました。LIVE SDDでは総合司会を長く勤めていて、スタレビもお世話になっていましたね 心よりお悔やみ申し上げます
  • 『まる見え』AD時代に毎回たけしさんが小倉さんのパーソナルネタをするたびに事務所へ確認して了承してくださりスチール写真提供させてくれたり、お話させてもらっても楽しかった思い出しかありません(泣) おつかれさまでしたm(_ _)m
  • 小倉さん闘病してたのか またおなじみの芸能人が他界してしまったな お悔やみ申し上げます
  • 世界まるごとハウマッチでの軽快なナレーションが印象的だったなぁ…
  • 残念です
  • 和楽器バンドをたくさん応援してくれてありがとうございました
  • ラジオの師匠の訃報に 体中の力が抜けた 朝から 大泣きしている リスナー時代の私も ラジオパーソナリティー時代の私も 病気の私も ずっと ずっと 支えて下さった 感謝しかない…
  • ご冥福をお祈りします。 ガンには勝てなかったか…
  • 嘘でしょう。 なんか今年、芸能人や歌手や声優さんの訃報多すぎ。 そしてここにきて、小倉さんとは
  • 歯に衣着せない朝の顔、よりもタミヤRCカーグランプリの「小倉のお兄さん」の印象が強いです

編集部Bの見解

小倉智昭さんの訃報に触れ、心から驚きと悲しみを感じました。彼は長い間、病と闘いながらもキャスターとして活躍を続け、その姿勢に多くの人々が勇気づけられたことでしょう。ニュースを聞いた時、真っ先に思い浮かんだのは、彼の明確で歯切れの良い語り口でした。「とくダネ!」の司会者として、時に辛辣な意見を述べつつも、その率直さが多くの視聴者に愛されていたと思います。

小倉さんのキャリアは華やかでしたが、その裏には多くの努力と苦労があったはずです。幼少期の吃音に悩みながらも、努力で克服し、競馬実況で名を挙げたエピソードは有名です。その後、フリーアナウンサーとしても成功を収め、特に「とくダネ!」での存在感は際立っていました。ニュースキャスターとしての実績だけでなく、音楽やスポーツにも深い知識を持ち、時事問題についても鋭い切り口で語る彼の姿勢は、多くの人々に影響を与えたと思います。

特に印象的だったのは、彼が闘病中でも自分の経験を発信し続けたことです。膀胱がんや肺への転移、さらには腎臓の摘出手術など、多くの困難に直面しながらも、医療や健康に関する知識を広めることに努めていました。人工膀胱の使用に関する啓発活動や、男性トイレにサニタリーボックスを設置する重要性を訴えたことは、多くの共感を呼び、大きな反響を生みました。自らの苦しみを社会のために役立てるという姿勢には、深い尊敬の念を抱きます。

一方で、キャスターとしての姿勢にも賛否両論がありました。時に発言が物議を醸し、抗議を受けることもありましたが、それも彼のキャラクターの一部であり、率直な物言いが視聴者に愛される理由の一つだったと思います。批判を恐れずに発言し続けた彼の姿勢は、特にメディアの中で異彩を放っていたように感じます。あの独特な語り口や視点を楽しみにしていた視聴者も多かったことでしょう。

また、小倉さんが音楽に情熱を持ち、多くのアーティストを紹介してきたことも忘れてはなりません。彼を通じて新たな音楽やアーティストに出会った人も多いのではないでしょうか。音楽番組の司会を務めたり、ライブイベントに携わったりする中で、彼自身も音楽を楽しんでいる様子が伝わってきました。

晩年は闘病生活が続きましたが、それでもメディアに出演し、社会問題について語り続ける姿は、視聴者にとって大きな励みとなりました。自らの健康状態が厳しい中でも、情報発信を止めず、多くの人々に影響を与えたその姿勢に感謝の念を抱きます。

今回の訃報は非常に残念ですが、小倉さんが残した数々の功績は、多くの人々の心に刻まれることでしょう。彼がキャスターとして築いた新しいスタイルや、病気と向き合いながら社会に貢献し続けた姿勢は、多くの人々にとっての指針となるはずです。

最後に、小倉さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。長い間、多くの人々に希望と情報を届けてくださったことに感謝しつつ、どうか安らかにお休みください。

執筆:編集部B

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