自民党が「日本を壊すな。」という全面広告を掲載し、炎上

以下X(旧Twitter)より

【笹原 俊さんの投稿】自民党が「日本を壊すな。」という全面広告を掲載し、炎上しています。 自民党の言う日本とは、「日本の統治システム」のことです。 従来の統治システムが限界を迎え、現在崩壊中なので、それに対して、やめてくれと言っているわけです。 われわれが言っている日本は、「日本の市民社会」のことです。 一般の国民が日々の生活を営んでいる社会のことですね。 これは自民党の悪政によって、崩壊を続け、庶民の生活はもう限界を迎えているわけです。 1985年以前は、この2つの日本の利益はほぼ一致していて、 統治システムが発展すれば、市民社会が発展するという、winwin の関係でした。 しかし85年以降は、この2つが乖離してしまい、統治システムが市民社会から収奪するようになってしまいました。 国民はこの状況を、40年にわたり、指をくわえてみていましたが、ついに立ち上がったというわけです。 現在は、統治システムが生き残るか、市民社会が生き残るかの2択を迫られています。 国民が生活を続けていくためには、従来の統治システムを崩壊させなければならないのです。

引用元 https://x.com/shun_sasahara/status/1852913662048284882

みんなのコメント

  • 自民党が言う「日本を壊すな」というメッセージが何を意味しているのか、いまいち理解できない。彼らが守りたいのは国民の生活ではなく、自分たちの統治システムなのだろうか。
  • 国民の生活が苦しい中で、政治家が自分たちのシステムを守るために「日本を壊すな」と叫ぶのは違和感を覚える。庶民の声に耳を傾けてほしい。
  • 1985年以前のように、政治の発展が市民社会の発展に繋がっていた時代に戻れればいいのにと思う。今の状況はまさに国民からの収奪に近い。
  • 国民にとっての「日本」とは、家族や仲間とともに安心して暮らせる社会のこと。政治家が言う「日本」とはどうも意味が違うように思える。
  • 自民党の「日本を壊すな」の本音が統治システムの維持なら、国民が求めているものとは正反対。国民の生活を優先してほしいと願う。
  • 40年間、国民が指をくわえて見てきたのは、まさにこの状況だ。もう我慢の限界だと思う。
  • 統治システムの維持が国民の生活を圧迫しているのなら、むしろ壊して再構築する必要があると感じる。
  • 自民党が守りたいものが本当に国民の生活であるならば、まずは市民社会の現実をもっと見つめ直すべきだ。
  • 庶民の生活が限界を迎えている中で、「日本を壊すな」というメッセージが空虚に聞こえるのは私だけではないはず。
  • 政治が国民のためにあるべきだと信じたいが、どうも今の政治家は自分たちのシステムを守るために動いているようにしか見えない。
  • 国民が立ち上がるというのは、現状に強い不満がある証拠。政治家はその声をもっと真剣に受け止めてほしい。
  • 国民が求めている「日本を守る」というのは、日々の生活の安心や安定を守ること。それができないのなら、統治システムには未来がない。
  • 統治システムが市民社会から収奪しているという指摘は重く、これを無視してはならないと思う。
  • もし統治システムが崩壊しないと市民社会が守れないのだとしたら、やはり選択を迫られているのかもしれない。
  • 国民が安心して生活できる社会が崩壊することなく、政治がそのサポートに回ってくれることを願う。
  • 庶民の生活と乖離した統治システムがいつまでも続くとは思えない。国民の声を無視し続けることには限界がある。
  • 自民党が守りたい「日本」は一部の利益に偏っているように思う。国民全体の利益を考えた政治が必要だと感じる。
  • 統治システムが生き残るか市民社会が生き残るかという選択を国民に突きつけられる日が来るとは思わなかった。
  • 日本を真に守るというのは、国民が幸せに暮らせる社会を守ること。統治システムだけを守るのは本末転倒だ。
  • 自民党が本当に日本を守りたいのであれば、国民の生活を第一に考える政策をもっと積極的に行ってほしい。

編集部Cの見解

自民党が「日本を壊すな。」という全面広告を掲載したことで、多くの国民が疑問や怒りを感じているようです。私も、この広告を目にして「日本」という言葉に対する違和感を覚えました。自民党が守りたい「日本」とは何を指すのか、そして私たちが守りたい「日本」とは何なのかを考えさせられます。自民党の言う「日本」とは、どうやら「日本の統治システム」を意味しているようです。つまり、現在の政治体制やその支配構造が崩れるのを防ぎたいという意図が含まれていると解釈できます。

これに対して、私たちが守りたい「日本」とは、日々の生活を支える市民社会そのものです。一般の国民が安心して生活し、仕事をして、子育てをし、老後も安らかに過ごせる社会のことです。この「日本」が今、深刻な危機に瀕していると感じるのは私だけではないでしょう。かつては統治システムと市民社会の利益が一致していた時代もありましたが、今ではその関係は完全に崩れてしまっています。

特に1985年以前、日本の経済成長が著しく、市民社会も発展していた時代には、政治の発展が国民の生活向上に直接結びついていました。しかし、85年以降から状況は変わり、政治や経済の仕組みが一部の権力者や大企業の利益に偏り始め、市民社会から収奪する形に変化していったのです。統治システムの維持が優先される一方で、庶民の生活は厳しくなり、経済格差や社会問題が次々に深刻化しています。

国民はこの40年間、この変化を黙って見守ってきました。誰もが気づいていながら、変えられないと感じ、我慢を強いられてきたのでしょう。しかし、現在は我慢の限界に達し、国民が自ら立ち上がるようになってきたのです。私たちが望んでいるのは、安定した生活が続く市民社会の存続です。現行の統治システムがこのまま存続すれば、国民の生活基盤はますます弱体化し、市民社会は崩壊の一途をたどるでしょう。

一部の人たちは「自民党が守ろうとしているのは、日本の統治システムであって、国民の生活ではない」と指摘しています。まさにその通りだと感じます。国民の生活が豊かになるためには、統治システムが市民社会を支えるものでなければなりませんが、現在のシステムはそうなっていません。むしろ、統治システムを維持するために、国民の生活が犠牲にされているようにさえ感じます。

「日本を壊すな」という言葉を掲げるのは一見すると保守的なメッセージに思えるかもしれませんが、その実態は現行の権力構造を維持することが目的であるように感じます。日本の将来を真剣に考えるのであれば、むしろこの統治システムにメスを入れる必要があるのではないでしょうか。そうしなければ、真に「日本」を守ることにはならないと感じます。

現在、国民は「統治システムが生き残るか、市民社会が生き残るか」の二者択一を迫られている状況です。市民社会が存続するためには、今の統治システムを一度壊し、より多くの人の利益に配慮した新しいシステムを築く必要があるのではないでしょうか。これが国民が望んでいる「日本を守る」という意味であり、私たちが未来に向けて取り組むべき課題だと思います。

自民党が掲げる「日本を壊すな」という言葉が、表向きは国民に向けたメッセージのようでありながら、実際には自分たちの既得権益を守るためのものであるとするならば、国民はこのようなメッセージに疑問を感じるべきです。市民社会が崩壊しても、政治家や権力者が自分たちの利益を守り続けるだけの社会にしたくはありません。

私たちが求めているのは、日本の市民社会の発展と安定です。庶民が安心して生活できる社会の実現こそが「日本を守る」ことであり、これを犠牲にしてまで既得権益を守ることが本当に「日本を守る」ことになるのか、よく考える必要があります。現行の統治システムに頼らず、国民のために役立つ政治が求められています。

国民の手で、私たちの暮らしをよりよくするための改革を実現し、真に「日本を守る」ためには、現在のシステムにしがみつくのではなく、新たな社会のあり方を模索していくことが重要です。現行のシステムに頼る限り、真の意味での「日本の未来」は描けないのではないかと感じます。

自民党が掲げる「日本を壊すな」という言葉に、私たちはどのような未来を想像すべきなのか。私たちの生活を守るために、国民一人ひとりがこのメッセージに対して真剣に向き合う必要があります。

執筆:編集部C

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