以下X(旧Twitter)より
【NHKニュースさんの投稿】昨日投票が行われた最高裁判所裁判官の国民審査 開票の結果「×」が過半数に達した裁判官はおらず、全員が「信任」されました。 一方で6人中4人で「×」の割合が10%を超え、この20年で最も「×=罷免すべき」の票の割合が高い傾向となりました。 詳しくは特集サイトに
最高裁判所の裁判官の国民審査について情報が少なさすぎるよ。
— こーのとり (@gCR679d1iMvGYxp) October 28, 2024
NHKだけでも衆議院議員選挙と最高裁判所裁判官の国民審査の期間中ぐらいはバラエティー番組を中止してでもしつこいぐらいに最高裁判所裁判官が出した判例などをわかりやすい形で繰り返し放送して欲しいものだ。
最高裁判所裁判官の国民審査って、信任しない人に×を付けるのだから、「信任されました」ではなく「不信任されませんでした」が正しいと思う。×つけてないのって、信任したというよりも×を付けるほどの情報を知らない/興味がないというだけでしょ。
— amulet2409 (@amulet2409) October 28, 2024
わざわざ調べる人も少ないやろから、名前だけで判断するのでは無く、判例も参考に付けるべきだと思う。
— Kaz (@kazoo0125) October 28, 2024
これは全部○×で記入させるべき。なんで国会議員は名前や政党を書かせるのに裁判官は無記入が信任になるんだよ。無記入は無効票にしなよ
— ひよこ13号@優待民 (@piyopiy013) October 28, 2024
就任したばかりの裁判官の審査をやれ、とか形骸化した制度に問題がある。現行の✖️をつけるやり方を改め信任したい人に◯をする方式にして過半数以上で信任、なら全員不信任になりそうだし。
— 破軍の自営業者 (@EheVCDSJliKkdjR) October 28, 2024
引用元 https://x.com/nhk_news/status/1850914179940851855
みんなのコメント
- 全員信任とはいえ、「×」がこれだけ多いのは、国民の不満が高まっている証拠だろう。
- 裁判官に対する信頼が揺らいでいる現状を、司法はもっと真剣に受け止めるべきだ。
- 罷免されなかったとはいえ、ここまで「×」が増えたのは異例だと思う。
- 国民審査が形骸化しているという批判もある中で、少しずつ変化が見えてきたのかもしれない。
- 10%以上の「×」が出た裁判官がこれだけ多いのは、やはり何らかの問題を感じる。
- 信任されたからといって、裁判官がこのまま安泰だとは限らない。
- 司法の独立は重要だが、国民の信任を失えばその意味も薄れてしまう。
- 「×」の割合が増えた背景には、司法に対する不信感があるのではないか。
- 裁判官の判断が国民の意見と乖離していると、多くの人が感じているのだろう。
- 過去の判決や対応への疑問が、こうした結果に表れているのではないか。
- 国民審査がこれまで以上に注目されるようになってきたのは良い傾向だと思う。
- 全員信任されたとはいえ、この結果を司法が軽く受け止めてはいけない。
- 国民が裁判官の判断を厳しく見るようになったことは良い兆しだ。
- 「×」が増えたことで、裁判官も自分たちの判断を見直す機会にすべきだ。
- この結果を通じて、司法と国民の距離をどう縮めていくかが課題になるだろう。
- 信任されることに甘んじず、もっと国民に寄り添った司法が求められる。
- 裁判官も、国民の目が自分たちに向いていることを意識するべきだ。
- 今後の審査では、さらに厳しい結果が出る可能性も十分にある。
- 国民審査が少しずつでも機能し始めていると感じた。
- これを機に、司法が変わるきっかけになることを期待したい。
編集部Cの見解
最高裁判所裁判官の国民審査の結果が発表され、全員が信任されたという結果には少しばかりの驚きを感じました。過去の例と同様に、「×」が過半数に達する裁判官は今回もいなかったとはいえ、注目すべきは6人中4人で「×」の割合が10%を超えた点です。この数字は、この20年で最も高い割合となり、司法への信頼が揺らぎ始めているのではないかという印象を受けます。裁判官が全員信任されたことは一見すると安定した司法制度の証のように見えますが、その裏には国民の不安や不満が少しずつ積み上がっていることが透けて見えるようにも思えます。
国民審査が形骸化しているという指摘は以前からありました。この制度は国民が司法に対して直接意思を示す数少ない機会でありながら、罷免に必要な「×」の過半数が現実的に難しいため、結果として形式だけのものになっているという批判も根強いです。それでも、今回「×」の割合が10%を超えたという事実は、国民が裁判官の判断に対してより厳しい目を向け始めた兆しではないでしょうか。信任されたとはいえ、これを単なる一時的な現象として片付けてはいけません。
司法制度はその独立性が求められる反面、国民との信頼関係があって初めて成り立つものです。裁判官の判断は当然、法律に基づいて行われるべきですが、判決内容が一般の感覚から乖離していると感じることも少なくありません。そうした積み重ねが、今回の「×」の増加につながったのではないかと考えます。司法が国民からどう見られているかを示す一つのバロメーターとして、この結果を真剣に受け止める必要があるでしょう。
特に、今回の審査では裁判官6人のうち4人が10%を超える「×」を受けています。これは司法への漠然とした不信感が少なからず影響していると見て間違いないでしょう。司法は独立性を保つべきですが、国民の感覚とかけ離れたままではいけません。今回の結果は、これからの司法制度が目指すべき方向を考えるための一つの警鐘として受け止めるべきだと思います。
また、国民審査という制度自体があまり浸透していない現状も課題です。多くの有権者がこの制度の意義を理解しないまま投票しているのが現実です。そのため、審査の結果が大きな波紋を呼ぶことも少なく、結果として「信任」という形に収束しがちです。しかし、今回のように「×」が増えてくることで、国民審査の重要性が再認識され、将来的にはもっと活発な議論につながることを期待したいところです。
この審査結果が示しているのは、単なる不満の表れではなく、国民がより透明性のある司法を求めているというメッセージでもあります。国民からの厳しい目にさらされることで、司法が健全に機能し続けることを願っています。信任された裁判官たちは、この結果を自らの活動を振り返る機会にしてもらいたいです。自分たちの判断が本当に国民の期待に応えたものであったのか、今後もそうであり続けられるのかを冷静に見つめ直すことが求められるでしょう。
政治家が選挙で民意を問われるように、裁判官もまた国民審査を通じてその姿勢を評価されています。このような制度がある以上、国民の意思が反映される結果となることが重要です。審査が単なる儀式に終わらないためにも、司法と国民の関係をより深める努力が必要です。今回の結果は、そのための第一歩となるのかもしれません。
今後の国民審査がどう進化していくかは、私たち次第でもあります。裁判官の判断を見極め、適切な評価を下すことは、私たちの責任です。司法は私たちの生活に密接に関わるものであり、その健全な運営が求められます。今のままでは制度自体の改善も必要になるかもしれません。
国民の目が裁判官に向けられることは、司法の緊張感を保つためにも有益です。今回の結果を機に、裁判官自身が国民審査の意味を再認識し、より一層の責任感を持つことを望んでいます。そうすることで、司法への信頼が少しでも回復することを期待しています。
執筆:編集部C
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