真にお灸をすえるべき相手はマスゴミだろう。やりたい放題じゃねーか。

以下X(旧Twitter)より

【あおじそさんの投稿】真にお灸をすえるべき相手はマスゴミだろう。やりたい放題じゃねーか。 (´・ω・`)

引用元 https://x.com/chun_aojiso/status/1850508443351941356

みんなのコメント

  • メディアは自分たちの都合で情報を操作しているようにしか見えない。こんな状況で国民が信じられるものなんて無くなるのも当然だ。
  • 特定の政党ばかり攻撃して、都合の悪いことは報じない。その不公正な姿勢には嫌気が差す。国民の信頼を裏切る行為だ。
  • やり方が子供じみている。感情論で叩くことばかりで、まともな議論を提供する気がないように思える。
  • 報道の自由を盾にして好き勝手するのは、もう許されない時代だ。国民がもっと厳しい目を向けるべきだと思う。
  • 自分たちが絶対的に正しいと思っているような報道姿勢が不快だ。意見の違いを認めず、押し付けがましい。
  • 都合の悪い話を隠しておいて、バレたときはごまかす。これが信頼を得られるわけがない。
  • 特定の政党ばかり攻撃するが、自分たちのお気に入りには甘い。こんな報道が公平なわけがない。
  • 国民が何を考えているかよりも、自分たちの主張を押し通すことが目的になっているのが見え透いている。
  • マスコミが報じない情報を知ったとき、いかに自分たちが一部の偏った情報に踊らされていたかがわかる。
  • 反対意見を封じ込めようとする姿勢が、ますますメディア不信を招いている。国民はそこまで愚かじゃない。
  • 報道は客観的であるべきだが、今のメディアは完全に主観的だ。こうした状況を放置してはいけない。
  • 批判されるべきはマスコミそのものだ。自浄作用がないのに、他人だけを批判する姿勢には呆れる。
  • 偏向報道が続く限り、国民の政治に対する不信感は増すばかりだ。メディアはその責任を自覚すべきだ。
  • 選挙のたびに特定の候補を持ち上げたり、落とし込んだりする姿勢は、民主主義を歪めている。
  • メディアが批判するべき相手を自分で選んでいるのが問題だ。国民が本当に知るべきことは別にある。
  • 報道を見ても、どれが真実かわからないことが増えてきた。これが報道機関のあるべき姿なのか疑問だ。
  • 自分たちが叩かれると、急に防御的になるのが滑稽だ。人を批判するなら、自分も批判される覚悟を持つべきだ。
  • 本来なら、国民の信頼を得るために存在するはずのメディアが、その信頼を壊しているのは皮肉だ。
  • 都合のいいときだけ「報道の自由」を振りかざす姿勢にはうんざりする。自由には責任が伴うはずだ。
  • 国民はもっと多くの情報源に触れるべきだ。メディアの言うことをそのまま信じていては、何も変わらない。

編集部Cの見解

真にお灸をすえるべき相手はマスコミだと思います。今のメディアは、やりたい放題に報道を操り、公正さや公平さとはほど遠い状態に見えます。政治家や特定の政党に対して偏った情報を流し、都合の悪い話は隠すか、無視する。そのやり方は卑劣で、子供じみていて、正直に言えば反吐が出るようなものです。こうした姿勢が続く限り、国民の政治や社会に対する信頼はいつまで経っても回復しないでしょう。

報道の自由があるのは理解しますし、それ自体は民主主義にとって重要なものです。しかし、自由には必ず責任が伴うはずです。メディアが好き勝手に報道し、その結果として国民が誤った情報に踊らされることがあれば、それは報道の責任放棄に他なりません。実際、マスコミの報じ方ひとつで、国民の意識は簡単に操作されてしまいます。特に選挙期間中など、メディアの報道が有権者の判断に大きく影響を与える場面では、その偏りが一層問題視されるべきです。

日本のマスメディアは、特定の政治勢力を持ち上げたり、逆に批判することで世論をコントロールしようとしているように見えることが多いです。その最たる例が、与党の不祥事ばかりを大きく取り上げ、野党の問題にはほとんど触れない報道の姿勢です。どの政党にも問題はあるはずなのに、一方だけを悪者に仕立て上げる報道姿勢は、もはや公正さの欠片も感じられません。これが「報道の自由」の名のもとに許されているのだとしたら、それはあまりにも傲慢ではないでしょうか。

本来、メディアは国民に正確な情報を提供し、判断の材料を与える役割を担っています。ところが、今のマスコミはその役割を放棄し、自分たちの都合で報道内容を決めているように見えます。こうした状況では、国民は何を信じればいいのか分からなくなり、結果として政治や社会全体への不信感が募るばかりです。報道の力を悪用し、世論を誘導するような行為は、民主主義の根幹を揺るがしかねません。

さらに、マスコミのやり方が子供じみていると感じるのは、批判の内容が時に感情的で、一貫性がないからです。あるときは過剰に攻撃的な報道をし、別のときには手のひらを返したように褒めちぎる。その裏に何があるのか、利害関係や思惑を勘ぐってしまいます。こうした態度が続けば、国民の信頼は失われるのも当然です。報道機関には、もう少し自らの責任を自覚してほしいと感じます。

また、メディアは自分たちへの批判に対しては非常に敏感です。他者に対しては辛辣な批判を繰り返す一方で、自分たちが批判されると急に防御的になります。この二重基準は見ていて不快です。報道機関も社会の一員であり、国民からの厳しい目にさらされるべきです。批判に対して誠実に向き合う姿勢がなければ、信用を回復することは難しいでしょう。

国民も、マスコミの報道を鵜呑みにするのではなく、自ら情報を精査し、正しい判断をすることが求められます。ネットの普及により、さまざまな情報源にアクセスできる時代になりましたが、それゆえに情報の取捨選択が重要になります。メディアの報道だけに頼るのではなく、自分の目で事実を確認し、判断することが必要です。

日本保守党のような新しい勢力が台頭することで、既存のメディアや政治の在り方にも変化がもたらされるかもしれません。河村たかし氏のような率直な発言をする政治家が増えれば、メディアのあり方も変わらざるを得ないでしょう。国民が政治に対する関心を取り戻し、自分たちの意志で政治を変えていくためには、こうした動きが不可欠だと思います。

最終的に、報道が本来の役割を取り戻し、国民の信頼を回復することが重要です。それには、まずメディア自身が自分たちの問題点を認め、改善に取り組む姿勢を見せる必要があります。そうでなければ、どれだけ正論を述べても、国民からの信頼は戻りません。公正さと公平さを持った報道が実現されることを、心から望んでいます。

執筆:編集部C

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