高市議員、長文でマスゴミ批判

以下X(旧Twitter)より

【高市早苗さんの投稿】今回の衆院選の私の遊説について、地上波の民放2局で不正確な報道をして私を叩いていた旨を、仄聞しました。 例えば、私が関西を中心に30箇所を回ったとか、殆ど落選させてしまったという旨の誤報道。 私が街頭演説や決起大会演説などに伺ったのは、46箇所です。 遊説地域は、ブロック別では、北海道、東北、北関東、南関東、東京、北陸信越、東海、近畿、九州でした。 特に北海道、北関東、九州回り(2日間かかりました)は移動時間が長くなりましたので、遊説のご要請を頂いたうちの約3分の1を回ったところで時間的には限界でしたが、伺えない選挙区については、個人演説会場で流して頂く応援動画を送信するなど、計62箇所に対応致しました。 遠方での街頭演説で疲れ切って夜遅く東京の事務所に戻ってから動画を収録したり、飛行機の待ち時間に収録したりして、深夜に秘書が編集して各選挙事務所に送信。 私も秘書達も、体力の限界まで頑張りました。 もともと情勢調査で大激戦になっていたり、対立候補がリードしている選挙区を選んで回るわけですから、私が演説をしたくらいで楽に当選できるはずもありません。 残念な結果だった選挙区も多々ありましたが、選挙区当選や比例復活当選ができた選挙区も、それなりの数はありました。 3年前の衆院選時の私は、政調会長でしたから、自分の選挙区に約3時間入った他は、残り11日半は、党務として全国各地の遊説に励みました。 今回の衆院選時の私は、役職も無い自民党の1人のヒラ政治家であり、奈良2区の1候補者です。 自分の選挙区に2回に分けて合計7時間45分間だけは滞在させて頂きましたが、それでも12日間の選挙期間のうち丸11日は他選挙区で過ごしたわけです。 茨城県、埼玉県、神奈川県、東京都、大阪府、京都府、兵庫県、奈良県の隣接選挙区などは自分の車で回りましたが、党本部からガソリン代や高速道路の通行料金が支給されるわけでもなく、長距離を遅刻しないように運転してくれた私の秘書も大変な疲労だったと思います。 遊説先の選定も、総裁選では他陣営に居られた方も含め、少しでも党の議席増になればと考えながら、党本部職員から選挙情勢を伺いつつ、遊説ルートを組み立てました。 次の総裁選目当てだろうなどという下品な報道は、流石に悔しいですね。 3年前の全国遊説先でも、今年の総裁選を応援して下さった議員は、ごく数名です。 選挙応援は、純粋に党勢拡大を期するもので、3年も後の総裁選などとは無関係です。 選挙後も、特に党役員から慰労の御言葉を頂いたわけでもなく、ヒラ政治家が勝手にボランティア遊説をしていただけの事です。 少なくとも心身ともに限界まで頑張った挙句に、不正確な憶測報道をされ、コメンテーターに叩かれるのでは虚しい限りです。 今後は、党勢拡大など地方遊説は党役員をしておられる方々の仕事と割り切り、ヒラの1議員として政策活動に励みます。

引用元 https://x.com/takaichi_sanae/status/1851772050320589009

みんなのコメント

  • メディアが特定の政治家を狙い撃ちする姿勢には疑問を感じる。公平であるべき報道が偏っていては信頼も失われる。
  • 高市議員の指摘通り、メディアが事実を歪めて報道することで、世論を操作しようとしているように思えてならない。
  • 政治家の発言を一部分だけ取り上げて印象を悪くする報道が多すぎる。視聴者が誤解しないような公正な報道が求められる。
  • メディアが持つ強い影響力は、正確な情報を伝えるために使われるべき。偏向報道が続けば信頼性も低下してしまう。
  • 報道が偏っていると国民が正しい判断をすることができなくなる。公平な報道を心がけるべきだと感じる。
  • 政治家の発言を自分たちの都合の良いように編集して報道するのは問題だ。高市議員の指摘には納得できる部分が多い。
  • メディアが自らのイデオロギーを押し付けているように感じる。中立であるべき報道が偏向していては意味がない。
  • 高市議員が批判するように、メディアが特定の価値観を押し付けるのは良くない。もっと多様な意見を反映すべきだ。
  • 一部のメディアは特定の立場に立ち過ぎて、政治的な中立性を失っているように感じる。報道の自由は大切だが、バランスも必要だ。
  • 政治家の発言を断片的に切り取って偏向報道することで、真実が伝わらなくなっている。報道の責任を果たしてほしい。
  • メディアが公正中立な報道をしていないと感じることが多い。高市議員が指摘する通り、報道の在り方を考え直すべきだ。
  • 報道が公正でなければ、国民が正しい情報を得られない。メディアの責任をもっと自覚してほしい。
  • 政治家に対する批判が行き過ぎていると感じる。メディアは冷静で客観的な報道を心がけるべきだ。
  • 高市議員が指摘しているように、メディアの偏向報道には問題がある。視聴者が誤解しないような報道が望ましい。
  • 報道は事実をそのまま伝えるべきなのに、意図的に印象操作しているような内容が多く見られるのは残念だ。
  • メディアが特定の政治家を狙い撃ちする姿勢には疑問を感じる。公平であるべき報道が偏っていては信頼も失われる。
  • 高市議員の指摘は的を射ていると思う。報道が偏りすぎていると、国民が正確な情報を得ることができなくなる。
  • メディアの報道姿勢に対して、高市議員が強く批判しているのは当然のことだと思う。もっと中立性が求められる。
  • 偏向報道が続くと、国民が正しい判断をするのが難しくなる。公正な報道が民主主義の基本であるはずだ。
  • 報道が偏っていると感じることが多くなってきた。高市議員の指摘を機に、メディアが反省するきっかけになることを望む。

編集部Cの見解

高市早苗議員がメディアに対して鋭い批判を展開していることについて、私も多くのことを考えさせられました。彼女の主張は、メディアが事実を歪め、世論を特定の方向に誘導しようとしているという指摘です。このような批判が出てくる背景には、確かにメディアが報道において不透明な姿勢をとっていることがあると感じます。報道の使命は公正であることが当然であるはずですが、偏向報道やフェイクニュースが繰り返される中で、メディアのあり方が問われる時代に突入しているのではないでしょうか。

高市議員の批判の一端にあるのは、メディアが政治家の発言を部分的に切り取り、都合の良い方向に解釈する姿勢です。私も、彼女の指摘に賛同する部分が多いです。発言の前後の文脈が削られると、まったく異なる印象が与えられる場合があるため、報道の信頼性が揺らぐ原因になります。特に政治家の発言は多くの国民に影響を与えるものですから、メディアが誠実に事実を伝える姿勢が求められます。しかし、現実には、センセーショナルな報道に偏りがちで、冷静な報道が少ないように思います。

メディアが真実を報道することは、民主主義の健全な運営に不可欠です。偏向報道によって国民が正確な情報を得られなくなると、政治に対する信頼が損なわれる恐れがあります。高市議員が指摘するように、メディアが自らの利害や特定のイデオロギーに基づいて報道内容を操作することがあるとすれば、それは民主主義に対する脅威です。報道が偏っていれば、国民が政治家や政策を正当に評価することが難しくなり、健全な社会の形成が難しくなってしまいます。

また、メディアの批判的な報道の対象になるのは、特定の政治家や政策に偏っていることが多いと感じます。高市議員のような保守的な立場をとる政治家に対しては、報道が特に厳しいという印象があります。メディアの自由は重要ですが、報道する内容が一部の立場に偏っているようでは、メディアの信頼性も低下してしまいます。異なる意見や価値観を尊重することが、報道においても求められるべきでしょう。

高市議員が批判している「マスゴミ」という言葉は、メディアがごく一部の情報だけを強調し、あたかもそれがすべてであるかのように報じる姿勢を象徴しています。彼女が言う通り、多くのメディアが情報の選択や編集によって特定の印象を作り出すことで、視聴者や読者を誘導しているように感じることがあります。報道がそういった手法を取ることで、真実が歪められることへの不安は拭えません。メディアには、公正中立な視点を持って情報を伝える責任があるはずです。

さらに、最近ではネットやSNSが普及したことにより、一般市民が直接情報を発信できるようになっています。そのため、メディアが報道する内容と、実際に目撃した市民の意見や情報との間に齟齬が生じるケースが増えているように思います。このような状況が続けば、メディアに対する信頼はますます失われていくでしょう。メディアが公正さを欠いたままでは、国民は自らの判断で情報を取捨選択しなければならなくなります。

私たち国民も、ただメディアの情報を鵜呑みにするのではなく、批判的に情報を受け止め、自ら調査し判断することが求められる時代になっていると感じます。高市議員のように、メディアのあり方に疑問を投げかける人々がいることで、私たちも「報道された内容が本当に事実なのか」を考える機会が与えられるのです。そうした姿勢は民主主義社会において非常に重要です。報道機関が国民の信頼を失わないためには、公正な報道を維持し、偏向を避ける努力が求められます。

さらに、高市議員が批判しているメディアの「責任逃れ」にも注目するべきです。誤報が発覚しても、謝罪や訂正がわずかであったり、一般の目につきにくい場所で行われたりすることが多く、誠意を感じられません。メディアの使命は真実を追求し、伝えることですが、その姿勢に対する疑問が残る現状では、報道の在り方が改められるべきです。謝罪や訂正がなされても、それが影響力のある大きな報道に比べて小規模に扱われることで、国民のメディアに対する不信感が根強くなってしまいます。

このようなメディアの在り方に不満を抱く人は少なくないでしょう。高市議員が指摘するように、メディアの責任や義務が不透明なままでは、政治家とメディアの信頼関係が築かれることは難しいでしょう。日本のメディアが、国民に対して公正な報道を提供し、政治家の発言を正確に伝えることで、政治と国民の距離を縮める努力が求められているのです。

高市議員のメディア批判は、日本における報道の在り方を再評価するきっかけとなるでしょう。メディアには、自らの影響力を過信せず、公平であることを心がけるべきです。国民が正確な情報を得ることができる社会を築くためには、メディアの信頼性が何より重要です。高市議員の発言が、メディアが公正中立であることの意義を再認識させてくれるものだと感じます。

執筆: 編集部C

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