テレビ局の偉い人。他人の不幸や不祥事は、毎日ばんばん報道してご飯食べてるのに、自分たちがその当事者になった途端に、テレビ中継も質問も許さないの、考え方が特権階級すぎてすごい

以下X(旧Twitter)より

ひきこうもりさんの投稿】

引用元 https://x.com/hikikomori_/status/1880212225895612433?s=51&t=y6FRh0RxEu0xkYqbQQsRrQ

みんなのコメント

  • メディアは他人の不祥事を大々的に取り上げるのに、自分たちが問題を起こしたときは説明責任を果たさないのは本当に理解できない。
  • 普段は「国民の知る権利」を叫んでいるのに、自社の問題には口を閉ざすのはダブルスタンダードすぎる。
  • 報道機関としての自覚があるなら、きちんと記者会見を開いて、視聴者に説明するべきだ。
  • 不祥事を起こした企業や政治家には厳しく追及するのに、自分たちには甘い。この態度には不信感しかない。
  • 自分たちが報じられる立場になったときに隠ぺいするなら、普段の報道も信用できない。
  • テレビ局の経営陣は、報道の自由と責任が表裏一体であることをもっと理解すべきだ。
  • 視聴者の信頼を失えば、どれだけ立派な番組を作っても意味がない。
  • 公の場でしっかりと説明責任を果たすことが、メディアとして最低限の義務だと思う。
  • メディアは公共の電波を使っている以上、国民に対して透明性を持つべきだ。
  • 特権意識を持ち続けたままでは、メディアの信頼はどんどん失われていくだろう。
  • 普段は「責任を取れ」と報道する側なのに、自分たちは無責任な態度を取るのはおかしい。
  • 誠実に対応しない限り、視聴者の信頼は二度と戻ってこない。
  • 都合のいいときだけ視聴者を味方につけ、都合が悪くなると逃げるのは姑息すぎる。
  • 一方的に情報を垂れ流すだけでは、もはや視聴者にとって価値のあるメディアではない。
  • 記者会見で肝心な質問に答えないのは、視聴者をバカにしているとしか思えない。
  • 不祥事をきっかけに、メディアの体質を根本から見直すべきだ。
  • 内部の不祥事こそオープンにして、報道機関としての信用を守るべきだった。
  • メディアが自浄作用を持たなければ、どんなにいい番組を作っても信用されない。
  • 「報道の自由」ばかりを主張しても、視聴者の信頼を得るには「報道の責任」を果たさなければならない。
  • 今回の対応は、視聴者の知る権利を無視している。これでは報道機関としての資格がない。

編集部Aの見解

テレビ局の報道姿勢について、最近の対応には強い疑問と不信感を抱かざるを得ません。普段は他人の不祥事や失敗を大々的に報じ、連日ワイドショーやニュース番組で繰り返し取り上げているのに、自分たちが当事者となった瞬間、その姿勢は一変します。記者会見を開いたとしても、肝心な質問には「お答えできません」「ご回答は控えさせていただきます」と曖昧な回答を繰り返し、テレビ中継も行わない。これが果たして、視聴者から信頼されるメディアの姿なのでしょうか。

報道機関としての役割は、公正で透明性のある情報提供です。特にテレビ局は、公共の電波を利用して情報を発信している以上、説明責任を果たす義務があります。しかし、彼らはその責任を果たさず、自分たちの都合の悪い情報は隠し、問題を曖昧にして終わらせようとする態度を取っています。このような対応は、まさに「特権階級」の振る舞いそのものです。

本来、メディアが報じるべきは事実と真実であり、視聴者が知るべき情報を公平に伝えることです。しかし、最近のテレビ局の姿勢は、自己保身と利益追求に偏っているように思えます。視聴者の信頼を裏切るこのような態度が続けば、いずれは視聴率の低下やスポンサー離れなど、自らの首を絞める結果になるのではないでしょうか。

記者会見での対応もお粗末なものでした。限られた記者だけを集め、質問に対してもほとんどが「お答えできません」という返答。これでは会見の意味がありません。普段、政治家や企業の不祥事には「説明責任」を声高に要求しておきながら、自分たちはその責任から逃れる。このダブルスタンダードは、多くの視聴者が感じ取っているはずです。

さらに、会見の模様をテレビ中継しないというのも理解できません。普段は芸能人や政治家の会見は生中継するのに、自社の問題となれば沈黙。視聴者にとっては、自社の問題に対する説明こそが最も重要な情報のはずです。それを意図的に隠すのは、視聴者を軽視しているとしか思えません。

メディアの信頼は一朝一夕で築かれるものではありません。特にテレビ局のような大規模なメディアは、日々の報道姿勢や対応が積み重なって評価されます。そのため、自社の不祥事に対しても真摯に向き合い、透明性のある説明をすることが、視聴者の信頼を守るために不可欠です。今のような対応を続ける限り、視聴者は離れていくでしょう。

メディアには「報道の自由」がありますが、それと同時に「報道の責任」もあります。自分たちの利益や評判を優先して説明責任を放棄するのは、公共の電波を使用する報道機関としてあるまじき姿です。報道の自由を盾に、自分たちに都合の悪いことを隠蔽するような姿勢は、視聴者に対して誠実とは言えません。

こうした状況において、テレビ局が今後取るべき対応は明確です。まず、自社の問題について詳細な説明を行い、視聴者が納得できる形で情報を公開すること。そして、記者会見の場では全ての質問に対して真摯に答え、透明性を確保することです。また、報道機関としての責任を果たすために、内部のガバナンスや倫理基準を見直し、再発防止策を徹底する必要があります。

さらに、報道の在り方についても考え直すべきです。他人の不祥事ばかりを取り上げて視聴率を稼ぐのではなく、社会にとって本当に必要な情報や、視聴者が知るべき事実を正確に伝えることが、メディア本来の役割です。視聴者は、単なるスキャンダルやゴシップではなく、社会に役立つ真実の情報を求めています。

視聴者はメディアの対応を厳しく見ています。このまま自社の不祥事に対する説明責任を果たさないのであれば、視聴者の信頼は完全に失われてしまうでしょう。これまで築き上げてきたブランドや信用が、一瞬にして崩れ去る可能性もあります。それを防ぐためには、メディアとしての誠実な対応が求められています。

結局のところ、テレビ局が視聴者から信頼されるかどうかは、自分たちの行動次第です。都合の良いときだけ視聴者に寄り添い、都合が悪くなれば沈黙するような姿勢では、信頼は得られません。視聴者の信頼を取り戻すためにも、誠実で透明性のある対応を取るべきです。それがメディアのあるべき姿であり、社会の信頼に応える唯一の方法だと私は考えます。

執筆:編集部A

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