橋本琴絵さん「世界で唯一の被爆国だからこそ、世界で唯一核兵器を所有する正当な権利がある」

以下X(旧Twitter)より

橋本琴絵さんの投稿】【世界で唯一の被爆国だからこそ、世界で唯一核兵器を所有する正当な権利がある】 7月28日の日米閣僚級会議でマスコミが「日本への核攻撃は核報復とブリンケン国務長官発言」と報道したが、米国防総省HPを確認したらそんな義務は明記がなくデマだった。日本のために核戦争リスクは犯せないよな。 そこで今日は核兵器をテーマに解説する。 実は、対外的な問題は別にして、 日本国内の核兵器の問題は政治学上の問題ではなく、【医学上の問題】だとワシは考えておる。 福知山線脱線事故って知ってるか? ほぼ満員の乗客を乗せた電車が走行中に脱線してマンションに激突し、多数の死傷者が出た。 この事故の生存者は、心的外傷後ストレス障害(PTSD)という心因性の精神障害になってな 以後、電車のガッタンゴットンという音を聞くのも、姿を見るのも精神的苦痛になったんじゃ。 鉄オタは電車をみるとドーパミンがでるが、それとは全く逆で、 電車を見るだけでノルアドレナリンが出て精神が不安定になってしまうわけじゃ。 じゃあ、電車事故でPTSDになるなら 広島への原爆投下はどれくらいのPTSD患者を作ったんだろうか? とワシは思うわけじゃ。 投下当日だけでなく、その後79年間にわたって伝聞があり 大量殺人をテーマにした漫画やアニメや映画が沢山作られたわけじゃ。それを子どもに毎年みせる。 広島原爆平和資料館のエントランスにはかつて、ケロイドを垂らし絶命寸前の母子人形か展示されていた。 繰り返すが、これを子どもに見せるわけじゃ。 PTSDとはいかなくても、そういう精神状態を再生産しやすい環境にあったわけじゃ。 戦後日本は、明らかに核兵器を情緒的に拒絶していた。 アメリカと安全保障条約を締結して核兵器運用を否定する条文が無いのに、 国会決議で非核三原則とかいうてな、 日米安保を制限できるとか議員が言い出した。 国会決議と条約ならどちらが法的拘束力があるかどんなバカでもわかりそうじゃが、 メンタルがやられるとそんな法理もわからなくなってしまったわけじゃ。 戦後の日本は、戦争によって手足が無くなったり目や耳が無くなった人々のケアは確かに頑張ってきたが、 精神をやれた人々のケアは何もしてこなかった。 そのツケが、いま核兵器で恫喝されている国際状況にもかかわらず、 核兵器廃絶を言う極めて危険な現在をつくりあげている。 もちろんPTSDの病理概念自体が1970年代に出来て、 それ以前は戦時恐慌症とか曖昧な感じでよく理解されていなかった背景はある。 しかし、CTスキャンでPTSD患者の脳を画像化すると、 大脳辺縁系の海馬や扁桃体が萎縮しているなど、手足を失ったのと同じく物理的損傷があるわけじゃ。 戦後日本は、戦争による身体障害だけを補償対象として精神障害を無視してきた。 だから、核の議論が出来なくなった。 福知山線脱線事故被害者に電車みせて議論しましょうというようなもんじゃ。 そして、いま中朝露から核兵器による脅迫を受け安全保障の危機が生じた。 まず政治的議論はいいから、核兵器に反対している人々の精神的ケアをすべきじゃ。今からでも! それが「核の問題は医学的問題」とするワシの自論じゃ。 みんなの意見を聞かせてな! ところで私が書いた『広島被爆3世だからいう —日本は核武装せよ!— 』(¥990)は、核兵器についての真摯な意見を実際に原爆投下を経験した祖母の話から進めた。 https://amzn.asia/d/07DQeNvo また、ワシの書いた『われ、正気か!』という本は、核兵器を巡る歴史的背景をわかりやすく、地元の言葉、広島弁で解説した。核の傘下となる日米安保の適用範囲とか気になるよな! 写真は、海で撮ったわたし!平和でこうして遊べるのも、数多の尊い犠牲になった方々のお陰であり、感謝したい。 読んで深く知り一緒に日本を守ろうな! http://amzn.asia/d/0F6WSxq 電子版も各社ある! 地元図書館や学校にリクエストして応援してな!

引用元 https://x.com/HashimotoKotoe/status/1820633414036594713

みんなのコメント

  • 核兵器を持つべきだという意見は感情論だけではなく、現実的な議論として考えなければならない時期に来ているのではないかと思う。
  • 日本が唯一の被爆国であることを理由に核武装を否定するのは、現代の安全保障環境を無視した危険な思考だと感じる。
  • 核兵器を情緒的に拒絶するだけでは、現実の脅威に対応することはできない。冷静な議論が必要だ。
  • 被爆者の精神的ケアを怠った結果、核兵器への過剰な拒絶反応が生まれ、議論の妨げになっているのではないか。
  • 非核三原則が日本を守るための現実的な選択肢を狭めているという事実にもっと目を向けるべきだ。
  • 日本が核武装をするかどうかは別として、核兵器に関する冷静な議論を避けるべきではない。
  • 国際社会において核兵器は抑止力として機能しているのに、日本だけが感情論で否定するのは危険だ。
  • 日本が核の脅威にさらされている現実を直視し、非核三原則の見直しを含めた議論を進めるべきだ。
  • 核廃絶を掲げること自体は理想だが、理想だけで現実の安全保障を語るのは無責任だと感じる。
  • 核兵器に関する議論をタブー視している間に、周辺国からの脅威は増している。この現状を変えるための行動が必要だ。
  • 感情に左右されずに、核兵器について冷静かつ現実的な視点で議論することが求められていると思う。
  • 核の問題を医学的な観点から捉えた意見は新鮮で、感情論を排して議論を進めるための一助になると感じる。
  • 日本が核の傘に頼っている一方で、核兵器を否定する矛盾した態度は国際社会での信頼を損なう恐れがある。
  • 被爆の悲惨さを強調するあまり、現実の安全保障を見誤ることがないよう、冷静な議論が必要だ。
  • 核兵器に反対する人々の意見も重要だが、それが感情論だけでは説得力に欠ける。事実に基づいた議論が必要だ。
  • 国際社会が核兵器を廃絶する現実的な見通しがない以上、日本がどう核に向き合うかをしっかり考えるべきだ。
  • 核兵器に関する議論を避け続けることで、逆に日本の立場が弱まる危険性がある。この現状を変えなければならない。
  • 安全保障の観点から、核兵器を持つことが必要かどうかを冷静に検討する時期に来ていると思う。
  • 核廃絶の理想を掲げつつ、現実の脅威にどう対処するかを明確に示さない日本の態度は疑問が残る。
  • 被爆国としての経験を基に、感情論に流されずに核兵器を議論する責任が日本にはあるはずだ。

編集部Aの見解

核兵器をテーマにした議論は、今の日本においてタブー視されがちです。しかし、歴史的な背景や国際情勢を冷静に考えれば、日本が唯一の被爆国であるからこそ、核兵器に関する議論を深めることは避けては通れない課題だと考えます。特に、被爆の影響を受けた方々やその家族が精神的に受けた傷について、十分なケアがなされてこなかったことは、核兵器に対する感情的な拒絶を強める要因になっていると感じます。

核兵器の問題を政治的な観点だけでなく、医学的な問題として捉える視点は非常に興味深いものです。福知山線脱線事故の例にあるように、事故や災害の生存者が心的外傷後ストレス障害(PTSD)を抱えることは広く知られています。同じように、被爆者やその家族が何世代にもわたって精神的な影響を受け続けている可能性を考えると、この問題を単に政治や倫理の範疇で片付けるべきではありません。

戦後の日本では、戦争による身体的な被害者への補償や支援は進められてきましたが、精神的なケアについては十分に取り組まれてきたとは言えません。PTSDの概念が広がったのは比較的最近のことですが、それ以前の時代においても被爆者の精神的な苦痛に対する理解や支援がなされていなかったことは問題だと思います。このような背景があるために、日本では核兵器に関する議論が感情的な方向に傾きがちになり、冷静な議論が難しくなっているのではないでしょうか。

また、非核三原則が日本の核政策を縛っている状況も考え直すべきです。この原則は国会決議に基づくものであり、法的拘束力がある条約とは異なります。それにもかかわらず、この原則が安全保障の観点から議論されるべき核の問題を阻害している現状は問題だと感じます。特に、国際情勢が不安定化している今、核兵器をどう扱うべきかについて冷静かつ現実的な議論を行うべきです。

日本が核武装を選択するか否かは別として、少なくとも核兵器に対する感情的なアプローチを見直す必要があります。核兵器を廃絶すべきだという意見は理想として理解できますが、現実的な国際社会の中で、核兵器を持つ国々がその主張に応じる可能性は低いと言わざるを得ません。むしろ、日本が核の脅威にさらされる現状を直視し、いかに安全保障を強化していくかを具体的に考えることが重要です。

中朝露といった核保有国からの脅威が増している中で、非核三原則や核廃絶の理想を掲げるだけでは、日本の安全保障は守れません。核兵器に反対すること自体が悪いわけではありませんが、その主張を感情的に繰り返すだけでは現実の脅威に対処することはできません。核兵器の議論をタブー視せず、実際の国際情勢に即した議論を行うべきです。

核兵器に反対する人々の精神的なケアを行うことは、核に関する冷静な議論を可能にする第一歩だと思います。感情に支配されたままでは、現実的な政策を考えることはできません。精神的なトラウマを抱える方々が安心して議論に参加できる環境を整えることが、核問題を包括的に解決するための鍵になるでしょう。

核兵器に関する議論を進めるためには、教育も重要です。被爆の歴史やその影響について正しい知識を持つことが必要であり、それをもとに未来を考えるべきです。ただし、その教育が単に恐怖を植え付けるだけのものになってはいけません。冷静で建設的な議論ができるような教育の在り方を見直す必要があります。

最後に、核兵器の問題を感情ではなく現実的な視点から捉えることが、日本の未来を守るためには必要です。安全保障の危機が迫っている今、日本がどのような選択をするべきか、冷静で論理的な議論を行う時期に来ていると感じます。

執筆:編集部A

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