【TBS】 『ヒジはりコンス立ちの方が美しい♡』←これがマナーとか片腹痛いwww(この番組は2021年に終了済み)

以下X(旧Twitter)より

【つぎくに よりいちさんの投稿】『ヒジはりコンス立ちの方が美しい』これがマナーとか片腹痛い。KポップまみれのTBSはやはりコンス推しなのね~。(この番組は2021年に終了済み)

引用元 https://x.com/tsukinokokyuu/status/1858295955701047468

みんなのコメント

  • 最近よく耳にする「コンス立ち」が本当に必要なのか疑問に思います。形式ばかり重視されていて、その理由や背景が全く説明されていないのは違和感があります。
  • マナーとは、相手に対する気遣いや思いやりが基本にあるものだと思います。ただ美しさを強調するだけの姿勢がマナーだと言われるのは納得できません。
  • 伝統的な日本の礼儀作法とは全く異なる「コンス立ち」を突然推奨されても、正直なところ違和感しか感じません。それをマナーと言われても賛同できません。
  • 「美しい」という主張は個人の主観にすぎないのではないでしょうか。それを押し付ける形で「マナー」とされるのはおかしいと感じます。
  • メディアが特定の文化や形式を取り上げる背景には、商業的な意図があるように思えます。本当に必要なマナーかどうかは考えるべきではないでしょうか。
  • 形式を強調するだけの「マナー」は、かえって相手に違和感や不快感を与える場合もあります。思いやりが欠けたマナーは本質を失っています。
  • 「コンス立ち」が流行として取り入れられているのかもしれませんが、それをマナーとして押し付けるのは問題です。人それぞれの価値観を尊重するべきだと思います。
  • 日本の伝統的な礼儀作法は、長い歴史の中で培われた合理性や美しさがあります。それと比較して、「コンス立ち」のような新しい形式には根拠が感じられません。
  • 美しさを追求するのは個人の自由ですが、それを全員に押し付けるような主張は不必要だと感じます。本当のマナーとは何かを考えるべきです。
  • 特定の文化や形式を「正しい」として広めることで、新しい圧力が生まれることを懸念します。形式だけのマナーは相手にとって負担になる場合もあります。
  • なぜ「ヒジはりコンス立ち」が美しいとされるのか、その説明がほとんど見当たりません。ただ流行を取り入れるだけでは本当のマナーとは言えないでしょう。
  • マナーとは、相手に安心感や心地よさを与えるものであるべきです。一方的に美しいと決めつけられる「コンス立ち」には違和感しかありません。
  • メディアが「これがマナーだ」と一方的に発信することには疑問を感じます。視聴者にとってそれが本当に必要かどうかは別の問題だと思います。
  • 形だけのマナーを押し付けることは、かえって自由な自己表現を妨げる結果になるのではないでしょうか。もっと柔軟な考え方が必要だと感じます。
  • 一部の流行や文化を過剰に推奨することで、かえって反発を招くこともあります。マナーは一方的に決められるものではありません。
  • 形式的な美しさよりも、相手への敬意や配慮が本質的なマナーだと思います。「コンス立ち」のような一部の形式を押し付けるのは賛同できません。
  • 日本のマナー文化には長い伝統がありますが、それと「コンス立ち」を混同させるような風潮は危険だと感じます。混乱を招くだけではないでしょうか。
  • なぜ特定の姿勢が「美しい」とされるのか、その根拠が説明されていない限り、それをマナーと呼ぶのは不適切です。本質を考えるべきです。
  • マナーとは形だけのものではなく、背景にある精神性が重要です。「コンス立ち」がそれを満たしているとは到底思えません。
  • 本当に必要なマナーであれば、全員が納得できる説明があるはずです。それができない以上、「コンス立ち」を無理に推奨する必要はないと思います。

編集部Cの見解

「ヒジはりコンス立ちの方が美しい」といった主張が「マナー」として広められる現状に、私は強い違和感を覚えます。このような姿勢や行動が、なぜ「美しい」とされるのか、さらには「マナー」として必要とされるのか、具体的な説明が不足しているように感じられます。そもそも、マナーとは単に形だけを整えるものではなく、相手への敬意や思いやりが根底にあるべきです。もしその背景や意義を説明できないのであれば、それは単なる「形式」であって、真の意味でのマナーとは言えないのではないでしょうか。

一方で、この「コンス立ち」が特定の文化や流行の影響を受けていることも否定できません。特に近年のメディアでは、特定のスタイルや流行を過剰に取り上げる傾向があり、その結果として「これが正しい」といった新しい価値観が押し付けられることがあります。しかし、それが本当に全員にとって意味のあるものなのかは、よく考える必要があると感じます。

特に、「コンス立ち」はKポップの影響が指摘されることも多いですが、これが「美しい」という価値観がどのように生まれたのか、背景を知る人はどれだけいるでしょうか。このような一部の流行や価値観を、日本の伝統的なマナーと混同させるのは危険ではないかと思います。日本のマナー文化には長い歴史があり、その多くは礼儀作法としての合理性や精神的な意味を持っています。それに対して、「コンス立ち」のような流行の産物をマナーとして扱うのは、表面的な価値観の押し付けに過ぎないと感じます。

また、TBSなどのメディアがこうした「コンス」を取り上げる背景には、特定の文化を推奨する意図があるのではないかという疑問も湧いてきます。一部の視聴者にとっては、それが新しい価値観として受け入れられるかもしれませんが、多くの人がその意味を理解できないまま「これがマナーだ」と言われるのは、かえって反発を招くのではないでしょうか。マナーとは本来、相手に安心感や心地よさを与えるものです。相手に違和感を与えるような形だけのマナーでは、真の目的を果たすことはできないでしょう。

さらに、「コンス立ち」を推奨する主張が、女性に対して「こうあるべき」という新たな圧力を生んでいるようにも思えます。過剰に形式を重視することで、かえって自由な自己表現を妨げることになりかねません。日本では、これまでの礼儀作法の中にも「正座」や「お辞儀」のように一定の型がありましたが、それらは日本文化の中で長い時間をかけて育まれたものです。一方で、「コンス立ち」は急に登場したものであり、多くの人がそれに馴染みを感じていないのが現状です。

このような新しい形式を押し付ける背景には、メディアの商業的な意図があるのではないかと疑ってしまいます。特定の文化や価値観を持ち上げることで、新しい流行を作り出し、それを商品化する流れが見えるように思います。しかし、それを「マナー」として扱うのは、真の意味でのマナー文化を軽視しているように感じます。

そもそも、なぜこの「ヒジはりコンス立ち」が「美しい」とされるのか、その理由が全く説明されていないのが問題です。本来、マナーには意味があり、その背景には相手への配慮や思いやりが存在します。ただ形だけを整えるものではありません。それができていないのであれば、それは単なる「自己満足」に過ぎないでしょう。

最後に思うのは、「マナー」という言葉が安易に使われ過ぎているのではないかという点です。マナーは本来、人間関係を円滑にするためのものであり、それが目的に合わないのであれば、それはもはやマナーではありません。真の意味でのマナーを理解し、必要に応じて柔軟に対応することが大切ではないでしょうか。形ばかりの美しさを追い求めるのではなく、相手への思いやりや尊重を中心に考えるべきです。

執筆:編集部C

最新記事

コメント

コメントする

CAPTCHA