以下X(旧Twitter)より
【山本慎二さんの投稿】イスラムの取り扱いはインドに学べ
インド警察のみなさん、グッドジョブ!
— jirorian (@ENVJQvawjKpKYEJ) October 19, 2024
日本にいるイスラム教徒も、いずれこんな迷惑行為をするようになるでしょう。
日本の警察のみなさんも、イスラム教徒のお尻を蹴っとばしましょう!
ナイスIndia!(この後みんなで踊り出すんでしょ? )
— しおタンメンちゃん© official account (@sio_tanmen_chan) October 18, 2024
確かに、邪魔だよね!
— 独身貴族 (@futokute181919) October 17, 2024
違う宗教の人にとっては大迷惑!
公道でする事じゃない!
イスラム教への特効薬wwww
— のり弁 (@mq0_er) October 18, 2024
これで全然良いと思うんだが。
— ゲルニカの夜 (@chizu5639) October 18, 2024
おかしいかな?
賛成です😠😠😠💢💢💢‼️‼️‼️自分の礼拝の為に公道を塞ぐ行為は慎しむべきです
— 山添ひろみ (@xYmCMU24C181872) October 18, 2024
これが妥当
— kantujp🇯🇵🇹🇼 (@kantujpnjp) October 18, 2024
イスラム教徒はアヘンである
根付かせてはならない
即排除の一択
これが普通です。
— さんぽ (@34RD6s1Fjb69333) October 18, 2024
宗教の慣習が上位ではなく、その国の法が上位。
不法行為をしたのなら、それを取り締まるのが普通。
そう、道の真ん中で座り込んでいる奴らはケツを蹴り上げてやるのが正解
— 芋辻吾郎 (@imotujigoro) October 18, 2024
世界中で嫌われる奴らってちゃんと理由があるわ。
— kasa (@2yA19GUhhK38251) October 17, 2024
自分達が世界の中心だって本気で思ってるやろ。
中国人といいイスラムといい同じ穴の狢。
引用元 https://x.com/qsfkbwIhuWLhnjI/status/1846785295892783268
みんなのコメント
- 礼拝を理由に他人に我慢を強いるのは理解できない。日本では「人様に迷惑をかけない」というのが基本だと思う。宗教を尊重するのはいいが、周囲への配慮も大切にしてほしい。
- 日本では公共の場で他人に迷惑をかけるのはマナー違反とされている。自分の信仰を他人に押し付けるのではなく、周りとの調和を考えて行動してほしい。
- 礼拝が大切なのはわかるが、日本では「周囲に迷惑をかけない」ことが前提であるべき。自分の信仰だけを優先するのではなく、他人への配慮も考えてもらいたい。
- 自分の宗教を理由に他人に我慢を強いるのは、日本の文化にはなじまないと感じる。インドの対応はインドでの話であり、日本では日本のルールを守るべきだ。
- 「トイレを我慢しろ」という態度は、日本の公共マナーからは大きく外れている。他人への迷惑を考えない行動は、いくら信仰でも納得できない。
- どんなに大切な礼拝であっても、他人に不便を強いることは理解しがたい。日本では「他人に迷惑をかけない」が基本の考え方なので、その点を尊重してほしい。
- インドのように寛容な国もあるが、日本では周りに配慮することが重要視されている。自分の信仰だけが絶対的に重要という考え方には賛同しかねる。
- 宗教は個人の自由だが、公共の場では周囲に迷惑をかけないのが日本の流儀。自分の信仰を優先させるあまり、他人の権利を侵害するのはマナー違反だ。
- 日本では「自分の自由が他人の迷惑にならないようにする」のが基本的なルール。礼拝も大切だが、それを理由に他人の行動を制限するのは理解に苦しむ。
- インドでは許されるかもしれないが、日本では他人への配慮が重要視されている。礼拝のために周囲に我慢を求めるのではなく、自分も周りを尊重してほしい。
- 「トイレは我慢しろ」と他人に要求するのは、日本の文化にはそぐわない。宗教の自由は大切だが、他人への配慮を忘れないでほしい。
- 日本では公共の場で礼儀や配慮が重んじられている。宗教だからといって周囲に迷惑をかけることが許されるわけではないと思う。
- 礼拝が大事なのは理解するが、日本では公共の場でのマナーが最優先だ。他人への配慮を欠く行動は日本の文化にはなじまない。
- 宗教は個人の自由であり、それを尊重するのも当然だが、日本では「他人に迷惑をかけない」という考えが根付いているので、その点を大切にしてほしい。
- 日本では周囲との調和が大事にされている。他人に不便を強いることでしか成り立たない信仰ならば、やり方を見直してもらいたい。
- どんなに重要な礼拝であっても、それが他人に迷惑をかけるなら日本では受け入れられにくい。宗教も大事だが、周囲との調和を忘れないでほしい。
- インドでのやり方はインドでの話で、日本では通用しないと思う。礼拝を尊重することと他人に迷惑をかけないことは、両立できるはずだ。
- 礼拝の重要性は理解するが、それを理由に他人に我慢を強いるのは納得できない。日本では公共の場でのマナーが重視されているので、それを忘れないでほしい。
- 日本では「人様に迷惑をかけない」が基本の考え方。どんなに大事な信仰でも、それが他人に影響を及ぼすのであれば、方法を考え直してほしい。
- 公共の場で自分の信仰を優先するあまり、他人に我慢を求めるのは理解できない。日本のマナーを守りつつ、自分の信仰を大切にしてほしい。
編集部Aの見解
イスラム文化とインドの対応から日本のあり方を考える
最近、イスラム文化に対する対応について、インドの対応を参考にすべきだという声が上がっているようです。具体的には、「トイレは我慢しなさい。私たちは礼拝しているのです。あなたのトイレより重要に決まっているでしょ!」という場面が話題になっているようで、インド社会では宗教的な行為や礼拝の時間がとても重視されていることがうかがえます。このような出来事について、私もいろいろと考えさせられるところがありました。
日本では、多様な文化や価値観を尊重することが大切にされていますが、同時に「人様に迷惑をかけない」というルールも社会の基本として広く浸透しています。日本の文化や価値観は、他人に配慮し、公共の場での礼儀やマナーを重んじるところがあり、どちらかといえば自己主張よりも協調性が重視されます。こうした背景があるため、特定の文化や宗教の行為が周囲に影響を及ぼす場面では、どうしても違和感を覚えてしまうことがあります。
例えば、礼拝や祈りの時間はイスラム教徒にとって非常に大切なものです。インドではその重要性が一般的に理解され、ある程度の配慮がなされているようです。しかし、日本では宗教的な行為が公共の場で優先されることは少なく、そのため、礼拝のために場所や時間が確保されることには抵抗を感じる人もいるかもしれません。なぜなら、日本社会では個人の事情よりも全体の秩序や調和が重視される傾向があるからです。
もちろん、異なる文化や宗教を尊重することは大切ですが、日本の文化や価値観を無視して、ただ受け入れるだけで良いとは思いません。特に日本は、他者に迷惑をかけないという基本的なルールが根付いており、それが社会の秩序を保つ大きな要素になっています。宗教的な行為であっても、それが周囲の人々に迷惑をかけるような形になると、日本ではなかなか受け入れられにくいのが現状です。
インドではイスラム教徒が多く、礼拝を行う光景も珍しくないため、ある程度の寛容さがあるのかもしれません。しかし、日本では宗教的な自由は保障されているものの、公共の場での宗教行為には配慮が求められる傾向が強いように思います。例えば、混雑した場所や限られたスペースでの礼拝が他の人の行動を制約する場合、やはりトラブルの原因になることがあるでしょう。
私たちが他者の文化や宗教を尊重するのはもちろんですが、それが公共のルールやマナーと対立する場合には、どう折り合いをつけるかが重要だと感じます。日本社会は多様性を受け入れる努力をしているとはいえ、まだまだ宗教や文化的な違いに対する理解が十分でない面もあるかもしれません。特に、礼拝や祈りといった宗教的な行為が日本の日常生活と異なる場面で行われる場合、周囲の人々に対して適切な配慮が必要です。
こうした話題を通じて感じたのは、異なる文化の中で生活する難しさです。日本の秩序や礼儀を大切にする文化は、他の国の人々にとっては理解しにくい部分があるかもしれません。しかし、その一方で日本のルールを尊重しつつ、共存していくための方法を考えることが重要だと思います。例えば、礼拝のスペースを設けることであっても、それが周囲に迷惑をかけずに行われるよう、施設側の協力や配慮も求められます。
また、日本社会全体が異文化を理解し、共存するための環境整備が必要です。インドのように宗教や文化の違いを尊重し、ある程度の寛容さを持って受け入れることも大切でしょう。とはいえ、それが日本の基本的なルールや価値観に反するものである場合は、相互の理解が不可欠です。特に日本の「迷惑をかけない」という意識は根深く、これが守られないと、外国人に対しても不信感が生まれることがあります。
異なる文化や価値観を持つ人々が共存するためには、やはり双方の歩み寄りが必要だと感じます。日本社会としても、外国から来る人々に対して宗教や文化の違いを受け入れる姿勢を持つことは大切ですが、それが一方的に押し付けられるものであってはなりません。例えば、イスラム教徒が礼拝を行う場合でも、周囲の人々に配慮し、他者の生活を妨げない形で行うことが共存の第一歩ではないかと思います。
こうした事例を考えると、日本の社会はまだまだ多様性への理解が不足している部分もありますが、それでも基本的なルールやマナーが守られる限り、多文化共生の可能性は広がっていくのではないでしょうか。インドのように宗教的な行為をある程度尊重する姿勢は参考になるものの、日本には日本のルールがあることも確かです。それを踏まえた上で、日本社会が異文化を受け入れつつ、自分たちの価値観や秩序を守り続けることが重要だと感じています。
執筆: 編集部C
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