石破(2007年)「選挙に負けたにも関わらず、続投するのは理屈が通らない」 公然と安倍首相の辞任を求めた

NHKによると

安倍晋三元総理が銃撃されて死亡するという衝撃的な事件。
歴代最長の安定した政権を築き、外交・内政の両面で成果を上げたとする評価がある一方、国民への説明責任を果たしていなかったと指摘する声もある。
果たして安倍とはいかなる政治家だったのか。
関係者へのインタビューを通じて探った。
前回の菅・前総理大臣に続き、今回は、自民党総裁選挙で2度にわたって安倍と争った“最大のライバル”石破茂・元幹事長に話を聞いた。

「21世紀の総理」は安倍と予感

2人の出会いは、安倍が衆議院議員に初当選した約30年前にさかのぼる。
当選3回だった石破は、党の国防部会などで安倍が発言する様子を見て、その見識や弁舌に非凡さを感じたという。

初当選の安倍氏

「極めて安全保障に見識のある人だなと思いました。いわゆる心情的なタカ派ということではなくて、当選1回だけどもかなり理論的に喋る人だなと思った」

石破は、出会った当初から安倍を将来の総理候補と評価していたと明かす。

「そのころ、『21世紀総理』みたいな企画がはやっていてね。『21世紀の総理は誰だと思いますか』といったアンケートが国会議員に配られたことがありました。私、その時に『安倍晋三』って書いた覚えがある。今となっては意外に思われるかもしれないけどね」

一方、安倍から石破に接近してくる機会があった。
安倍がライフワークとして取り組んだ北朝鮮による拉致問題。
2002年、問題の解決を目指す超党派の議員連盟が新たに立ち上がり、石破は会長に就任したが、それを要請したのは、当時、小泉内閣の官房副長官だった安倍だった。

拉致議連

「安倍さんから『拉致議連というのをつくろうと思う。石破さん会長になってくれないか』と話がありましたね。『なんで私ですか』と聞いたら、『安全保障について考えや知識があり、あまり保守的な立場ではないから』と。そんなに親しかったわけではないんだけど、彼なりの考えがあって、私をそれなりの使い方をしようと思ったんじゃないかな」

かつての安倍氏と石破氏

所属する派閥も異なり、2人だけで食事をともにするような機会はなかったものの、国のために果たすべき使命は共有していたと、石破は振り返る。

確執と呉越同舟、そして対決

若い頃には互いを認め合っていた2人だが、距離ができ始めたのは、第1次安倍政権下、2007年の参議院選挙で自民党が大敗し、安倍が続投の方針を表明した時だという。

参院選で自民大敗した時の安倍氏

石破は、党の総務会で「選挙に負けたにも関わらず、続投するのは理屈が通らない」と公然と安倍の辞任を求めた。

「『続投するならそれなりの説明が必要でしょう』と。安倍さんにとっては、最も言われたくないことだったと思うな。だからその時から、感情的には『こいつは許せない』っていうのが、ずっとあったと思うんだよね」

以下X(旧Twitter)より

jnnaviさんの投稿

引用元 https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/87502.html

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