【話題】強制送還は難しくない。過去にイラン人を1万5千人返している

Spread the love

2019.06.10 朝日新聞の記事によると…

公園を埋め、そして消えたイラン人 あの波は日本に何をもたらしたか

30年ほど前、大勢のイラン人が日本にやってきた。携帯もネットもまだ普及していないころ。彼らは週末ごとに東京の代々木公園や上野公園に集まり、その後は潮が引くように消えていった。あの波は日本社会に何をもたらしたのか。日本が外国人の就労を拡大するいま、考えてみたい。(朝日新聞論説委員・平田篤央、文中敬称略)

(略)

■イラン人の波、バブル期に急増

1979年のイラン革命以降、米国や欧州への移民が多数発生した。8年におよんだイラン・イラク戦争が88年に終結すると、兵役を終えた多数の若者が戦後の不景気で職にあぶれ、ビザ無しで渡航できる数少ない西側先進国として日本が注目された。

イラン人来日の波は短期間で終わったのが特徴だ。バブル景気が崩壊したことや、公園に集まるイラン人の犯罪などがクローズアップされたことから、日本政府は92年にイランとのビザ免除協定を停止する。その年だけでイラン人1万5000人近くが強制退去させられ、イラン人の姿はあっという間に消えていった。

[全文は引用元へ…]2019.06.10

以下、Xより

【たーかさんの投稿】

引用元 https://x.com/Jet_Driver_/status/1759850344614654169?s=20
https://globe.asahi.com/article/12434499?utm_source=chatgpt.com

みんなのコメント

  • ついでに売国議員や左翼議員も全員中国と朝鮮に返しましょう、、いつまでも持っていたら悪いし
  • そういえば昔、上野あたりでイラン人が広場にたむろして、違法薬物などで治安も悪くなったと聞いていたが、その後行ってみたら跡形もなかった。祖国に15,000人も送還されてたんだ。なぜか日イ条約でビザ不要だったから(観光で来て在留 クルド人も親日トルコとのビザ無しで来て居着いてる。ので送還♪
  • そう言えば、鈴木亜久里さんみたいな人がテレフォンカード売ってたなぁ…
  • 飛行機だと大暴れして、機長が安全上の問題ありと搭乗拒否。 これが知れ渡り、飛行機で暴れる強制送還者が増えて送還出来ない事例が散見。 一気に大量送還用にグッピーで運ぶか、、、。
  • 上野公園での取り締まりで多くのイラン人が名古屋へ。その結果名古屋は当時は覚醒剤密売天国に。そのために全国初とも言われる防犯カメラが名古屋テレビ塔の周辺に設置されました。そして隠れることができないように生け垣を腰の高さまで伐採。イラン人の犯罪はその後のテレホンカード偽造ヘと

編集部の見解

過去に実施されたイラン人の大量送還

1990年代初頭、日本では不法滞在のイラン人が急増し、社会問題となったことがあります。当時は日イラン間でビザ免除措置がとられていたため、多くのイラン人が観光名目で来日し、そのまま居着いてしまうケースが目立ちました。特に上野公園など首都圏の広場では、多くのイラン人が集まり違法薬物やテレフォンカードの偽造販売が横行していたといわれています。治安の悪化が顕著となり、市民の不安が広がりました。

その後、日本政府は1992年にイランとのビザ免除協定を停止し、結果として約1万5000人ものイラン人が強制退去させられました。この数字は現在の議論と比較しても大規模な措置であり、実際に過去の日本が毅然と対応してきた歴史的事実を示しています。当時の強制送還は決して容易ではなく、飛行機の機内で暴れる者が出るなど、実務上の困難も多かったようです。それでも国家としての秩序を守るため、断固とした対応が取られました。

こうした出来事を知る世代にとっては、現在「強制送還は難しい」との説明に違和感を覚える人も少なくないでしょう。かつて日本は現実に大量の送還を実施していたのです。

治安悪化と街の変化

上野周辺の様子を覚えている人は多いでしょう。当時はイラン人がたむろし、違法薬物の密売が行われていたとされ、地元住民の生活環境は大きく損なわれていました。しかし送還が実施された後、現場にはイラン人の姿はほとんど見られなくなり、治安は大きく改善しました。

一方で、取り締まりを逃れた一部の人々は名古屋などへ移動し、そこで新たに覚醒剤の密売ルートを形成したといわれています。その結果、名古屋市内では犯罪抑止のための対策が進められ、全国初とされる防犯カメラがテレビ塔周辺に設置されました。また、潜伏を防ぐために公共スペースの生け垣を低く刈り込むなど、都市の景観にまで影響を及ぼしました。

このように、外国人犯罪と治安対策は地域社会の在り方に直接影響を与えたのです。市民は危機感を抱き、行政も防犯に力を入れざるを得なくなりました。当時の経験は、いま議論されている外国人問題を考える上で大きな教訓となるでしょう。

現代への示唆と国民の声

最近では、強制送還をめぐる議論が再び注目を集めています。しかし、過去に日本が毅然とした対応で1万5000人ものイラン人を送還した歴史を振り返れば、「不可能」という説明は説得力に欠けると考える人が多いのも自然なことです。

市民のコメントを見ても、「過去にできたのだから今もできるはずだ」との声や、「政治家はなぜ毅然と対応できないのか」という疑問が相次いでいます。また、治安の悪化を防ぐには規制や取り締まりだけでなく、毅然とした送還政策が不可欠だと考える意見も多く見られます。

さらに、当時のイラン人問題を知る人々は「違法な活動を放置すれば社会が壊れる」と警告しています。彼らの記憶は単なる過去の事件ではなく、現代社会が直面している問題に直結する教訓といえるでしょう。外国人の流入をめぐる議論は、単なる人道問題だけでなく、日本社会の安全と秩序に深く関わる現実的課題なのです。

今回の議論を通じて、私たちは改めて「日本の国益とは何か」「治安維持のために国家はどのような判断をすべきか」を考えさせられます。国民生活を守るために、政治がどこまで本気で取り組むのかが問われているのだと思います。

執筆::japannewsnavi編集部

コメント

コメントする

CAPTCHA


  • 主要
  • SNS
  • スポーツ
  • 動物
  • 国内
  • 政治
  • 海外
  • 特集
  • 経済
  • 芸能
別サイトの記事も見る
  • 主要
  • SNS
  • スポーツ
  • 動物
  • 国内
  • 政治
  • 海外
  • 特集
  • 経済
  • 芸能
別サイトの記事も見る