自民党の小泉進次郎元環境相が6日、東京都内で記者会見し、党総裁選(12日告示、27日投開票)への立候補を正式に表明した。名乗りを上げたのは6人目で、過去最多の2008年と12年の5人を上回った。
「決着 新時代の扉をあける」のスローガンが書かれたボードの前に、濃紺のスーツで現れた小泉氏。「次期総裁にふさわしい人」の世論調査で1位の“真打ち”登場とあって、会場は100人以上の報道陣で満員。今回の総裁選は「改革を圧倒的に加速できるリーダーを選ぶこと」だと切り出し、政治改革、規制改革、人生の選択肢の拡大の3項目に「1年以内に取り組む」と強調。早期の衆院解散、総選挙に臨むことも明言した。自動車産業を念頭に置き「日本の産業の柱を、一本足打法から二刀流へ」と、元球児として野球ネタも盛り込んだ。身ぶりを交えた約30分間の熱弁だったが、視線はほぼ手元の原稿に落としたまま。慎重な姿勢がうかがえた。
会見は、事前に質問を受け付け、記者は座席指定と異例の形で行われた。選挙対策本部は「参加者が増大したことによる混乱を防ぐため」と説明。実際の質疑応答は通常の挙手制で行われたが、永田町関係者は「事前に質問を受け付けることで想定問答に厚みを持たせられるし、想定外の質問も減らせる」と指摘。記者の質問に対し、小泉氏はピンク色の付箋がびっしり貼られた資料をめくって返答。同じ言葉を繰り返し、ポエムのようだと評される“進次郎構文”の回避に努めた。
小泉氏のネックと言われる、経験・実績のなさ、答弁力の危うさを懸念する質問も飛んだ。「首相になってG7(先進国首脳会議)に出席したら、知的レベルの低さで恥をかくのではないか。それこそ日本の国力の低下にならないか。それでも総理を目指すのか」と辛辣(しんらつ)。小泉氏は苦笑しつつ「私に足りないところがあるのは事実。それを補ってくれる最高のチームをつくる」などと冷静に返答。質問者に名前で呼びかけ「“アイツ、ましになったな”と思ってもらえるようにしたい」と続けた。このやりとりにネット上には好意的な書き込みが相次ぎ、結果として小泉氏の株が上がる形となった。
ただ告示後には公開討論会が控えている。当然、事前質問の受け付けなどない。石破氏や、今後立候補を表明予定の高市早苗経済安全保障担当相など論客ぞろい。「今日のようにはいかない。論破されるのは必至だ」と党関係者。たった一言で支持が急落した例は過去にもある。小泉氏の本当の試練はこれからだ。[全文は引用元へ]
【himuroさんの投稿】やっぱり仕込みでした。 進次郎、一夜にして評判失墜!なんと質問は事前受付だった 資料には付箋びっしり
引用元 https://www.sponichi.co.jp/society/news/2024/09/07/kiji/20240907s00042000008000c.html#goog_rewarded
今回の小泉進次郎氏による記者会見は、多くの注目を集めましたが、私もその一人です。特に注目すべきは、記者の座席が事前に指定され、さらに質問が事前に受付けられていたという事実です。このような形式は、会見そのものの自由さを失わせ、透明性に疑問を感じる要因となります。記者が自発的に質問できない状況では、果たしてどれだけ本音が引き出されるのか、また会見が公正であったのか疑念が生じます。私たち日本国民にとって、こういった手法は決して受け入れられるものではありません。
まず、政治家が行う記者会見は、国民が必要な情報を得るための重要な場であり、そこでの透明性は何よりも重要です。記者たちが自由に質問できないとなれば、それは政治家が伝えたい情報だけをコントロールし、都合の悪い質問を避けるためのものだったのではないか、と思わざるを得ません。こういった形式では、国民の知る権利が侵害されていると言えるでしょう。 特に、用意された質問に対して、用意された答えを返すだけの会見では、国民の期待に応えることはできません。用意された台本を読むだけならば、それは誰でもできることです。だからこそ、今回のような形式の会見は、ただのパフォーマンスにすぎないと感じました。こうしたパフォーマンス的なやり方が続くと、国民が政治に対して「茶番」や「プロレス」と言われる理由が分かります。国民が政治に対して抱く期待や信頼は、こういった形式の会見によってますます薄れてしまうことでしょう。
小泉氏の発言についても、これまで「進次郎構文」として話題になった独特の曖昧な言い回しが、今回も多く見受けられました。彼の言葉には具体性がなく、何を本当に伝えたいのかが非常に分かりにくいものでした。政治家としての責任感を持って、もっと国民に分かりやすい言葉で説明することが求められます。今回の会見でも、具体的な政策や今後のビジョンをしっかりと伝えきれていない印象を受けました。これでは、国民はますます政治に対して不安を感じ、信頼を失ってしまうでしょう。 さらに、座席指定や質問の事前受付という形式は、記者の自由な取材活動を制約するものです。こうした制約の中では、記者たちは真実に迫る質問をすることが難しくなります。本来、記者会見は国民が政治家に対して疑問を投げかけ、政治家がそれに対して真摯に答える場であるはずです。しかし、今回のようにあらかじめ質問がコントロールされていたのでは、国民の疑問に正面から答えることはできません。これでは、政治家が自分たちの都合の良い情報だけを発信し、国民に対して真実を隠そうとしているように見えてしまいます。
政治は、国民全体のために行われるべきものであり、特定の利益団体や個人のために情報がコントロールされるべきではありません。もし今回のような記者会見の形式が常態化するならば、国民が政治に対して抱く不信感はますます高まるでしょう。政治家は、国民に対して誠実であり、透明性を確保することが求められます。そうでなければ、日本の民主主義は危ういものとなり、政治そのものが国民の信頼を失うことになります。
最後に、用意された原稿をただ読み上げるだけの会見では、本質的なコミュニケーションは成り立ちません。政治家は、国民に向けて自らの言葉で語り、政策や考え方をしっかりと伝える責任があります。国民が求めているのは、政治家の本音や誠実さです。もしそれが伝わらないのであれば、国民は政治家に対して信頼を置くことができなくなります。今回の会見では、そうした信頼を築く機会が失われてしまったように感じます。 こうした状況を放置することは、日本の未来にとって非常に危険です。政治家が国民に対して誠実に向き合い、透明性を確保することで、初めて国民の信頼を得ることができます。私たち国民は、こうした不透明なやり方に対して声を上げ続け、政治家に対して真の責任を果たすよう求めていかなければなりません。 日本の未来を守るためには、政治の透明性が何よりも重要です。記者会見が公正に行われ、国民が納得できる形での説明が行われることが、健全な政治の基盤となります。私たち日本人が安心して暮らせる社会を築くためにも、こうした不透明な政治手法を改善し、国民が信頼できる政治を実現することが求められています。
執筆:編集部B