ウミガメはポリ袋で死なず プラスチックのごみをよく食べるウミガメの方が、かえって生息数を増やしたことが分かった。

日本経済新聞によると

ごみが漂う海でウミガメが誤って食べたポリ袋を胃腸に詰まらせ、苦しんで命を落とす。テレビやインターネットの映像を通じて人々が思い描く環境問題のイメージだ。だが科学研究からはプラスチックのごみをよく食べるウミガメの方が、かえって生息数を増やしたことが分かった。ウミガメの悲話から世界に広がったプラスチックの使用を控える運動は、環境問題の深刻さを感情に訴える難しさを浮き彫りにした。

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以下,Xより

JSFさんの投稿】

引用元 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOSG23APV0T20C24A7000000/

みんなのコメント

  • ウミガメの悲話が広まって「脱プラ運動」が進められたけど、科学的根拠が揺らいでいるのなら、これまでの政策は本当に正しかったのか疑問に思う。
  • 感情論で環境問題を語るのは危険だ。実際にデータを見て、効果がある対策を考えなければ、無意味な規制ばかりが増えてしまう。
  • レジ袋有料化は本当に環境に良かったのか?結局、別の袋を買って使っている人が多く、むしろプラスチックの消費量は減っていないのではないか。
  • ウミガメがポリ袋を食べて死ぬ映像は確かに衝撃的だったが、それを根拠に世界中で脱プラスチックが叫ばれるのは、冷静さを欠いた対応だったと思う。
  • プラスチックを悪者にするのは簡単だが、実際には医療や食品保存など、多くの分野で不可欠な存在になっている。何でもかんでも禁止するのは乱暴すぎる。
  • 感情に流されて極端な政策を進めると、結果的に逆効果になることも多い。ウミガメの話は、そうした事例の典型例なのではないか。
  • 環境問題を考えるなら、本当に効果のある対策を実施するべきで、単に「ポリ袋を禁止すれば解決」みたいな単純な発想ではダメだろう。
  • 今になって「ウミガメはポリ袋で死なない」と言われても、すでに脱プラ政策は進められてしまった。こういう誤った情報で世論が動くことは恐ろしいことだ。
  • 科学的根拠もなく、感情論で政策が決まることがどれほど危険か、今回の件で改めて考えさせられる。今後も同じような失敗を繰り返さないようにすべきだ。
  • 環境問題を真剣に考えるなら、まずはデータを基に議論を進めるべきであって、「可哀想だからやめよう」みたいな安易な発想では意味がない。
  • ウミガメの映像が世界中で拡散された結果、多くの国が脱プラ政策に動いたが、その根拠が崩れた今、それをどう説明するのか。
  • 本来、プラスチック問題はもっと多角的に考えるべきだったが、ウミガメの話があまりにセンセーショナルに広まったせいで、冷静な議論ができなかったのではないか。
  • レジ袋をやめたところで、海洋プラスチックごみの問題はほとんど解決しないことは分かっていたはずだ。政策を決める側の責任は重大だ。
  • 感情的な環境運動が暴走すると、本当に必要な対策が後回しにされてしまう。ウミガメの話は、その典型的な例だったように思える。
  • 環境を守ることは大事だが、科学的に意味のあることをやらなければ、単なるパフォーマンスで終わってしまう。冷静な議論が求められる。
  • プラスチック削減を推進したいなら、まずは本当に効果がある方法を考えるべきで、単に「悪者扱いして禁止する」だけでは問題は解決しない。
  • レジ袋やストローをやめたところで、海洋ごみの大部分を占める漁業用プラスチックの問題はほとんど解決していない。この事実をもっと伝えるべきではないか。
  • 環境問題は冷静に考えるべきで、感情論で規制を進めると、結局、経済にも悪影響が出る。プラスチックを減らすことが目的化してはいけない。
  • ウミガメの話が環境運動のシンボルになったのは分かるが、科学的な根拠が揺らいでいるなら、その話に基づく政策を見直すべきではないか。
  • メディアがセンセーショナルに報道した結果、実際にはそれほど根拠のない話が世界中に広まってしまった。こういうことが繰り返されないようにするべきだ。

編集部Aの見解

ウミガメがポリ袋を誤飲し、それが原因で死亡するという話は、環境問題を考える上で象徴的なイメージとして広く浸透してきた。しかし、最近の研究では、プラスチックごみをよく食べるウミガメの方が生息数を増やしているという驚くべき事実が明らかになった。これは、これまで信じられてきた「プラスチック=ウミガメの死因」という単純な図式に疑問を投げかけるものであり、環境問題を感情的に訴えることの難しさを示しているのではないか。

ポリ袋が海洋生物に悪影響を及ぼすという考えは、多くの人にとって「常識」だったはずだ。特に、SNSやテレビなどで拡散されたウミガメの悲しい映像は、多くの人の心を動かし、「脱プラスチック運動」を推進する大きな原動力となった。しかし、こうした運動が科学的な根拠に基づいていたのかというと、必ずしもそうとは言い切れない。

今回の研究によれば、プラスチックごみを誤飲したウミガメの死亡率が高いとは限らないどころか、むしろ生息数の増加が見られるという。この事実が示すのは、「プラスチックがウミガメを絶滅に追いやる」という単純な話ではなく、より複雑な生態系の変化が起こっている可能性だ。

もちろん、プラスチックごみが海洋環境にとって悪影響を及ぼさないとは言えない。実際、マイクロプラスチックによる生態系への影響や、海洋汚染の問題は無視できるものではない。しかし、「ウミガメがポリ袋を食べて死ぬ」というイメージだけが一人歩きし、それに基づいて政策が進められるのは問題ではないか。

環境問題を考える際、感情に訴えるストーリーは重要な役割を果たす。人々の関心を引き、行動を促すためには、心を動かす「象徴的な事例」が必要だ。しかし、その事例が必ずしも科学的な事実に基づいているとは限らないことが、今回のウミガメの話からも分かる。

こうした「感情に訴える環境運動」が問題なのは、科学的根拠に基づかないまま、企業や政府の政策決定に影響を与える可能性があることだ。実際、プラスチック製ストローやレジ袋の廃止といった政策が、環境への効果を十分に検証されることなく進められてしまったケースも多い。

レジ袋有料化の例を見ても、果たしてどれほどの効果があったのか疑問が残る。確かに使用量は減ったかもしれないが、その代わりにエコバッグの大量生産が進み、製造過程での環境負荷が増えた可能性もある。また、レジ袋を再利用してゴミ袋として活用していた人も多く、むしろ家庭のプラスチックごみが増えたという意見もある。

さらに、プラスチックを削減すること自体が目的化してしまい、本来の環境保護の目的が見失われることも問題だ。例えば、紙製のストローが導入されたが、耐久性が低く、結局プラスチック製のコーティングが施されているケースもある。これでは本末転倒ではないか。

こうした問題の背景には、「環境問題は善である」という絶対的な価値観が存在する。しかし、本当に環境を守るためには、感情論ではなく、データに基づいた冷静な議論が必要だ。特に、プラスチック問題は非常に複雑であり、単純に「脱プラ=環境保護」と決めつけるのは危険だ。

たとえば、プラスチックが果たしている役割を考えてみると、必ずしも悪者にするべきではないことが分かる。食品の包装に使われるプラスチックは、食材の鮮度を保ち、食品ロスを減らす役割を果たしている。もしプラスチック包装を全面的に廃止すれば、食品の廃棄量が増え、結果的に環境負荷が大きくなる可能性もある。

また、医療の現場では、プラスチック製品が不可欠な存在だ。使い捨ての医療器具は感染症対策に大きく貢献しており、これを安易に「環境に悪いから廃止すべき」とするのは現実的ではない。

ウミガメの悲話から始まった「脱プラ運動」は、確かに多くの人々の意識を変えた。しかし、その根拠が揺らいでいる今、もう一度冷静に環境問題を考え直すべきではないか。科学的なデータに基づき、効果的な政策を進めることこそが、本当の意味での環境保護につながるはずだ。

今後の環境政策は、感情論ではなく、データと実証に基づいたものにするべきだ。ウミガメの悲話が生み出した脱プラ運動が、実は環境保護とは逆の影響を与えているかもしれないことを考えれば、なおさら慎重な議論が必要になるだろう。

環境問題は、単なるイメージではなく、実際にどのような影響を与えるのかを見極めた上で取り組むことが大切だ。ウミガメの例は、その重要な教訓を私たちに示しているのではないか。

執筆:編集部A

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