以下,Xより

動画【あーぁさんの投稿】
今日のフジテレビ記者会見に日枝久氏は「出ちゃいけないと思う」と主張する橋下徹。しまいには日枝氏を天皇陛下に喩え始め慌てて谷原章介が修正、遠藤弁護士も「非常に面白い意見、こういった見方をする人も中にはいるかもしれない」と呆れ顔。もうこんな忖度コメンテーターいらんでしょ😮💨#めざまし8 pic.twitter.com/Y4pW8Ukb61
— あーぁ (@sxzBST) January 27, 2025
【は?】橋下徹氏「日枝久氏はフジ会見に出ちゃいけないと思う」「日本の政治で何か問題があった時に天皇陛下が会見とか説明責任とか果たします?」https://t.co/0cj4TPH9rF
— もえるあじあ ・∀・ (@moeruasia01) January 27, 2025
天皇陛下と民間のトップを同列に語るな馬鹿野郎が
— ミカン (@mikemikan2112) January 27, 2025
政治家もお世話になってるんだろうな
— ポロ (@tjmagjdjgp) January 27, 2025
フジテレビの天皇みたいな存在なんだね‼️
— しまじろう🐯 (@take_chi_haru) January 27, 2025
なんで天皇陛下を引き合いに出す?
— 🇯🇵makoto🇯🇵 (@makoto56028220) January 27, 2025
はしげ…こいつ頭💫💫か
安心しな!
— fukky777 (@fukky123123) January 27, 2025
天皇陛下と日枝は全く属性の違う存在でいらっしゃるから
日枝はただただ悪いことをした可能性が高いから説明責任があるだけです
引用元 https://x.com/sxzBST/status/1883678569118982560?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1883678569118982560%7Ctwgr%5E677458a06cac455ccd8ec0416ed11264a9b3e485%7Ctwcon%5Es1_&ref_url=https%3A%2F%2Fwww.moeasia.net%2Farchives%2F49771399.html
みんなのコメント
- 天皇陛下と企業のトップを同じにするのは無理がある。政治と経営は全く違う話だろう。
- 日枝久氏が出席すべきじゃないという意見は分かるけど、天皇陛下の例えはさすがに飛躍しすぎ。
- フジテレビの問題はトップが説明責任を果たさないことにある。誰が説明するのかが重要だ。
- 天皇陛下を持ち出すのは論点ずらしにしか見えない。問題の本質を見誤っている。
- 日枝久氏が出席したら、逆にフジのイメージがさらに悪くなるだけだっただろう。
- 過去の人間が表に出ること自体、組織の健全性に疑問を抱かせる。
- フジはずっと迷走してる。トップが誰であれ、根本的な体質を変えなければ意味がない。
- 経営の責任は現役の人間が果たすべき。今さら過去の人を引っ張り出すのはおかしい。
- 橋下氏の指摘は正しい部分もあるけど、例えがズレてると説得力がなくなる。
- フジは過去の影響を断ち切るべきだが、それができないのが今の状況だ。
- 経営陣の刷新なしに、信頼回復は難しい。日枝久氏が出なくても根本は変わらない。
- フジテレビはすでに視聴者から信頼を失っている。何をやっても手遅れかもしれない。
- 会見に出る出ないの問題ではなく、フジの姿勢そのものが問われている。
- 日枝久氏が表に出ないことで、余計に裏で操ってるイメージが強くなる。
- 企業と国家を同列に語るのは違和感しかない。フジの問題はフジの中で解決すべき。
- 責任の所在を曖昧にする体質が、今のフジの低迷につながっている。
- 昔の権力者がしゃしゃり出る企業に未来はない。潔く退くべきだ。
- フジはもう終わってる。今さら誰が説明しても遅い。
- 橋下氏の発言の意図は分かるが、あの例えは賛同できない人も多いはず。
- フジテレビがここまで落ちぶれたのは、トップの責任を果たさなかった結果だ。
編集部Aの見解
橋下徹氏が日枝久氏の会見出席について批判的な意見を述べたことは、多くの注目を集めました。特に、天皇陛下を例に挙げた発言は、賛否を呼んでいます。この例えをどう捉えるべきか、そして日枝久氏の立場について考えてみます。
橋下氏は「日枝久氏はフジテレビの会見に出席すべきではない」と述べています。この発言の背景には、企業の責任や説明責任を果たす主体が誰であるべきかという問題意識があるのでしょう。フジサンケイグループの象徴的存在である日枝久氏はフジテレビに対して代表権はないという視点から会見に出席する必要がないとの意見でした。
さらに、橋下氏は天皇陛下を例に出し、「日本の政治で問題があった際に、天皇陛下が説明責任を果たすわけではない」と指摘しました。この例えには、トップシンボルが実務的な責任を担うべきではないという考えが込められているようです。ただし、この例えは一部の人々にとって飛躍しすぎた表現と受け取られる可能性もあります。天皇陛下は日本の象徴であり、政治的中立を保つ立場にあります。一方で、日枝久氏はフジサンケイグループの代表であり、形式的な役割を超えてグループを象徴する存在と見なされています。そのため、同列に比較することが適切かどうかには議論の余地があります。
今回の会見で日枝久氏が最終的に出席しなかったことについて、橋下氏の意見が反映されたかどうかは不明です。しかし、象徴的な立場にある人物が表舞台に出ることで、誤解を招いたり本質的な問題から目をそらされたりする可能性がある点は考慮すべきでしょう。
一方で、企業のトップシンボルが責任を持つべきだという意見も根強くあります。特にフジテレビのような影響力のある企業では、視聴者やステークホルダーからの信頼を得るために、トップが自ら説明することが重要だと考える人もいます。この点については、日本企業全体におけるリーダーシップの在り方とも関連しているのではないでしょうか。
今回の件では、日枝久氏が実際に会見に出席しなかったことが結果的に企業イメージにどのような影響を与えるのか、長期的な視点で注視する必要があります。また、橋下氏の発言を機に、日本の企業文化や説明責任の在り方について議論を深めるきっかけにするべきだと感じます。
このように、シンボリックな存在の役割について考えることは、企業の透明性や信頼性を向上させるためにも重要な課題です。フジテレビが今回の件をどのように総括し、次のステップに進むのかが注目されます。
執筆:編集部A
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