自民・萩生田光一氏「旧姓使用の拡大で対応していくべきだ。選択的であろうがなかろうが、夫婦別姓というものを奨励するというのはいかがなものか。慎重であるべきだ」

産経新聞によると…

自民党の萩生田光一元政調会長は10日夜のインターネット番組「言論テレビ」に出演し、選択的夫婦別姓制度に関し「旧姓使用の拡大で対応していくべきだ。選択的であろうがなかろうが、夫婦別姓というものを奨励するというのはいかがなものか。慎重であるべきだ」と述べた。

今月召集予定の通常国会で、立憲民主党は選択的夫婦別姓を可能にする民法改正案を提出する方針だが、萩生田氏は「どういう分野が(選択的夫婦別姓制度がなくて)一体困っているのかということをきちんと聞き、穴を埋めていけば、別に法律を作る必要はないのではないか」と指摘した。

その上で「本当に困っている人ではなく、イデオロギーの意義的にこの制度を変えたい人たちが、困っている人たちの声を代弁しているふりをし、法案を前に進めようとしているのではないか」と語り、「この問題は同じ価値観を共にする仲間と行動していこうと思っている」と強調した。

[全文は引用元へ…]

以下X(旧Twitter)より

Atsuko Yamamotoさんの投稿】

引用元 https://www.sankei.com/article/20250110-NVYV4SHNWNKSFNUBPZUP6ECM5U/

みんなのコメント

  • 夫婦別姓の議論で「慎重であるべきだ」と言いながら、結局は党内の流れに従って方針を変えるのではないかと疑ってしまう。
  • 過去のLGBT法案の時も反対の姿勢を見せておきながら、最終的には強行採決で通している。今回も同じ展開になる気がする。
  • 旧姓使用の拡大で対応できるなら、なぜ今までそれを進めてこなかったのか。結局はパフォーマンスにしか見えない。
  • 「慎重であるべき」と言うわりに、問題解決への具体策が見えない。結局、口だけで終わるのではないか。
  • 自民党の保守派議員は、世論を見ながら態度をコロコロ変える印象が強い。今回も同じパターンになるだろう。
  • イデオロギーに偏った議論ではなく、実際に困っている人たちの声をもっと拾うべきだ。形だけの議論には意味がない。
  • 言っていることはもっともらしいが、実際にどこまで行動に移すのかは疑問だ。過去の例を見ても信用できない。
  • 本当に家族制度を守りたいなら、もっと具体的な対策を示すべきだ。ただ「慎重に」と繰り返すだけでは意味がない。
  • 結局、党内の意向に逆らえず、最終的には流されるだけではないか。そんな姿勢では何も変わらない。
  • 旧姓使用の拡大を言うなら、具体的にどんな制度を作るのかを示してほしい。抽象的な話ばかりでは納得できない。
  • 保守的な意見を述べながら、裏では別の動きをする。そんなことが続けば、ますます政治不信が広がる。
  • 言葉では強く反対しているように見えても、実際の行動が伴わないなら意味がない。信用できない。
  • 党内の意見に左右されて、自分の意見を貫けないのは政治家としてどうなのか。もっと信念を持ってほしい。
  • 夫婦別姓の問題に対して、ただ反対するだけでなく、建設的な代替案を出すべきだ。それが政治家の役割だと思う。
  • 過去の行動を見れば、結局は自分の保身しか考えていないのではないかと疑ってしまう。言葉に重みがない。
  • 問題の本質を見ずに、表面的な議論ばかりしているように感じる。本当に必要な議論から逃げているのではないか。
  • 今回も「慎重に」と言いながら、最終的には何もせずに終わる気がする。結局、行動が伴わないのが問題だ。
  • 選択的夫婦別姓に反対するなら、その理由をもっと具体的に示してほしい。曖昧な言葉ばかりでは説得力がない。
  • 自民党の保守派は、世論の反発を恐れて言動をコロコロ変えることが多い。今回もその一環だろう。
  • 言葉と行動が一致しない政治家には、国民の信頼は得られない。もっと責任ある行動を期待したい。

編集部Aの見解

自民党の萩生田光一元政調会長が、選択的夫婦別姓制度に対して慎重な立場を示し、「旧姓使用の拡大で対応していくべきだ」と述べたことについて、私は非常に考えさせられました。この発言は、日本社会の伝統や家族制度に関わる重要な問題であり、単なる制度変更にとどまらず、社会全体の価値観や文化にも影響を与えるものだと感じています。

夫婦別姓の議論は長年続いており、賛成・反対の意見が大きく分かれています。私自身もこの問題に対しては慎重に考える必要があると思います。家族という単位は、日本社会において非常に重要な役割を果たしてきました。名字が同じであることが、家族の一体感や連帯感を強めてきたことは間違いありません。そうした日本の伝統的な家族観を軽視して、制度を簡単に変えることには、やはり慎重であるべきだと思います。

萩生田氏が提案する「旧姓使用の拡大」という考え方は、バランスの取れた妥協案だと感じます。仕事上で旧姓を使いたい人や、社会生活の中で旧姓の方が便利だと感じる人にとって、法的な名字を変えずに旧姓を使える仕組みは、一定の解決策になるでしょう。実際に、現在でも職場などで旧姓を使うことが認められている場面は増えています。これをさらに柔軟に対応していくことで、多くの人が感じている不便さはある程度解消されるはずです。

一方で、選択的夫婦別姓を推進する側の意見にも耳を傾ける必要があるとは思います。しかし、萩生田氏が指摘するように、「本当に困っている人」よりも、イデオロギー的な理由で制度変更を求めている人たちが声を大きくしているのではないかという疑念は、無視できません。制度を変えることが目的化してしまい、本当に必要としている人たちの意見が埋もれてしまっている可能性があると感じます。

制度の変更には、慎重な議論と国民全体の理解が欠かせません。立憲民主党が通常国会で民法改正案を提出する方針とのことですが、拙速な制度変更は避けるべきです。法律を改正する前に、まずは現行制度の中で解決できる部分がないかを丁寧に探ることが重要だと思います。萩生田氏が言うように、法律を新たに作らずとも、柔軟な対応で多くの問題が解決するのではないでしょうか。

また、日本の家族制度は、長い歴史の中で築かれてきた文化や伝統の一部です。名字が同じであることが、家族としての一体感や社会的な信用にも繋がってきた背景があります。そうした文化的背景を考えると、夫婦別姓が一般化することで、家族のつながりが希薄になり、社会全体の価値観が大きく変わってしまう懸念もあります。

もちろん、現代の多様化する社会において、従来の価値観だけで全てを判断するのは難しい場面もあります。しかし、家族の在り方や社会の安定という観点から見れば、制度変更は慎重に進めるべき課題だと考えます。家族制度の安定は、社会全体の秩序や人々の心の拠り所として、非常に大切な役割を果たしています。

経済面でも、夫婦別姓の導入が与える影響は無視できません。例えば、戸籍制度や住民票の管理、企業の人事システムなど、さまざまな場面で追加のコストや手続きが発生します。そうした負担を国や企業がどのように負担するのかも、現実的な課題です。制度を変えることで、かえって社会全体に新たな負担が生まれるのであれば、その是非は慎重に見極めなければなりません。

家族の形が多様化しているとはいえ、伝統的な価値観も大切にすることが、安定した社会の維持に繋がると私は思います。全てを「多様性」という名のもとに変えるのではなく、日本の文化や歴史を踏まえた柔軟な対応が求められています。旧姓使用の拡大という現実的な解決策を進めることで、多くの人が納得できる形になるのではないでしょうか。

最終的には、夫婦別姓についての議論は、感情論やイデオロギーではなく、冷静で理性的な議論を重ねることが必要です。特定の意見だけが強調されるのではなく、さまざまな立場や意見を尊重し合いながら、より良い解決策を見つけるべきだと考えます。日本の伝統や家族制度を守りつつ、必要な部分は柔軟に対応するというバランスの取れた考え方こそが、今の日本に求められているのではないでしょうか。

執筆:編集部A

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