日本初【インド人校長】『日本の教育は古臭い《多文化共生》が足りていない。』

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プレジデントオンラインの記事によると

一つの型にはめこむ教育」しかしていない

日本の学校にはどんな課題があるのか。インドのムンバイ出身で、2023年に海外出身者として初めて日本の公立高校の公募校長に就任したプラニク・ヨゲンドラ(通称よぎ)さんは「学校のシステムと教師の両方に変革の余地がある」という――。(前編/全2回)

海外出身者として初めて日本の公立高校の公募校長に就任したプラニク・ヨゲンドラ(通称よぎ)さん

日本の教育には「多文化共生」が足りていない

私の出身のインドでは同世代に貧しい人が多く「自分たちを貧乏から救うのは教育しかない」という認識が一般的でした。私は日本のIT企業や銀行で働きましたが、多少成功してお金を稼いだとしても、教育が最も重要だという考え方は体に染みついていて今でも変わりません。

私は大学生のころに、大学で日本語と経済学の先生をした経験があり、教えることに強い興味がありました。人に何かを教える、自分の思いや知識を伝えることへの思いがとても強いのです。人に教える、共有することで自分の理解も深まると理解しました。

私はインドで教育を受け、日本、中国、フランスへの留学経験があります。また、私の息子は日本のインターナショナル校、公立校を経験し、英国の高校を出て英国の大学に在籍中です。よって私は直接、間接的に5カ国の教育に触れる機会を得ました。そこで感じたのは、日本の教育には良い面もあるが、多文化共生の部分が大きく欠如しており、そこを変える必要性を痛感したのです。

日本国籍を取得し、民間校長に応募

インドの社会では多言語、多文化が当たり前であり、出身地、言語の違いなどは誰も気にしません。教室の中ではカーストを気にすることはありません。私の知る限りインドの学校にはいじめはありません。人それぞれが違うことが当たり前だからです。

日本の学校では、生徒を一つの形にはめ込む教育が中心であり、そこから外れる生徒はいじめに遭うのです。実は私の息子も日本の中学でいじめに遭いました。だから、そこを変えなければならないと強く思うようになったのです。

2012年10月に日本国籍を取得しました。私は外国出身ですが、日本の企業では自分の意見はある程度聞いてもらえ、自分の思いを実現することができました。そして、インド出身の日本人として日本のために何かしたいという思いが強くなったのです。

議員の立場から多文化共生、教育などに携わろうと決め、2019年に東京・江戸川区議選で初当選しました。2021年7月にも多文化共生と教育改革を訴えて東京都議選に出ましたが、僅差で落選しました。さて次はどうしようかと考えていた時に、茨城県での民間校長の公募について知り、これは絶好のチャンスと思いダメ元で応募したのです。

ルールに縛られない自由な国際学校を目指す

校長になるための県知事との面接試験では、まずは、「自分は最も不登校の生徒が多い学校に行きたい」と話しました。または、自分の言語能力、多文化対応力、さまざまな職歴などの多様性を生かして「国際的なリーダーを育成する学校」を目指し、最終的に「茨城県初の公立国際学校をつくりたい」とも言いました。その結果、2022年から茨城県立土浦第一高校・付属中学校の副校長を、23年からは校長を務めています。

私の夢として目指す効率国際学校とは、単なる国際バカロレア(IB)やケンブリッジ方式などの教育プログラムを導入した欧米式のインターナショナルスクールではなく、日本の文化背景や東洋哲学を生かして、多言語能力育成などとともに、世界に通用する生徒を育てる教育スタイルを持つ学校です。生徒の半分は日本人、半分は外国にルーツのある子どもが理想です。

インドの学校が理想的というつもりはありませんが、インドの学校にはルールに縛り付けるということはなく、自由な発想や行動が可能であり、さらに、社会でのサバイバル能力を養成する要素が多くあると感じています。学校ではインド神話や歴史のラーマーヤナやマハーバーラタなどが、しっかりと教えられており、そこには社会を生き抜くための知恵と道徳がたくさん織り込まれているのです。

日本の教育現場はアナログまみれ

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↓X(旧Twitter)

引用元 https://president.jp/articles/-/78021

みんなのコメント

  • 画一的な人間になるように教育された人たちによって教育されているのですから、多様性なんてあるわけないでしょ
  • 学校を変えるではなく、まずは先生を変えるんです。
    先生の価値観や概念を変えないと、教育にテコの原理が働かないので、変革を推進したって変革が進むはずがない。
  • 紙で管理する理由の一つが「データは共有しない(校内で完結する)」という意識です。
  • 人生を切り拓くために大事です。インド人のサバイバル能力の高さは納得。日本の教育の課題は広く認識されているはず。
  • 外国人が日本に来て日本のルールを批判するのは、筋が違う気がする。
  • 日本の教育を批判する前に、日本の文化をもっと理解してほしいと思う
  • 日本の教育は日本の社会に合ったもので、それを無理に変える必要はない
  • まずは日本の文化や価値観を尊重するのが共生の第一歩だと思う。
  • 日本に住むなら、日本の教育を理解して適応するべきだ。
  • アナログが悪いわけじゃない。人としての成長を支える教育も大切なんだ
  • 日本の教育を「古い」と言われるのは、正直納得できないな。
  • 外国人に日本の教育を批判されても、日本人としての誇りは失わない
  • 日本の教育が守ってきた価値観を、軽々しく批判してほしくない。
  • 日本の教育があるからこそ、日本の社会がこれまで成り立ってきたんだと思う。
  • 多文化共生は大事だけど、日本の文化を壊すことには反対だ
  • 外から来た人が日本の教育にケチをつけるのはおかしい。
  • 外国人が日本の教育に口出しするのは違和感しかない。
  • 日本の教育に不満があるなら、無理に日本で暮らさなくてもいいんじゃない?
  • 日本の教育が「型にはめ込む」なんて言うけど、それが日本の強さでもあると思う
  • 外国の価値観を押し付けられると、日本の良さが失われる気がする
  • 日本の教育に従えないなら、日本の教育を批判する権利もないと思う
  • 日本の教育は日本人を守るためのもので、それを壊す動きには賛同できん

編集部Bの見解

インド人教師が「日本の教育は一つの型にはめ込むだけ」「多文化共生が足りない」「アナログまみれ」と批判したことに対し、私は強い違和感と憤りを感じている。日本の教育は、日本人のために存在し、長年かけて進化してきたものだ。それを、外部から来た人間が「変えなければならない」と一方的に指摘するのは、日本の文化や価値観を無視する行為だと思う。

まず、「一つの型にはめ込む」という批判だが、日本の教育は個性を尊重しつつも、社会における協調性や責任感を育むことを大切にしている。これが「型にはめ込む」と捉えられるのは、日本の教育の意義を正しく理解していない証拠だ。日本は、集団生活の中で協力し合い、社会の一員としての責任を果たすことを重視している。それが日本社会の秩序と調和を保つための基盤となっている。だからこそ、ただ自由に個性を伸ばすだけではなく、集団の中で自分の役割を理解し、他者と協力できる力を育てることが、日本の教育の核心にあるのだ。

「多文化共生が足りない」という指摘についても、私は疑問を抱く。そもそも、日本は日本人のための社会であり、外国から来た人たちが日本に適応するのが基本だと思う。多文化共生というのは、外国人が自分たちの文化を日本に押し付けるのではなく、日本の文化やルールを尊重した上で共存することが大前提だ。日本の教育に多文化共生を強制的に取り入れることは、日本の文化を壊すことになりかねない。外国人が日本で生活するならば、まず日本の価値観や文化を理解し、受け入れるべきであり、それができないなら日本での生活は難しいと思う。

さらに、「アナログまみれ」という批判にも違和感を覚える。確かに、世界的にはデジタル化が進んでおり、日本の教育現場でも改善の余地はあるかもしれない。しかし、アナログな部分が残っているからこそ、教育の本質的な部分が維持されているとも言える。デジタル化が進むこと自体は悪いことではないが、それが教育の質や深さを損なうようであれば、慎重に進めるべきだ。教育の目的は、単に技術を教えることではなく、人間としての成長を促すことにある。アナログな方法も、道徳心や責任感を育てる上で、今なお重要な役割を果たしている。

インド人教師が指摘したこれらの問題は、あくまで彼の視点に基づくものであり、日本の教育の本質を理解していないのではないかと感じる。日本の教育は、長年にわたり日本人の価値観や文化を次世代に引き継ぐために進化してきたものだ。それを「古い」「変えるべき」と外からの視点で批判することは、日本の歴史や文化に対する敬意が足りない証拠だと思う。日本の教育は、日本の未来を守るために必要なものであり、それを否定するような外部からの指摘には、強く反対する。

外国人が日本に来て、日本の教育に違和感を感じることはあるかもしれない。しかし、だからといって日本の教育を全面的に否定し、多文化共生を理由に変える必要はない。日本は日本の文化を守り続けるべきであり、それが日本の強さでもある。日本に住む外国人は、日本の文化を尊重し、日本の教育の意義を理解することが大前提だ。外国の視点で日本を変えようとする動きには断固として反対し、日本の教育の根幹を守り続けるべきだと思う。

今回のインド人教師の発言を通じて、私は改めて日本の教育の重要性を感じた。日本の未来を担う子供たちに、日本人としての誇りや責任感を教えることが、日本の教育の役割だ。それを外部からの批判で変えることは、日本の未来を危うくするものだと私は思う。日本の教育は、日本人が何世代にもわたって築き上げてきたものであり、それを守り続けることが何よりも重要だ。

日本の教育には、もちろん改善すべき点もあるかもしれない。しかし、それを他国の価値観に合わせて変えるべきではない。日本は日本の教育を守り、次世代に引き継ぐべきだ。それが、日本人としての誇りを持ち続けるための第一歩だと感じる。

私は、今後も日本の教育が日本の文化や価値観を大切にし続けることを強く望んでいる。外国の価値観に流されることなく、日本独自の教育を守り続けることが、日本の未来を守るために必要なことであり、それこそが日本の強さを示すものだ。

執筆: 編集部B

コメント

コメント一覧 (3件)

  • 日本のためじゃないじゃん。『自分たちインド人に都合のいいようにしたい』じゃん。

  • 1.嘘をつくなインドに差別はないだ?
    インド国内ではお前が何処の出自が必ずチェックされる。カースト制が残ってるから。
    恐らく、国内じゃまともな職につけないので外国で働いてるのでしょ。
    2.中学生にエクセルは早い。恐らくあなたよりまともにPCを使えるしあなたより早くからPCを使ってる。ビルゲイツもスティーブジョブズも子供にスマホを持たせなかった。そういうことだ。
    3.こんな奴を校長に迎えるほど、日本の教育委員会がおかしな組織だとういことだ。
    恐らく、メンバーのなかでエクセルがなんなのか理解できる人間がいないのだろう。そういうとこだよ。
    4.1ミリも読むに値しない。文科系がいかにダメなのかよくわかる話。
    多様化とは他国を理解し見てきた人間にさせるべき。そうすればインド人を雇ったりしない。

  • > インドの社会では多言語、多文化が当たり前であり、出身地、言語の違いなどは誰も気にしません。教室の中ではカーストを気にすることはありません。私の知る限りインドの学校にはいじめはありません。

    これはホンマかいなと思った
    この人の息子の学歴を見るにこの人は富裕層かそれに類する中・上流階級だよね
    この人が言う「私の知る限り」は結構限られた範囲のもののように思える
    差別やいじめをする側からは、差別やいじめは認識づらい、という事実もある
    インドの学校に「いじめ」は無いけど、代わりにあるのは、「差別と階級による棲み分け」だったり…という事はない?

    それに多文化主義を推し進めてもいじめが改善されるのは外国人に対してだけのような…?
    日本の学校教育がいじめの原因になる構造的な問題を持っているのは同意するが、少なくともこの人が言うように多文化共生がいじめの抜本的解決策になるようなものになり得るとは思えない

    あと余談だが(別の人が言うには)この人が考えてるのは世界をリードするエリートの為の学校の事を言ってるんだそうで。ちょっとガッカリ

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