東京都内の一部の公立小学校で、運動会の「紅組」「白組」という分け方を廃止する動きがある。23区内の小学校に4年生の子どもを通わせる保護者が語る。
「子どもが『運動会、つまらないから出たくない』と言い出しまして……。聞いてみると、紅組と白組と分けるのをやめることになって、勝ち負けがなくなるのだそう。 うちの子は1年生から3年生まで3年間すべて勝ちチームに入っていました。紅組か白組かはクラス内でもランダムに割り振られるだけなので、勝ちチームに入り続けたのはまったくの偶然なのですが(笑)、『6年間ぜんぶ勝ちたい』と言っていた子どもにとっては、急に運動会がつまらないものになってしまったそうです」
この保護者が学校に「子どもが運動会に出たくないと言っていて…」と相談してみると、「勝ち負けをつけないという方針で、そういうことになりました」「かけっこ(徒競走)も、一緒に走る人との勝負ではなく、去年の自分に勝つというテーマです」という説明があったという。
小学校の運動会に変化が
競争性のある種目は減少
コロナ禍の影響も
やはり紅組・白組を分けないようにする方針になったという小学校に子どもを通わせる別の保護者は、こう語った。
「応援合戦は“フレー!フレー! 〜組!”といった掛け声だったのが、今年から“フレー! フレー! 自分”と言うようになるそうです。 競技種目も、勝負ごとになるようなものは減らし、ダンスなど発表系のものが中心になると聞きました。自分のチームが負けると学校にクレームを入れるモンスターペアレントでもいるのでしょうか」
そもそも、運動会という名称を「体育学習発表会」「体育発表会」としている小中学校もある。都内の教員が語る。
「新型コロナの流行もあって、全学年の運動会ができなくなったときに学年別に時間帯を決めて保護者に見てもらうスタイルにするために『体育学習発表会』という名称にする学校が増えました。要するに“体育の授業参観”といった位置づけです。接触がある騎馬戦などはなくなり、ソーシャルディスタンスが取れるダンスが増えたのもその時期です」
「競争」自体は悪いものではない
コロナが明けてもその流れが続き、「戦う」「競争する」といったスタイルが減った要因になったようだ。
勝ち負けのない運動会について、教育評論家の石川幸夫氏は、「“競争”というものへの過剰反応を感じます」と指摘する。
「“他人を蹴落とす”のようなネガティブなイメージをセットで持っている人もいるのでしょうが、競争それ自体は、決して悪いものではありません。
競争は、子どものモチベーションを高めることにも繋がります。また、負けをきっかけに『じゃあ次はどうすればいいだろう?』と考えたり、自分の感情をコントロールする術を身につけることもできるでしょう。指導のやり方次第で、子どもたちにとって競争はいくらでも有意義な学びの場となります。競争というもの自体を頭ごなしに否定してしまうのは、もったいないのではないでしょうか」
運動会から競争性を廃する動きは、文部科学省が推し進めているものなのだろうか。同省に問い合わせたところ、以下のような回答だった。
「学習指導要領において、運動会は特別活動、その中でも“健康安全・体育的行事”に位置づけられており、心身の健全な発達や健康の保持増進、安全な行動や規律ある集団行動の体得、運動に親しむ態度の育成、責任感や連帯感の涵(かん)養、体力の向上といった狙いがあります。
そういった趣旨を踏まえた上で、実際の運動会の内容などは各学校の中で検討されています。文部科学省のほうで運動会から競争性を廃するような提言をしているわけではありません」(文部科学省の担当者)
子どもたちが心の底から楽しめ、成長にもつながるのが一番の形だ。
みんなのコメント
- 勝敗をつけなければ、なんの為に運動会をするのか?甚だ疑問だ
- 本当にこういう話が出る度に 「偽善」を感じる。 子供達は、この後、弱い心のまま実際の社会に出る事になる。 そして、現実の競争の厳しさを知ることになる。 大人達の偽善が子供達を弱く、脆くさせている
- なぜ子供たちの成長を止める事をわざわざするか!?
- 「フレー! フレー! 自分」って なんか自己啓発セミナーっぽい
- 受験戦争 就職戦線 企業戦士 時代が変わっても「戦」が付いているんですね
- 日本弱体化が着々と進んでいますね。戦争/侵略は武力だけじゃない。内部に暗躍する敵どもを排除し、最も厄介である無能な味方を一掃しなければ、日本は大変な事になると、最近つくづく感じる
- これってさ、大人になって何か大きな壁にぶつかった時自ら命を断つ人が今より増える気がするんだけど
- 一生懸命勝負して、結果を受け入れるように諭すのが正しい教育
- 負けて悔しい できなくて悔しい そういう意識を持たせ「負けた」「できなかった」ことに対して『では、どうする?』ということを考えさせる人間を作るのが教育だ。 『では、どうする?』と建設的に考える部分が育たない人間は社会の荷物(迷惑)にしかならない。 サヨクみたいな奴らのことだ
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