【は?】マスゴミ「テレビ、新聞→公平な報道」「SNS→規制なし!」

以下X(旧Twitter)より

kakikoSHOPさんの投稿】いつまでこんなウソが通用すると思っているんだ。公平な報道をしている?おいおい。東京都知事選で日本第一党を完全に無視した。衆議院東京15区補選で保守党の候補者を隠した。不公平な報道を全部書いたら書ききれない。いつまでこんなアホな報道を続ける。

引用元 https://x.com/shop_kakiko/status/1858683627858784288

みんなのコメント

  • テレビや新聞が公平な報道をしているというのはもはや幻想だ。特定の候補者や政党を意図的に無視するやり方に嫌気がさす。
  • SNSを規制しようとする前に、まず自分たちの報道が偏っていないかを見直すべきだ。マスコミの不公平な態度こそ問題だと思う。
  • 東京都知事選や補選での扱いを見ると、メディアは公平性を無視しているとしか思えない。これで公正な報道と言えるのか。
  • SNSが危険だと言うが、マスコミも誤報や偏向報道が多い。まず自分たちが正確で公平な報道をするべきだ。
  • 特定の候補者を完全に無視する姿勢には呆れる。これが「公平な報道」とは笑わせる。国民の知る権利を奪っている。
  • SNSを叩いても、自分たちの影響力が戻るわけではない。視聴者や読者がメディアを信用しなくなった理由を考えた方がいい。
  • テレビや新聞が公平であるなら、なぜ特定の候補者を意図的に扱わないのか。これでは民主主義が成り立たない。
  • 公平な報道を標榜するなら、すべての候補者に平等な機会を与えるべきだ。それができないのは、もはや意図的な操作だろう。
  • SNSを批判する前に、自分たちがどれだけ偏向報道を繰り返してきたかを振り返るべきだ。視聴者を騙せる時代は終わった。
  • テレビや新聞が公平と言うが、選挙報道を見れば一目瞭然だ。不都合な候補者を隠すやり方が公平とは到底思えない。
  • SNSが問題視されるが、少なくとも多様な意見を知ることができる場だ。マスコミの偏向報道よりはるかに価値がある。
  • 公平な報道とは、すべての候補者や政党を等しく扱うことだ。それができないメディアがSNSを批判する資格はない。
  • テレビや新聞は視聴者を操作する意図が見え隠れしている。これでSNSを規制しようとするのは自己保身以外の何物でもない。
  • 選挙報道での扱いを見る限り、テレビや新聞が「公平」を語る資格はない。SNSを叩く暇があるなら自分たちを省みるべきだ。
  • SNSを問題視する理由は明白だ。自分たちの影響力が低下しているからだろう。それを認めたくないだけだ。
  • 公平な報道がなされていない現状を見ると、国民がSNSに頼るのは当然だ。テレビや新聞が信頼を失ったのは自業自得だ。
  • SNSは危険と言うが、マスコミが都合の悪い事実を隠す方がよほど危険だ。視聴者を愚弄する態度には反発しか感じない。
  • テレビや新聞が信頼されなくなった理由を理解していない。公平性を欠いた報道が視聴者の信頼を失った原因だ。
  • SNSの規制を求めるのは、自分たちの立場を守るためだろう。国民が真実を知る手段を奪うような行為は許されない。
  • テレビや新聞がSNSを批判するたびに、どれだけ自分たちが不公平だったかを思い出すべきだ。信頼を取り戻すには自己改革しかない。

編集部Aの見解

テレビや新聞が「公平な報道」を標榜し、SNSに対して「規制がないから危険だ」と批判する姿勢には、強い違和感を覚えます。そもそも、テレビや新聞が果たして本当に公平な報道を行っているのかという疑問が拭えません。最近の報道姿勢を見ていると、特定の意図や立場が見え隠れしており、「公平」という言葉が薄っぺらく感じられます。

東京都知事選の際、日本第一党がほとんど無視された報道姿勢には、多くの人が違和感を覚えたのではないでしょうか。候補者はすべて公平に扱うべきなのに、一部の候補者だけが注目され、他の候補者は完全に黙殺される。これでは視聴者や読者が選挙全体を理解し、正しい判断を下すことが難しくなります。公平な報道とは名ばかりで、実際にはメディア側が選挙の流れを操作しているようにさえ思えます。

また、衆議院東京15区補選でも同様の現象が見られました。保守党の候補者がほとんど報じられなかったことは、報道の偏りを象徴する出来事です。選挙において、どの候補者も等しく取り上げられるべきです。それが民主主義の基本であり、メディアの役割です。しかし、現実にはその基本が守られていないケースが多々あります。これはメディアに対する信頼を大きく損ねる行為です。

一方、SNSは規制がなく危険だと批判されることが多いですが、それは公平な議論を可能にする場でもあります。テレビや新聞が取り上げないテーマや意見が、SNSでは自由に発信されています。確かに誤情報や偏った意見が拡散されるリスクもありますが、それを理由にすべてを危険視するのは行き過ぎです。むしろ、SNSが既存メディアでは取り上げられない情報を共有する場として機能している現実を認めるべきではないでしょうか。

メディアがSNSを批判する背景には、自分たちの影響力が低下していることへの焦りがあるのかもしれません。以前はテレビや新聞が情報を独占し、世論を形成していました。しかし、SNSが普及した現在では、誰もが情報を発信できる環境が整い、メディアの独占的な立場が崩れつつあります。その変化を受け入れず、SNSを批判するだけでは、メディア自身が時代の流れに取り残されるだけです。

公平性を欠く報道は、単に一部の意見や勢力を隠すだけでなく、国民の知る権利を奪っています。視聴者や読者は多様な意見に触れることで、自分なりの判断を下すことができます。それをメディアが意図的に制限するのは、民主主義にとって有害です。SNSがその役割を補っている現状を考えると、メディアが公平性を保たない限り、信頼を取り戻すことは難しいでしょう。

メディアに求められるのは、特定の立場に偏らず、すべての意見や情報を公平に伝えることです。東京都知事選や東京15区補選のような事例は、メディアの信頼を損なうだけでなく、国民の政治的判断に悪影響を与える可能性があります。そのような事態を避けるためにも、メディアは自らの報道姿勢を見直し、公平性を取り戻す努力をするべきです。

また、SNSの危険性を指摘する前に、メディア自身が誤情報や偏向報道を防ぐ取り組みを徹底するべきです。視聴者や読者がメディアを信頼できるようになるためには、透明性を高め、公平性を実現することが不可欠です。それができない限り、SNSが情報共有の場として支持され続けるでしょう。

結局のところ、メディアが自らの役割を果たさず、SNSを批判するだけでは何も変わりません。視聴者や読者は、既存のメディアに対してますます不信感を抱くでしょう。公平な報道を実現することで初めて、メディアは信頼を取り戻し、健全な情報社会を築く一助となれるのではないでしょうか。

執筆:編集部A

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