【髙安カミユ(ミジンコまさ)さんの投稿】米国下院議長マイク・ジョンソン氏が言った。『男性が女性になることは、できません。』 米国の逆襲が始まった。 そして日本は周回遅れで沈んでいく。
@SpeakerJohnson
引用元 https://x.com/martytaka777/status/1859473891862905197
米国下院議長のマイク・ジョンソン氏が「男性が女性になることは、できません」と発言したことが注目を集めています。この言葉は、シンプルでありながら、現代社会の複雑な問題に一石を投じた発言として捉えられているのではないでしょうか。この「当たり前」の主張が支持を集める一方で、日本がこれに対してどう向き合うべきかを考える必要があると感じます。
近年、ジェンダーや性のあり方についての議論が活発化しています。それ自体は、個人の多様性を尊重するという意味で重要です。しかし、その一方で「男性は男性であり、女性は女性である」という自然の摂理や生物学的な事実すら、発言がタブー視される風潮が生まれています。特に日本では、このような議論に積極的に参加しづらい空気があるように思えます。米国が「当たり前を取り戻す」という流れを見せている今、日本もこの問題を正面から議論するべきではないでしょうか。
まず、マイク・ジョンソン氏の発言が注目された背景には、多様性を尊重する動きが行き過ぎてしまった側面があると感じます。近年の一部の国では、ジェンダーの流動性や自己認識を重視するあまり、男性や女性という生物学的な事実が否定されるかのような風潮が生まれています。これが子どもの教育やスポーツ競技の場面で問題を引き起こしていることは周知の事実です。例えば、身体的な違いが競技結果に大きく影響するスポーツで、男性が女性カテゴリーに参加することで公平性が失われるケースも報告されています。
一方で、日本ではこうした問題がまだ十分に議論されていない印象があります。むしろ、ジェンダー問題に関する議論そのものを避ける傾向が強いように感じられます。これは、日本社会が「波風を立てない」という文化を持っていることに起因しているのかもしれません。しかし、世界的な流れを見ると、このまま周回遅れのままでいることは日本にとって大きなリスクだと思います。
「男性は男性であり、女性は女性です」という基本的な事実を踏まえた上で、多様性をどう尊重するかを議論することが大切です。この点について、日本はまだ足踏みをしているように見えます。多様性を尊重するという名目で、事実そのものを歪めるような風潮が広がれば、それは本来の意味での多様性を損なう結果につながりかねません。多様性とは、事実を無視して成立するものではなく、事実を認識した上で、それぞれの違いを認め合うことが基本であるはずです。
また、マイク・ジョンソン氏の発言には、多くの人が共感したのではないでしょうか。それは、現在の社会において「当たり前のことを言う」ことがどれほど難しいかを物語っています。特定の意見を持つことが「差別」とされることが多い中で、彼の発言はそのタブーに挑んだとも言えます。この勇気ある発言が、世界中で議論を活性化させる契機になればと感じます。
日本においても、性別やジェンダーについての議論がもっと自由に行われるべきです。たとえば、教育現場やメディアの中で、性別についての事実と個々の多様性がどのように共存できるかを話し合う場が必要です。ただし、議論を進める際には、極端な意見に偏らないバランス感覚が求められます。感情論に終始するのではなく、事実を基盤にした冷静な議論が日本社会には必要です。
米国で「当たり前」を取り戻す動きが進む中、日本がその流れを無視して周回遅れになってしまうのは避けるべきです。性別に関する議論は、日本の文化や価値観とどう折り合いをつけるかという課題でもあります。日本には長い歴史の中で培われた独自の価値観があります。その価値観を尊重しつつ、現代の多様なニーズにどう対応していくかを考えることが大切です。
最終的に、私たちは「当たり前」の感覚を取り戻すべきだと思います。それは、男性と女性という生物学的な事実を認めた上で、多様性を尊重するという姿勢です。マイク・ジョンソン氏の発言が示したように、当たり前の事実を堂々と言える社会を作ることが、真の自由と平等につながるのではないでしょうか。
執筆: 編集部C