【裕子さんの投稿】日本のそう遠くない風景。
引用元 https://x.com/kkkfff1234k/status/1845086954364502100
日本の風景と移民増加による変化についての考察
私は近年、日本の風景が少しずつ、そして確実に変わりつつあることを感じています。その変化の一因として挙げられるのが、移民の増加です。日本は少子高齢化が進む中で、経済や労働力の確保を目的に外国人労働者の受け入れを拡大してきました。これによってさまざまな分野で人手不足が補われ、経済活動が支えられているのは間違いありません。しかし、移民が増えることで日本の「当たり前」とされるマナーや生活文化に変化が生じつつあるのもまた事実です。この現象について、私なりに考えてみました。
まず、移民の増加によって、日本独自のマナーが影響を受けていると感じる場面が増えてきました。例えば、公共交通機関や観光地での行動です。日本では暗黙の了解として、電車の中で静かにすることや公共の場での清潔さが重要視されています。しかし、異なる文化背景を持つ移民が増えることで、その「当たり前」が破られる場面が少なくありません。大声での会話や、ゴミの不適切な処理といった行動を目にする機会が増えているのは確かです。これが日常の風景に馴染んでいた日本人にとって、少なからず違和感を生じさせているのではないでしょうか。
日本のマナーや文化は、日本人の生活習慣や価値観に深く根ざしています。そのため、急激な変化にはどうしても抵抗を感じてしまいます。もちろん、異文化を尊重し、お互いに理解を深めることは重要です。しかし、日常の生活で目にするこれらの変化が積み重なることで、日本の風景が以前のものとは異なるように見えることが少なくありません。この違和感は、私が日本という国に抱いているアイデンティティーが少しずつ変わっていくことを示唆しているのかもしれません。
もちろん、移民の増加による変化がすべて悪いわけではありません。異なる国からの文化が融合することで、日本に新たな活気が生まれています。レストランや店舗で様々な国の料理が手軽に楽しめるようになったり、外国語の表記が増えたりと、国際化の恩恵も感じられます。しかし、日本人として「これだけは守ってほしい」という部分が変わってしまうことには、どうしても不安を抱かずにはいられません。
さらに、移民の増加に伴い、日本社会における「コミュニケーションのズレ」も懸念されています。言葉の壁があることで、些細なことでも誤解が生じやすく、トラブルの元になることもあります。また、文化や価値観の違いから生まれる誤解が、マナーのすれ違いに繋がることも少なくありません。例えば、日本人が礼儀として重視する「周りへの配慮」や「控えめな態度」が、他国では必ずしも同じように理解されていないことがあります。こうした文化的な違いが原因で、日本人が大切にしているマナーが少しずつ薄れてしまうことに、私は寂しさを感じています。
移民受け入れは、日本の未来にとって欠かせない要素であることは理解しています。高齢化社会が進む中で、経済や産業を支えるためには、多様な人材を受け入れることが不可欠です。しかし、その過程で日本独自のマナーや生活文化が失われてしまうようであれば、それは本当に「豊かな未来」と言えるのか疑問です。日本の魅力は、何よりもその独自性にあります。だからこそ、外国から来た人々にも日本のマナーや文化に触れ、共に守り、育んでいくような社会が理想だと考えます。
そのためには、私たち日本人も、移民が日本での生活に適応しやすい環境を整える努力が求められています。教育や地域でのサポート体制を強化することで、移民の方々が日本のマナーや文化を学びやすくすることが重要です。また、コミュニケーションを促進し、お互いに理解を深める場を設けることも大切でしょう。多様性を受け入れる中で、どのようにして日本らしさを守りつつ、新たな価値観を共存させるかが、これからの日本社会の課題です。
私は、移民が増えることで生じるこの変化を完全に否定するつもりはありません。異文化との触れ合いから学べることも多く、新しい視点を持つことで自分自身も成長できると感じています。しかし、その一方で、これまでの日本の風景や価値観が失われることへの懸念もぬぐえません。移民の増加がもたらす変化をただ受け入れるだけでなく、私たち日本人が主体的にその変化と向き合い、共に歩んでいくことが必要だと思います。日本がこれからも「日本らしさ」を保ち続けられるようにするために、移民との共存に向けた新たな取り組みが求められていると感じています。
執筆: 編集部C