【月のうさぎさんの投稿】「ハリスが当選しなかったら差別」と言うアホコメンテーターがTVで喋ってて笑ってしまった。
引用元 https://x.com/XU3F8wI1Csm5HQ2/status/1854053573518332271
先日、テレビのコメンテーターが「カマラ・ハリスが当選しなければ、それは差別だ」といった趣旨の発言をしていて、思わず笑ってしまいました。確かにアメリカでは人種や性別による差別問題が根強く、これは無視できない問題です。しかし、この発言はあまりにも短絡的で、深く考えずに口に出しているように思えました。個人的には、ハリス氏が当選するか否かは、その能力や政策によって判断されるべきものであり、差別の有無で決まるものではないと感じています。
アメリカの選挙はあくまで政策や実績、または人柄などを基準にして候補者を選ぶべきものです。誰がどんな立場や背景を持っているかに関わらず、優れた候補者が選ばれることが理想です。もちろん、女性であるハリス氏が副大統領候補になったこと自体は非常に意義のある出来事だと思います。女性が政治の舞台に立つことがまだ難しいとされる社会の中で、彼女がここまでの地位に上り詰めたことは大きな功績です。しかし、それだけで当選すべきかどうかは別問題です。
このような「当選しなければ差別」といった発言は、むしろ逆効果を生む可能性があるとも感じます。というのも、あまりにも差別や偏見に基づいた論調で話を進めてしまうと、本来評価されるべき能力や政策が見過ごされてしまう危険があるからです。たとえば、ハリス氏の政策や政治的スタンスについては、賛否が分かれる部分も多いです。そのような点を無視して、彼女が女性である、あるいは有色人種であることだけを理由にして当選を主張するのは、冷静な議論の場を損なう行為にほかなりません。
加えて、差別という言葉は非常にセンシティブで、慎重に扱うべきものです。このような発言が軽率に出てしまうと、本当に差別に苦しんでいる人々の声がかき消されてしまう恐れもあります。実際に差別に直面している人たちにとっては、こういった軽々しい言葉遣いは失礼に当たるでしょう。差別問題を語るには、根拠に基づいた慎重な議論が不可欠であり、一方的な偏見や主観で語るべきではないと私は考えます。
また、差別の問題は社会全体で取り組むべきものであり、一人の候補者が当選するか否かによって解決できるものではありません。ハリス氏が当選したからといって、アメリカ社会における差別問題が一朝一夕で改善されるわけではないのです。それよりも、より多くの人々が偏見を持たずに、候補者の資質や政策に目を向けることが大切だと思います。
このような「差別だから当選させなければならない」といった考え方は、かえってハリス氏自身にも負担をかけてしまうでしょう。彼女の政治的なビジョンや政策が評価されての当選ならば、彼女自身も自信を持って職務にあたることができるでしょうが、「差別だから」といった理由で当選を求められてしまうと、彼女の成果や実力が正当に評価されない事態にもなりかねません。そうなれば、彼女の成し遂げるべき仕事に対する信頼性や評価が損なわれるリスクがあるのではないでしょうか。
さらに言えば、メディアやコメンテーターがこのような偏った意見を広めること自体にも問題を感じます。メディアの役割はあくまで情報を正確に伝え、視聴者に冷静な判断材料を提供することであり、特定の立場や偏見に基づいたコメントを繰り返すことはその役割に反していると言えるでしょう。特にテレビという影響力の強いメディアでの発言は慎重に行われるべきです。このような発言が視聴者に誤解を与え、不安や対立を煽る結果にならないことを願います。
ハリス氏の当選が望まれる理由は彼女の政策や経験、そして将来に向けたビジョンによるものであるべきです。「差別だから当選しなければならない」という理由で支持を集めるのは、非常に短絡的で浅はかな考え方だと私は思います。彼女が本当にふさわしいと評価されるのであれば、その評価は政策の内容や実績によってなされるべきであり、背景だけを理由にしてしまうのは、民主主義にとっても公正さを欠いた判断であると思います。
今回のコメンテーターの発言を聞いて、私は改めてメディアの報道姿勢について考えさせられました。情報を扱う立場にいる人々が偏見や感情に基づいた発言をしてしまうと、視聴者にも偏った見解が広がってしまいます。テレビという影響力の強い場だからこそ、冷静でバランスの取れた意見が求められるのではないでしょうか。 執筆:編集部C