【月のうさぎさんの投稿】
引用元 https://x.com/XU3F8wI1Csm5HQ2/status/1853370887032246434
最近、外国人が日本風の名前を名乗り、日本人のふりをしてメディアに出ているという話題を耳にすることが増えました。このような行為を通じて日本を批判するような内容を発信することに対して、非常に強い違和感と不快感を覚えます。私にとって、日本風の名前を名乗りながら日本人のように振る舞うのは、日本に対する尊重や敬意が欠けているように感じられるのです。日本人としての誇りを持つ者からすれば、これは許しがたい行為と言えるでしょう。
外国人が日本の文化や名前に興味を持つことは喜ばしいことではありますが、それを悪用して日本人を装い、ネガティブな発言を広める行為は別です。メディアを通じて発言する場合、名前は視聴者や読者に強い印象を与えるものです。日本風の名前を名乗ることで、あたかもその意見が「日本人としての本音」であるかのように見せかけられることに、計算高い意図を感じずにはいられません。日本の社会や文化についての批判が必要な場合でも、日本人を装って日本を下げるようなやり方ではなく、正々堂々と自分の本名や本来の背景を明かして意見を述べるべきではないでしょうか。
また、こうした行為によって、海外の人々が「日本ではこうした意見が一般的なのか」と誤解をしてしまう可能性もあります。外国人が日本風の名前を用いて発信する意見が、あたかも「日本人の総意」であるかのように受け取られ、日本全体のイメージが歪められることは非常に危険です。こうした行為が続くと、日本人としての誇りや価値観が損なわれるだけでなく、日本が国際社会で誤った印象を持たれてしまう恐れもあります。
例えば、日本社会の慣習や生活スタイルについて批判的な意見を発信する際にも、「私は日本に住んでいてこう感じます」と言えば、相手も納得できる部分はあるかもしれません。しかし、これを「日本人として私はこう感じる」という形で表現されると、それを信じる人々にとっては、その発言が日本人全体の考え方であるかのように捉えられてしまうのです。こうしたミスリーディングな方法で日本のネガティブな情報を広めることは、日本のイメージに対する悪影響を及ぼし、文化的な誤解や偏見を助長することにつながりかねません。
私たちが自国の文化や伝統に誇りを持ち、それを正しく理解してもらうためには、やはり自らの意見や文化を正直に発信する姿勢が大切です。それは、批判的な意見であっても同じことです。日本についての問題提起をしたいのであれば、まずは日本の文化や価値観についての深い理解を持ち、それを踏まえた上で発信するべきだと考えます。そうでなければ、表面的な批判に過ぎず、真の意味での日本理解や国際的な共感は得られないでしょう。
日本に関する批判的な意見を述べる際にも、日本人としてのアイデンティティを悪用することなく、自身の立場を明らかにして発言することで、誠実なコミュニケーションが生まれると思います。なりすましや偽名で発信することで信頼を損ねてしまえば、その意見の価値も下がってしまいます。批判には、自己の立場を明確にし、誠意ある態度が求められるのです。
また、日本風の名前を使用していることで、意見に対する反論や疑問も表面化しづらくなる点も問題です。日本人としての立場を装うことで、外国人の立場からの「偏った見方」ではないと誤解される可能性もあります。このように、なりすましが助長されることで、公正な意見交換が阻害され、正しい議論が行われにくくなってしまいます。真の意味での国際交流や理解を深めるためには、まずは正直で透明性のあるコミュニケーションが不可欠だと思います。
外国人の視点が日本にとって新たな視点をもたらし、改善点を見出すことも確かにあります。しかし、日本風の名前を名乗り、あたかも日本人であるかのように振る舞うのは、日本人全体を利用する行為であり、あまりにも不誠実です。こうしたやり方では、日本に対する尊敬や理解があるとは思えません。日本での経験や意見があるならば、なりすましではなく、堂々と自分のバックグラウンドを明かして話すべきです。その方がより信頼感も生まれるでしょうし、率直な意見も受け入れやすくなるはずです。
日本人のふりをしてまでネガティブな発言を行う行為は、国際的な観点から見ても失礼で不誠実だと感じます。本来、他国の文化を尊重し、理解しようとする姿勢があれば、日本人の名前を悪用することなどしないはずです。そうした行為が目立つことで、日本人としての誇りや信頼感が損なわれていくのは本当に残念でなりません。
結論として、外国人が日本風の名前を使い、日本を批判する行為は、日本の文化や価値観への理解不足を露呈していると感じます。日本について意見を述べる際には、やはり自らのアイデンティティを明かし、正々堂々と発信するべきではないでしょうか。日本にとっても、そして外国人自身にとっても、それがより良い国際的な理解と信頼の土台を築くことにつながると信じています。
執筆:編集部C