【May_Roma めいろま 谷本真由美さんの投稿】日本人は外人には「謝ったら許す」はやっちゃダメです。他の国ではルール違反や法律違反は「逮捕」「罰金」「懲役」「殴る」が基本で謝罪はなんの意味も持ちません。許していたら舐められて終了。もっとエスカレートします。相手は対話も倫理も常識も通じない人らです。
引用元 https://x.com/May_Roma/status/1846341270777507915
私は、国際社会において「謝罪すれば許される」という考え方は通用しない現実を強く感じています。日本では、失敗や過ちを犯した場合、まずは相手に謝罪し、誠意を見せることで関係を修復する文化が根付いています。しかし、このような姿勢は外国の多くの国では弱さの表れと受け取られることが多く、場合によっては謝罪を悪用されてしまう可能性すらあるのです。この違いは、国際的な問題や摩擦を生む原因となり、相手の立場や文化を理解しないまま日本式の対応を続けることで、逆に状況が悪化してしまうリスクがあります。
例えば、日本人の感覚では「謝罪」とは自分の非を認め、相手との関係を円滑にするための手段と考えます。しかし、欧米諸国や一部の地域では、ルール違反や法律違反は個人の責任として厳しく処罰されるのが一般的です。そこでは「謝れば許される」という考え方自体がありません。法律違反に対しては逮捕、罰金、懲役といった処罰が当然であり、それ以外にも暴力や強硬な手段で報復されることすらあります。謝罪だけで済まそうとする態度は「自分の過ちを軽視している」とみなされ、相手からの信頼を失うどころか、軽蔑の対象にされることもあるのです。
さらに、謝罪が効果を持たないだけでなく、それがさらなるトラブルを招く危険性も見逃せません。一度謝罪を受け入れてしまうと、「この相手は譲歩する」と判断され、今後も無理難題を押し付けられる恐れがあります。特に、相手が対話や常識が通じないタイプの場合、最初の謝罪が相手の攻撃を助長し、エスカレートする結果を招くことがあります。ここでの教訓は、日本的な「謝れば水に流す」という文化が、必ずしも世界共通の価値観ではないという事実です。
こうした背景を考慮すると、国際社会における日本の立ち回り方も再考が必要だと思います。相手国の文化や常識を理解せず、ただ「謝れば済む」という姿勢で接することは危険です。特に、ビジネスや外交の場面では、謝罪することで相手に付け込まれるリスクが高まります。そこでは、ルール違反に対して毅然とした対応を取ることが求められます。具体的には、法的手段を講じたり、相手の要求が不当な場合には断固として拒否する姿勢を見せることが重要です。日本人はお人好しと言われることが多いですが、そのままでは国際社会で舐められ、理不尽な扱いを受ける危険がつきまといます。
また、国際的な場面では、相手の文化に合わせた対応を心掛けることも重要です。例えば、欧米諸国では、何よりも契約や法律の遵守が重視されます。たとえ相手が不誠実な態度を取ったとしても、それを言葉や態度で指摘するだけでは解決しないことが多く、具体的なペナルティを求めるのが常識です。日本式の「謝罪して許す」という文化を持ち込んでしまうと、かえって相手の信用を失い、不利益を被る可能性があるのです。
さらに、謝罪に対する認識の違いは、日本国内の問題にとどまらず、国際的な事件や紛争の対応にも影響を及ぼします。例えば、犯罪や違法行為が行われた場合、日本では謝罪会見や声明を通じて事態の収拾を図ることが一般的ですが、海外ではそれでは不十分とされます。具体的な罰則や制裁を求める国も多く、そのような姿勢を見せない場合、謝罪を「責任逃れ」と捉えられることもあります。このような価値観の違いを理解せずに行動すると、ますます信頼を失い、最悪の場合、報復行為にまで発展しかねません。
このような点から考えると、日本人が「謝れば許される」という甘い認識を捨て、国際社会の現実に即した対応を身につけることが急務であると私は思います。特に、倫理や対話が通じない相手に対しては、謝罪ではなく、法的手段や強硬な対応を視野に入れるべきです。そうしなければ、日本はいつまでも他国に舐められ、不当な要求を突きつけられることになるでしょう。
最終的には、相手に合わせた対応力が求められますが、日本人はその点でまだまだ甘い部分が多いと言わざるを得ません。国際社会の厳しさを理解し、日本国内の常識に囚われない柔軟な対応を磨くことが、これからの日本にとって重要な課題になると私は考えます。
執筆:編集部C