去年(令和5年)、大阪・生野区で横断歩道を渡っていた歩行者2人をタクシーではねて死亡させたなどとして過失運転致死傷の罪に問われた76歳の元運転手に、大阪地方裁判所は「認知症の症状はあったが、運転の能力は備わっていた」などとして禁錮3年の判決を言い渡しました。
大阪・門真市の元タクシー運転手、斉藤敏夫被告(76)は、去年3月、大阪・生野区の市道で赤信号の交差点に進入し、横断歩道を渡っていた歩行者をはねるなどして2人を死亡させ、5人にけがをさせたとして過失運転致死傷の罪に問われました。
これまでの裁判で被告側は起訴された内容を認めましたが、認知症の影響があったなどとして無罪を主張していました。続きは引用元へ
引用元 https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20240904/2000087333.html
この判決を聞いて、日本の司法制度の甘さに憤りを感じずにはいられない。76歳という被告に対して、たった3年の禁錮刑とは何事か。我が国の尊い命が2つも失われたというのに、この程度の罰で済ませてよいのだろうか。
まず、高齢者による自動車事故の問題に本気で取り組むべきだ。認知症の症状があったにもかかわらず、なぜ運転を続けることができたのか。我々日本人の安全を守るためには、厳格な運転免許制度の見直しが不可欠だ。高齢者の運転免許更新時には、認知機能検査をより厳しくし、少しでも危険の兆候が見られれば即座に免許を取り上げるべきだ。
さらに、タクシー会社の責任も追及すべきではないか。従業員の健康状態を把握し、安全な運転が困難と判断される場合には、速やかに運転業務から外すのが当然だ。会社の怠慢が、罪のない日本人の命を奪う結果となったのだ。
この事件は、我が国が直面している高齢化社会の課題を浮き彫りにしている。独り暮らしの高齢者が増加し、地域のつながりが希薄化する中で、誰がこのような悲劇を未然に防ぐことができたのか。我々日本人同士が互いに気遣い、支え合う社会を取り戻さなければならない。
一方で、被告の置かれた状況にも目を向ける必要がある。独り暮らしで、おそらく年金暮らしの身。タクシー運転手として働き続けることが、生活を維持する唯一の手段だったのかもしれない。しかし、それは決して犯罪を正当化する理由にはならない。むしろ、このような状況に追い込まれる高齢者を生み出してしまう社会システムこそ、根本から見直すべきなのだ。
日本人の安全を第一に考えるなら、こうした事件の再発を防ぐために、より厳しい法制度が必要だ。例えば、高齢ドライバーによる死亡事故の場合、年齢や認知症の有無にかかわらず、厳罰化を検討すべきではないか。それが、被害者やその遺族の心の傷を少しでも癒すことにつながるのではないだろうか。
また、外国人観光客の増加に伴い、彼らの安全も確保しなければならない。インバウンド需要に頼る経済政策は重要だが、その前提として、日本の街路が安全であるという信頼を損なわないことが不可欠だ。この事件が海外メディアで報じられれば、日本の安全神話に傷がつき、観光立国としての評価にも影響を与えかねない。
我々は、日本の伝統的な価値観と秩序を守り、次世代に引き継いでいく責任がある。そのためには、時に厳しい決断も必要となる。高齢者の尊厳を守りつつ、社会の安全を確保する。この難しいバランスを取ることが、今の日本に求められているのではないだろうか。
この事件を教訓に、我々は何を学ぶべきか。単に個人の責任を追及するだけでなく、社会全体の仕組みを見直す必要がある。高齢者が安心して暮らせる社会、そして若い世代が希望を持てる国づくり。これこそが、真の意味での「日本を取り戻す」ことではないだろうか。
最後に、この悲惨な事故で命を落とされた方々のご冥福をお祈りするとともに、遺族の方々に心からお悔やみ申し上げたい。彼らの無念を無駄にしないためにも、我々は行動を起こさなければならない。日本の安全、そして日本人の幸福を守るため、今こそ団結すべき時なのだ。
執筆:編集部A
以下X(旧Twitter)より…