「日本敵視」の中国人がなぜ日本へ来るのか[大紀元]

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大紀元の記事によると…

「日本敵視」の中国人がなぜ日本へ来るのか

大阪・勝尾寺の達磨アートを中国人観光客が破壊した事件は、日本人に強い違和感を残した。台湾を象徴する奉納物を意図的に破壊し、幼い子どもの前で破壊行動を続けた中国人観光客の姿は、多くの人が理解しがたいものだった。前回の記事では、専門家・唐浩(タン・ハオ)氏が「中国では小学生の頃から『台湾は敵』『日本は敵』『アメリカは敵』といった敵視教育が繰り返される」と指摘した。

[全文は引用元へ…]2025/12/08 会員限定

以下,Xより

【湯浅忠雄 YUASA TADAOさんの投稿】

引用元 https://www.epochtimes.jp/share/335860?utm_campaign=socialshare_twitter&utm_source=twitter.com

みんなのコメント

  • 私は日本でも他の国に行っても見た目が中国人に見られることが多く、冷たい対応をされることも多いのですが、他国で辛いとき普通に話してくれたのは中国人でもありました。日本人は自分が日本人だから違うと思う人もいると思いますがヨーロッパなんか行くと中国人、アジア人としてしか見られないものです。
    中国人って嫌われてて誤解されてる部分もある、でも色んな意味で心の強さもあったりしそうです。
    そして、エポックタイムズの記事や実際私が職場や日常で中国人と少し関わるようになってからですが、中国の人は日本人より色んなしがらみや面子があるみたいだと考えるようになりました。
    どんな国の人でも物事ひどいやり方などはいいとは言えませんが、こういう記事を読むと改めて色んな角度から考えてみる必要があると思いました。
    中国の昔話や教えにはいいものがあるのにいつからそういう教えがされなくなったのか…本当にそう思います
  • 「我々は充分体験した。」
    同意です。
    私たちは充分我慢した。
  • この記事を読み思い出したことがある。
    それはスタンフォード大学での実験で「看守と囚人」である。
    人は染まれば益々エスカレートしてしまう事を教えてくれた内容だ。
    党性と人性との各個人の内面での「良心の呵責」は想像がつく。だからと言って我々は寛容になる必要があるのだろうか?
    同情した結果、何を起こされた事か。
    普通であれば、「自制心」が働くはずと思うのが日本人。だが、現実の中国人は違う。
    今、日本を含め世界は中国に対して、中国国内で言論の自由が完熟するまで、距離を取る事では無いだろうか。文化的、経済的交流は全て持ち出しだ。むしろ日本などでは日本の法律を悪用されている様にさえ思う。
    我々は充分体験した。
    これからは振り回されたくはない。

japannewsnavi編集部の見解

中国人観光客による勝尾寺の奉納物破壊事件と残された違和感

大阪・勝尾寺で展示されていた達磨アートが、中国人観光客によって破壊されたという報道を目にした時、胸の奥に重たい感情が残りました。台湾を象徴するとされる奉納物を、幼い子どもの前で意図的に破壊していたと伝えられています。日本を訪れながら日本文化を傷つける行為は、社会的なマナーや相手国への敬意という点で多くの人に理解しがたいものでした。日本人の多くは礼節を重んじ、訪れた場所への配慮を当然と考えることが多いからこそ、この事件は小さくない波紋を広げたのだと思います。

専門家・唐浩氏は、中国では幼少の頃から「台湾は敵」「日本は敵」「アメリカは敵」といった教育が繰り返されていると述べています。こうした背景が、中国国外での振る舞いに影響している可能性も考えられます。ただし、中国人が皆そうであるというわけではなく、実際には親切な人も多く、私が海外で困った時に最も普通に声をかけてくれたのは中国人だった、という経験を持つ人もいます。日本にいると自分は日本人として受け入れられている感覚がありますが、ヨーロッパではアジア人として一括りに見られることもあり、その中で中国人は誤解を受ける場面もあると聞きます。それでも、生活の中で接してみると、彼らなりの心の強さや誇りを感じる場面もあります。

ただ、今回の事件のように文化財や宗教的な奉納物を破壊する行為が報じられると、個人の良心と国家による教育の影響という問題に目を向けざるを得ません。日本としては、今後こうしたトラブルを回避するための方法を考える必要があると考えます。過度な敵視教育が行われているとすれば、個人の善意よりも集団心理が優先される危険が出てきます。では、私たちはどう向き合うべきなのか。責めるだけで問題が解決するとは限りませんが、安易な寛容が新たな損害を生む可能性も否定できません。

私が感じた中国社会のしがらみと文化の側面

私自身、中国人と関わる機会が増えたことで見えてきた点があります。中国には面子や上下関係といった文化的なしがらみが強く存在し、社会の中で立場や評価が強く意識されると感じる場面があります。日本人が「場の空気」を読むように、中国では「顔を立てる」ことが極めて重要なことがあります。小さな対立や誤解でも面子を傷つけることにつながり、時には感情的な行動につながってしまうこともあるのかもしれません。もちろん国民全体の特徴として断言することはできませんが、文化や価値観の傾向として理解する必要があります。

興味深いのは、中国には本来、儒教や古典文学に見られる優れた道徳観や格言が多く残っているという点です。先人が残した教えには、人としての節度や他者への思いやりを説く内容が豊富にあります。にもかかわらず、現代の教育や社会環境ではそうした教えが薄れてしまっているのではないか、という疑問も湧きます。歴史ある文化を持つ国だからこそ、良い部分が再び息を吹き返すことができれば、日中関係にも違う未来が見えるかもしれません。ただ、現時点では政治体制や言論統制など複合的な問題が横たわっており、すぐに解決されるとは考えにくい状況です。

今回の事件だけで国を一括りにすることは避けるべきですが、現実に発生したトラブルから学ばなければ同じ過ちが繰り返されてしまいます。互いの文化への理解がないまま交流を深めると、すれ違いや摩擦が生まれる可能性は高まります。だからこそ、冷静に事実と向き合いながら距離感を考える必要があると私は感じています。

スタンフォード監獄実験と集団心理から考える距離感

この記事を読み、私の頭に浮かんだのはスタンフォード大学で行われた「看守と囚人」の心理実験です。人は役割や環境に強く影響され、時に倫理観より集団心理が優先されてしまうという内容で、参加者の行動が予想以上に過激化したことが知られています。人間というのは状況によって人格が変化し、染まっていく存在であるという示唆を与える実験でした。国家による教育や社会の風潮が強ければ、個人の良心があっても行動を抑え込むことができなくなることがあります。まさに今回の出来事は、その危うさを想起させました。

「我々は充分体験した」「私たちは充分我慢した」というコメントに対し、同意する声が出るのも理解できます。過去にも日本では観光地の破壊行為が度々問題となり、その度に議論が繰り返されてきました。寛容であることは美徳ですが、結果として被害が大きくなれば意味を失います。だからといって排除や憎悪に傾くのではなく、適切な距離感を持ちながら互いに尊重し合える形を模索する必要があると考えます。文化的・経済的な交流は大切ですが、無条件で受け入れるべきではなく、日本の法律を悪用されるような環境を放置すべきではありません。問題を直視しつつ、現実的な線引きを行うことが大切です。

異文化との摩擦は避けられませんが、感情に流されず冷静に見つめ直すことが重要です。これからの交流は、過去の経験を踏まえながら慎重に進める必要があると感じました。同時に、善良な個人を十把一絡げに扱うことなく、国と人を分けて捉える視点も持ち続けたいと思います。歴史や教育、社会背景により行動が形成されるという現実を理解しつつ、日本としてできる対策と距離感を考えていくことが求められていると感じました。

執筆:japannewsnavi編集部

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