【照月さんの投稿】
引用元 https://x.com/teruduki1113/status/1893481837764497552?s=51&t=y6FRh0RxEu0xkYqbQQsRrQ
最近、SNSやメディアで「多様性」という言葉を頻繁に耳にするようになった。政治や社会、教育の分野においても、多様性を尊重することが重要だとされ、企業や学校もその流れに沿ってさまざまな施策を取り入れている。しかし、よく見てみると、「多様性を叫ぶ人たち」が、自分たちにとって不快なものや気に入らない意見には一切寛容になれないという矛盾があまりにも多い。
本来、多様性とは、異なる価値観や文化、意見を尊重し合うことを意味するはずだ。しかし、現実には、自分たちの主張に都合の良いものだけを「多様性」として認め、気に入らないものには攻撃的な態度を取る人が多いように感じる。多様性という言葉が、単なる「自分たちの意見を押し付けるための道具」として使われていないか、一度冷静に考えてみるべきだろう。
多様性という言葉は、英語では “diversity” と言い、元々は人種や性別、宗教、文化の違いを尊重し、共存する社会を目指す考え方として使われてきた。しかし、最近では**「自分と同じ意見を持つ人しか認めない」**という風潮が広がり、多様性とは真逆の方向へ進んでいるように思う。
例えば、政治や社会問題に関する議論で、「自分たちは多様性を尊重する」と言いながら、反対意見を持つ人を攻撃したり、排除したりするケースをよく見かける。これは明らかにおかしい。
本来、多様性を大切にするのであれば、自分と異なる意見を持つ人とも冷静に議論し、互いに理解を深める努力をするべきだ。しかし、現在の風潮では、多様性を掲げる側が、自分たちに都合の良い価値観しか受け入れず、異なる考え方を持つ人々を「差別主義者」や「時代遅れ」とレッテル貼りする場面が増えている。これでは、「多様性」というよりも、「思想の独裁」に近い状態になってしまう。
例えば、LGBTQの権利について議論する際、賛成する人もいれば、宗教的な価値観や伝統的な家族観を重んじる人たちが慎重な姿勢を取ることもある。しかし、多様性を叫ぶ人たちの中には、こうした慎重派の意見を「差別的だ」として封じ込めようとする人がいる。
もし本当に多様性を尊重するなら、LGBTQの権利を支持する人の意見も、慎重な立場を取る人の意見も同じように尊重されるべきではないだろうか? 一方的に「これが正しい」と決めつけ、異論を許さないのであれば、それは多様性とは呼べない。
また、グローバリズムを推進する人たちが、伝統的な価値観を大切にする人々を「排他的だ」と批判することもある。しかし、伝統を重んじる考え方もまた、一つの価値観であり、それも多様性の一部ではないのか? 多様性を認めるなら、グローバリズムの考え方も、ナショナリズムの考え方も、両方を尊重するべきだろう。
日本では「多様性」がしばしば「何でも受け入れること」と誤解されがちだ。例えば、外国人労働者の受け入れ拡大について、「多様性を尊重するためには移民を受け入れるべきだ」という主張がある。しかし、その一方で、「治安の悪化や文化の衝突が起こるのではないか?」と懸念する人々の声は「排外主義」と決めつけられ、まともに議論されないことが多い。
本来、多様性を推進するのであれば、「移民を受け入れるべき」という意見も、「日本の文化や安全を守るために慎重に考えるべき」という意見も、同じように尊重されるべきではないのか。どちらか一方の意見だけを「正しい」とし、もう一方を封じ込めるような態度は、決して多様性とは言えない。
多様性を叫ぶ人々の中には、「結局、自分たちの考えを押し付けたいだけではないか?」と感じることが多々ある。もし本当に多様性を大切にするなら、自分とは異なる価値観を持つ人々の意見にも耳を傾けるべきだろう。
例えば、保守的な考え方を持つ人々が、「日本の伝統や文化を大切にしたい」と言えば、それも一つの価値観として尊重されるべきだ。しかし、多様性を主張する人の中には、「それは古い」「グローバルな時代に合わない」と決めつける人が多い。これは、結局のところ**「多様性を求めているのではなく、自分たちの考えを押し付けたいだけ」**ということにならないだろうか。
結局、多様性とは「異なる価値観を尊重すること」であり、「自分と違う意見を排除すること」ではない。しかし、現代の風潮では、多様性を主張する人たちが、最も多様性を受け入れられないという矛盾が生じている。
結局のところ、多様性を本当に実現するには、異なる意見を持つ人々が対話をし、互いに理解し合うことが必要なのではないか。現代の「多様性」という言葉が、ただのスローガンではなく、本当に価値あるものになるためには、「自分と異なる考えも受け入れる」という姿勢が求められるのではないかと強く感じる。
執筆:編集部A