【照月さんの投稿】
引用元 https://x.com/teruduki1113/status/1893115263136211277?s=51&t=y6FRh0RxEu0xkYqbQQsRrQ
日本において「通名」という制度があることを、多くの人が知っている。しかしながら、この制度が時折議論を呼ぶのも事実だ。特に、通名を使用している人に対して「本名を名乗るべきだ」と求める声や、「帰化歴を公開してほしい」との主張があると、それに対して「差別だ!」と反発するケースが少なくない。ここで冷静に考えてみたい。果たして、これらの主張は本当に差別なのか、それとも逆に日本人に対する差別につながるのではないだろうか。
まず、「通名」について整理する。これは外国籍の人が日本で生活する際に、一般的な日本人の名前に近いものを使用できる制度だ。日本で生まれ育ち、日常生活を送るうえで、外国にルーツを持つ人々が馴染みやすいようにするための仕組みとして導入された。しかしながら、この制度の存在に対し、一部の日本人からは「日本で暮らすなら、本名で生活するのが筋ではないか?」という意見がある。この考え方に対して「差別」と批判する人もいるが、本当にそうだろうか。
例えば、日本人が海外に移住した際、その国のルールに従うのが一般的だ。英語圏では日本名が発音しにくいこともあり、現地の名前を使うケースもあるが、それは本人の自由意思によるものだ。一方、日本の「通名制度」は、公的な場面でも通名の使用が可能となっている点が特徴的であり、これが日本社会において特権的な扱いだと考える人がいるのも事実である。仮に日本人が海外で現地の名前を使ったとしても、それが当たり前のように公的機関でも通用するというケースは少ないだろう。この点を踏まえると、「通名をやめて本名で生活してほしい」という主張が、単純に差別であるとは言い難いのではないか。
次に、「帰化歴の公開」について考えてみる。日本国籍を取得した人の帰化歴を公にすることを求める声がある一方で、これに対して「差別的な発想だ」という反発も見られる。しかし、帰化というのは、国籍を変えるという重要な手続きであり、その国の一員として新たなルールのもとで生きる決意を示すものである。日本国籍を取得した以上、もはや法的には日本人として扱われることになるが、国民の側として「どのような経緯で日本人になったのかを知りたい」と考えることが差別的だと言えるのだろうか。
実際、多くの国では帰化情報が一定の範囲で公開されるケースがある。例えばアメリカでは、帰化申請の情報が公開されることが一般的であり、国民が確認できる仕組みが整えられている。それに比べ、日本では個人情報の保護を理由に、帰化情報が厳格に管理されている。しかし、公職に就く場合や社会的影響力を持つ立場にある場合、国籍の変遷が透明化されることは、国民にとって必要な情報なのではないだろうか。もちろん、一般の市民の帰化歴を無理に明かす必要はないが、政治家や公務員など、公共に対して責任を持つ立場の人々には、ある程度の説明責任が求められてもおかしくはない。
こうした考えを示すと、「特定の出自の人々を差別している」という批判が出ることもある。しかし、これは逆に、日本人側に対する不当な差別にもつながるのではないか。日本人が外国に行けば、その国の文化やルールに従うことを求められるのに、なぜ日本国内では、特定の人々に対して例外的な扱いを認め続けなければならないのか。こうした疑問は、多くの日本人が感じているところだろう。
また、通名や帰化に関する議論をすると、「この話題に触れること自体が差別的だ」と言う人もいる。だが、これこそ言論の封殺ではないだろうか。本来、自由な社会において、異なる意見を交わすことは重要である。事実に基づいた議論ができず、ある特定の立場の意見だけが許されるような風潮が生まれると、健全な民主主義は成り立たなくなる。日本社会においても、多様な価値観が共存することが求められるが、それは「日本人だけが一方的に我慢すること」とは異なるはずである。
日本に住み、日本のルールのもとで生活していく以上、日本社会の原則を尊重することは当然のことだ。もちろん、多様性を認め、互いに尊重し合うことは重要である。しかし、それが特定の集団だけに有利なルールを許すことになるならば、それは公平とは言えない。通名の使用や帰化歴の公開といったテーマについて議論することは、日本社会のあり方を考えるうえで避けて通れない問題であり、それを一方的に「差別」と決めつけることこそ、真の差別につながるのではないか。
執筆:編集部A
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