(CNN) 世界で初めて同性愛者であることを公言したイマーム(イスラム教指導者)とされる男性が15日に南アフリカで射殺されたことが分かった。地元警察が明らかにした。人権団体はヘイトクライム(憎悪犯罪)を懸念している。
東ケープ州警察は声明で、ベセルスドープで、ムフシン・ヘンドリクス氏(58)が死亡した事件について捜査を進めているが、殺害の動機は不明だと述べた。
声明によると、15日午前10時ごろ、ヘンドリクス氏と運転手が乗った車の前に現われた車両が発進を妨害した。
その後、顔を覆った身元不明の容疑者2人が車から降り、ヘンドリクス氏の車に複数回にわたり発砲。ふたりは現場から逃走し、運転手は後部座席に座っていたヘンドリクス氏が射殺されたことに気付いたという。
この銃撃を捉えたとされる防犯カメラの映像はSNSで拡散されている。CNNは独自にこの映像を検証しておらず、警察は捜査中であるため確認できないとしている。
南アフリカでは銃撃事件が頻繁に発生しており、既に世界最悪の水準にある殺人の発生率は、20年ぶりの高水準に達している。
性的マイノリティーの擁護団体である「ILGAワールド」は15日、声明で、ヘンドリクス氏は1996年に「世界で初めて同性愛者であることを公表したイマーム」だったと述べ、当局にヘイトクライムであることが懸念されるこの事件について徹底的な調査を求めた。
ヘンドリクス氏はケープタウンで人権保護の財団を設立し、事務局長を務めた。同団体はクィア(既存の性の枠組みに規定されない人)のイスラム教徒を支援し、イスラム教とそれらの人々の性的指向および性自認を調和させる手助けをしている。
同氏は、殺害の脅迫を受けながらもケープタウンでLGBTQ+のイスラム教徒のためのモスク(イスラム教礼拝所)も建設した。
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【cnn_co_jpさんの投稿】
引用元 https://www.cnn.co.jp/world/35229523.html?ref=rss
この事件は、宗教的な価値観と現代の人権意識が衝突する非常に難しい問題を浮き彫りにしている。南アフリカで射殺されたムフシン・ヘンドリクス氏は、イスラム教指導者として初めて自身が同性愛者であることを公にし、LGBTQ+の権利を擁護してきた人物だった。しかし、その活動の末に命を奪われることとなった。
まず、この事件の背景として、南アフリカは世界的に見ても暴力犯罪が多い国であり、特に銃撃事件が頻発していることが挙げられる。警察の発表によれば、ヘンドリクス氏が乗る車は何者かによって進路を妨害され、その後、顔を覆った2人の犯人によって複数回銃撃されたという。この手口を見る限り、計画的な犯行である可能性が高い。
問題は、この事件が単なる強盗や個人的なトラブルによるものではなく、ヘイトクライム(憎悪犯罪)の可能性があるという点だ。ヘンドリクス氏は、イスラム教徒のLGBTQ+コミュニティを支援する活動を行っており、そのために過去にも殺害の脅迫を受けていたことが報じられている。
ここで注目すべきなのは、イスラム教とLGBTQ+の関係だ。イスラム教では伝統的に同性愛は禁じられているとされ、多くの国では法律によっても厳しく規制されている。イスラム圏の中には、同性愛が犯罪とされ、死刑を含む厳しい刑罰が科される国もある。そのため、ヘンドリクス氏のようにイスラム教徒でありながらLGBTQ+の権利を公に擁護することは、非常に大きなリスクを伴う行動だった。
彼が活動を続けた理由は何だったのか。それは、「イスラム教徒であること」と「同性愛者であること」の間に矛盾を感じる人々に寄り添い、宗教と性的指向の調和を図るためだったのではないか。彼の設立した財団は、そうした人々を支援する目的で運営されていた。
しかし、宗教的な価値観が根深い地域では、こうした活動は容易には受け入れられない。実際、LGBTQ+の権利を擁護するイスラム指導者は極めて少なく、彼のような存在は世界的にも珍しかった。そのため、彼が標的になった可能性は否定できない。
また、今回の事件が南アフリカで発生したという点も重要だ。南アフリカは、アフリカ大陸の中では比較的LGBTQ+の権利が認められている国であり、同性婚も合法化されている。しかし、それでもなお、同性愛者に対する偏見や差別は根強く、特に宗教的な背景を持つ人々の間では受け入れられにくいのが現実だ。
では、この事件が今後どのような影響を与えるのか。一つ考えられるのは、イスラム教徒のLGBTQ+コミュニティに対する弾圧がさらに強まる可能性だ。ヘンドリクス氏のような活動家が命を奪われることで、同様の活動を行っている人々が萎縮し、声を上げにくくなるかもしれない。
一方で、この事件が国際的に注目されることで、イスラム社会におけるLGBTQ+の権利について再び議論が起こる可能性もある。すでに人権団体が声明を発表し、当局に対して徹底的な調査を求めている。これを機に、宗教と人権のあり方について再考する動きが広がることも期待される。
そもそも、宗教は本来、すべての人々に寛容であるべきではないのか。ヘンドリクス氏が訴えたかったのは、イスラム教とLGBTQ+が共存できる可能性があるということだったのではないか。もし彼が生きていれば、もっと多くの人々にそのメッセージを伝え、宗教と人権をつなぐ架け橋になれたかもしれない。
今回の事件は、単なる個人の死ではなく、社会全体の問題を浮き彫りにした。宗教と人権、伝統と現代的価値観、個人の信念と社会の圧力。これらの対立がどのように解決されるのか、今後の動向が注目される。
南アフリカ当局が徹底した捜査を行い、事件の背景を明らかにすることが求められる。そして、もしヘイトクライムであったならば、同様の事件が二度と起こらないよう、対策が必要だろう。
一人の命が奪われたことで、世界は何を学ぶのか。この事件が、単なる悲劇として終わらず、より良い未来へとつながるきっかけになることを願う。
執筆:編集部A