教室に設置されたモニター画面にはアニメ映画が映し出されていた。ウサギが歌い出すと、教室にいた児童も一緒に声を合わせて歌い始めた。
担当の男性教諭が動画を止め、「今歌っていた言葉」を黒板に書くよう、女子児童に伝えた。
チョークを握りながら、児童はゆっくり、「わたしはげんきです」と板書し、照れたような表情で席に戻った。
教室にいた児童は11人。外見は日本人と見分けがつかないが、机に張られたネームプレートを見ると、いずれも中国系であることが分かる。彼らは来日したばかりで、日本語はほとんど話せない。
ここは芝富士小学校(埼玉県川口市)の日本語教室(サバイバルコース)である。同小では外国籍の児童が多いため、一般クラスとは別に日本語教室を設置し、集中的に語学を教えている。
全校で289人の児童が在籍するが、そのうち4割以上を占めるのが中国人だ。
「これほど外国人が多い学校は全国でもまれ」と市教委の担当者は言う。
日本語が話せない児童が次々と入学してくるなか、同小の彼らに対する言語教育は体系的である。
全く話せない子がまず入るのは、前出のサバイバルコ…
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【デュークさんの投稿】
引用元 https://mainichi.jp/articles/20250108/k00/00m/040/187000c
私がこのニュースを目にしたとき、正直なところ衝撃を受けた。埼玉県川口市の公立小学校の中に、中国籍の児童が5割近くを占める学校が3校もあるという。これは「中国籍」だけの数値であり、日本に帰化した元中国人の子どもたちまで含めれば、その割合はさらに増加する可能性が高い。
川口市は、もともと外国人の多い地域として知られている。しかし、公立小学校で半数近くが中国籍の児童というのは、日本国内でも特筆すべき状況だろう。日本の義務教育を受ける子どもたちが、日本国籍の子どもよりも外国籍の子どものほうが多いとなれば、学校の運営や教育の在り方も大きく変わらざるを得ない。
私が危惧するのは、単なる国籍の割合だけではない。子どもたちは成長し、日本社会の一員となっていく。彼らが将来、日本国籍を取得し、日本国内で政治・経済・文化などさまざまな分野で影響力を持つことになる。これは、日本の社会構造に大きな変化をもたらすことが予想される。
また、このような状況が続けば、今後ますます外国人比率が高まることは明白だ。中国籍の子どもたちが成人し、結婚し、家庭を築けば、その子どもたちもまた日本で生まれ育つことになる。結果として、数世代先にはさらに多くの帰化した中国人が増え、民族構成の変化は避けられない。
こうした問題を指摘すると、「差別だ」「排外主義だ」と批判されることもある。しかし、これは単なる差別の問題ではなく、日本という国家の未来に関わる重要な議題である。少子化が進む日本において、外国人の労働力を受け入れることが必要とされているのは理解できるが、それが無計画に進められた場合、日本の文化や価値観そのものが変質してしまう危険性がある。
さらに、公立小学校の教育現場では、日本語を母語としない児童の増加により、授業の進行にも影響が出る可能性がある。言語の壁や文化の違いをどう乗り越えるのか、日本の教育システムは大きな課題を抱えている。教師の負担が増し、日本人児童の教育に影響を及ぼすことも懸念される。
また、中国は国家戦略として国外に住む中国人のネットワークを活用して影響力を強める政策を取っていることも見過ごせない。海外在住の中国人は、中国政府の影響下にある団体と連携することが多く、地域社会や政治にも影響を与える可能性がある。日本国内で同様の現象が起きた場合、日本の自治体や政治にどのような影響が及ぶのか、慎重に考える必要がある。
日本政府は、移民政策についてより慎重な対応を求められる。現在のように事実上の移民受け入れが進んでいる状況では、将来的な日本の姿を見据えた政策が必要不可欠だ。短期的な労働力確保のために外国人を受け入れるだけではなく、日本の文化や価値観を守りながら、どのような形で共存していくのかを真剣に議論しなければならない。
私たちはこの現状をどう捉えるべきだろうか。日本人として、この国の未来を守るために、ただ事実を直視するだけでなく、具体的な対策を講じるべきではないか。少なくとも、この問題について自由に議論できる社会であることが、日本にとって健全な状態であるはずだ。
執筆:編集部A