<布帳馬車>形骸化した日本の戸籍制度
「戸籍をけがす奴」--かつて離婚をした者はこのようにののしられた。しかし、同棲が市民権を持ち始め、グローバル化の中で国際結婚が進み、プライバシー保護の意識が高まるにつれ、戸籍制度の「ほころび」が目立つようになった。
それでも、法務省関係者は「日本における治安の良さは戸籍制度のたまものだ」と、管理の優秀性をよく自慢したものだ。
それがどうだろう、今となっては、戸籍制度そのものが形骸化しつつある。
今年はそのことが顕著にあらわれた。法務省が9月に公表した「100歳以上の高齢者」の調査結果によると、所在不明者は23万人を超えた。なかには世界最高齢となる「150歳」など、明らかに亡くなっている例が抹消されずに残っていることがわかった。
人が頻繁に移動する現代社会にあって、戸籍と住所が一致する例は少なくなる一方である。選挙人名簿や年金受給のための基礎資料は住民基本台帳が使われているため、戸籍は実態とかけ離れるばかりだ。
「戸籍制度廃止の検討を」との声が高まるのは当然だが、いまだに戸籍を後生大事に考え、そのしがらみから抜けきらずにいる人が少なくない。「夫婦別姓」法案がなかなか上程されないのもそのためだ。
韓国は数年前に戸籍制度を廃止した。かわって「家族関係登録」を導入し、オンラインシステムで世界のどこでも証明書を入手することが可能になった。欧米式の個人単位の身分証明書方式である。
「差別の根源は戸籍制度」と断言する人がいる。在日にとっても由々しき問題で、廃止されるのはいつの日か。(Q)
(2010.12.1 民団新聞)
[全文は引用元へ…]
【Tokyo.Tweetさんの投稿】
引用元 https://www.mindan.org/old/front/newsDetail9159.html
戸籍制度と夫婦別姓の議論:日本の伝統と現代社会の狭間で
日本の戸籍制度が「時代遅れ」と批判され、廃止すべきだという意見がある一方で、戸籍が日本社会の秩序を支えているという声も根強い。特に、夫婦別姓の議論と絡めて、「戸籍があるから選択的夫婦別姓が進まない」「戸籍制度こそが差別の根源だ」といった主張がなされている。
最近、在日本大韓民国民団(民団)が、日本の戸籍制度について批判的な立場を示し、「夫婦別姓を実現するために、戸籍制度を廃止すべきだ」とする意見を公表した。これに対し、日本の視点から冷静に議論を整理することが重要ではないかと考える。
日本の戸籍制度は、江戸時代から続く家族単位の登録制度であり、明治時代に現代の形に整備された。家族のつながりを重視する文化に基づいており、婚姻や出生、死亡などの情報を記録し、法的な身分証明の役割を果たしている。
戸籍制度の利点としては、以下のような点が挙げられる。
一方で、課題も指摘されている。
民団は、日本の戸籍制度が「夫婦別姓の障害になっている」とし、廃止を求めている。彼らの主張を整理すると、以下のようなポイントがある。
確かに、欧米では結婚しても姓を変えないことが一般的であり、個人単位の身分証明制度が普及している。しかし、それが日本にそのまま適用できるかどうかは慎重に検討する必要がある。
夫婦別姓の議論は、日本社会において長く続いている。反対派の意見としては、以下のようなものがある。
一方で、賛成派は、個人の選択肢の尊重を強調している。
このように、夫婦別姓の議論は、単に戸籍制度の問題だけではなく、日本の文化や価値観に関わる根深いテーマである。
韓国では数年前に戸籍制度を廃止し、「家族関係登録制度」に移行した。これは、家族単位ではなく個人単位で身分を管理する仕組みであり、オンラインで証明書の取得が可能となっている。
欧米でも、個人ごとにID番号が付与され、行政手続きがスムーズに行われる制度が一般的だ。これにより、結婚しても姓を変更する必要がなく、個人の身分証明が独立している。
しかし、日本は単純にこれらの制度を導入すれば良いというわけではない。文化的な背景が異なるため、慎重な検討が必要である。
日本にとって、どのような制度が最適なのかを考える際、以下の点が重要になる。
結論として、日本の戸籍制度は確かに時代とともに変化が求められているが、単純に「欧米の制度を導入すれば解決する」という話ではない。伝統を守りながら、現代の社会に適応する形を模索することが、最も現実的な解決策ではないだろうか。
執筆:編集部A