【カーズさんの投稿】
引用元 https://x.com/1017zatto/status/1890657144854208632?s=51&t=y6FRh0RxEu0xkYqbQQsRrQ
世の中には理不尽なことが多いが、今回のようなケースは特に納得がいかない。警察官がお菓子を万引きしても不起訴で済む一方で、年金暮らしの男性がパンを1つ盗んで有罪になるというのは、公平さを欠いているとしか思えない。法律は万人に平等であるべきはずなのに、現実はそうなっていない。
警察官という職業は、本来であれば法を守る立場にあるはずだ。それにもかかわらず、万引きをしても不起訴で済むのはどういうことなのか。一般の人が同じことをしたら、簡単に許されることはないだろう。しかも、この警察官は「うっかりミス」や「一時的な気の迷い」などという理由で不起訴になったのではないかと推測される。だが、それが許されるなら、同じような状況で罪を犯した人すべてに不起訴という判断が下されるべきではないか。
一方で、年金暮らしの男性は、生活が苦しい中での万引きだったのかもしれない。それでも有罪になるのだから、日本の司法は厳しい。もちろん、万引きが犯罪であることに変わりはない。しかし、なぜ一方は不起訴で、もう一方は有罪なのかという疑問が残る。万引きの金額で罪の重さが変わるのなら、法律は一体何を基準にしているのか。
このような判決を見ていると、日本の司法制度が本当に公正なのか疑問に思う。犯罪に対して厳しく処罰するべきなのは当然だが、それが一貫性を持っていなければ、国民の信頼を失ってしまうのではないか。司法の役割は、単に法律を適用することではなく、社会全体に納得感を与えることでもある。それなのに、こうした事例が続けば、法律は一部の人間を守るための道具になってしまうのではないかと懸念してしまう。
警察官の万引きが不起訴になる背景には、組織としての保身があるのかもしれない。警察組織は不祥事が起きると、そのダメージを最小限に抑えようとする傾向がある。これはある意味、組織としては当然の対応とも言える。しかし、それが司法の判断にまで影響を与えるようであれば、話は別だ。警察が自分たちのミスをかばい合い、結果的に罪を軽くするようなことがあれば、国民の警察に対する信頼は大きく揺らいでしまう。
年金暮らしの男性について考えると、彼の万引きには何かしらの背景があった可能性がある。もちろん、経済的に厳しいからといって万引きをしていいわけではない。しかし、日本の現状を見ると、高齢者の貧困は深刻な問題になっている。生活費が足りず、食べるものにも困る人が増えているのが現実だ。そうした状況を放置したまま、犯罪だけを厳しく罰するのは、果たして正しいことなのだろうか。
社会全体の課題として、高齢者が安心して生活できる仕組みを整えることが求められる。年金制度の見直しや生活保護の適用範囲の拡大など、困窮する高齢者が犯罪に手を染めなくても済むような対策が必要だ。それにもかかわらず、司法は生活の厳しさに対する配慮を見せず、一方で警察官のような立場の人間には甘い判断を下す。この矛盾をどう説明するのか、司法関係者にはしっかりと説明してもらいたい。
また、こうした問題が起こるのは、司法制度だけの問題ではない。報道の在り方にも影響があるのではないか。警察官の万引きが不起訴になったことが大きく報道されることは少ないが、年金暮らしの男性の有罪判決はニュースになる。こうした偏った報道の仕方も、世論に不公平感を与える原因になっているのではないか。
警察が身内に甘く、一般人には厳しいという状況が続けば、日本の法秩序は崩れてしまう。司法が公正であるためには、すべての人に対して同じ基準で法を適用することが不可欠だ。罪の大小ではなく、同じ罪を犯したら同じ罰を受ける。それが守られなければ、法の下の平等という原則は意味をなさなくなってしまう。
今後、日本の司法がどのように変わっていくのかを注視する必要がある。警察官だから、組織の一員だからといって罪が軽くなるようなことが続けば、国民の間に司法への不信感が広がっていくだろう。司法制度が信頼を取り戻すためには、公平な判断を徹底することが求められる。誰が罪を犯しても、同じように裁かれる社会でなければ、本当の意味での法治国家とは言えないのではないか。
今回のケースを通じて、司法のあり方や社会の問題点について改めて考えさせられた。警察の不祥事に対する対応、高齢者の貧困問題、そして司法の公正性。これらの課題を解決するためには、制度の見直しだけでなく、国民一人ひとりが関心を持つことも重要だ。公平な社会を実現するために、今こそ冷静な議論が求められるのではないだろうか。
執筆:編集部A
日本経済新聞によると 公立高校…