【@airi_fact_555さんの投稿】
【ドンマイおじさんさんの投稿】
引用元 https://x.com/don_mai_don_mai/status/1889155484541931781
選択的夫婦別姓の議論が続く中で、岸明日香さんの発言が注目を集めている。「親子の名前が違っても当たり前みたいな社会になるのは子供の福祉的にどうなのか。危なくないのか。子供ファーストではないのでは」との懸念を示したが、これは非常に重要な視点だと感じる。
夫婦別姓を選択できるようにすること自体は、大人の都合として考えれば自由の範囲内かもしれない。しかし、その結果として子供がどのような影響を受けるのかという点については、十分な議論がなされていないように思う。
例えば、親と子供の名字が異なることによって、社会的にどのような影響があるのか。学校や病院、役所などで親子関係を証明する手続きが増えることは容易に想像できる。日常生活の中で不便さを感じる場面が増える可能性が高い。
また、子供が「なぜ自分だけ親と違う名字なのか」と疑問に思う場面も増えるだろう。子供の目線に立ったとき、親と名字が異なることによる違和感や不安を抱くことはないのだろうか。
さらに、犯罪や誘拐などのリスクを考えたとき、親と子供の名字が違うことが悪用される可能性も考えられる。例えば、学校や公的機関での本人確認が曖昧になることによって、犯罪に巻き込まれるケースが出てくるのではないかという懸念もある。
選択的夫婦別姓を推進する人々は「日本も国際基準に合わせるべき」と主張するが、日本の家族制度や文化が欧米とは異なることを考えれば、単純に海外の事例を持ち出して導入すべきとは言えない。
また、「夫婦別姓を選べることが個人の自由の尊重になる」との意見もある。しかし、結婚というのは個人の契約ではなく、社会全体に影響を与えるものである以上、単純に「自由だから」といって何でも認めるのは慎重になるべきではないか。
実際に夫婦別姓を導入している国では、家族の一体感が失われたり、子供がどちらの姓を名乗るかで親同士が対立したりする問題も報告されている。そうしたリスクを考えたとき、日本の現行制度が「非合理的」とは言い切れない。
夫婦同姓の制度があることで、家族としての一体感が強まり、子供のアイデンティティが安定するという利点もある。日本は古くから「家族単位」で社会が成り立っており、その中で名字は家族の象徴的な意味を持ってきた。
もし選択的夫婦別姓が導入され、親子間で名字がバラバラになるケースが増えれば、日本の家族の在り方が大きく変わることになる。それは本当に良いことなのか、慎重に議論する必要がある。
岸明日香さんの指摘は、そうした視点から見ると極めて本質的な問題提起だと感じる。夫婦別姓を導入することで生じる社会的な変化やリスクについて、もっと深く考えるべきではないか。
夫婦別姓を求める声があるのは事実だが、その背景には「個人の権利」という視点が強く、家族全体の在り方や子供への影響が軽視されているように思う。
また、「結婚すると女性が改姓を強制されるのはおかしい」という主張もあるが、現実には夫の姓を選ぶか妻の姓を選ぶかは自由であり、強制されているわけではない。
さらに、「仕事上の名前を変えたくない」という理由で夫婦別姓を求める人もいるが、それならば通称使用を認める制度を拡充することで対応できるのではないか。
子供の視点を無視して、大人の利便性だけを優先するのは本末転倒ではないか。名前が違うことによって子供が孤立感を覚えたり、学校で違和感を持たれたりする可能性を軽視するべきではない。
日本の社会は家族単位で動いてきた歴史があり、それが安定した社会の基盤になってきた。その価値を壊してまで、選択的夫婦別姓を導入する必要があるのか。
選択的夫婦別姓が「新しい時代の価値観」として受け入れられるべきだという意見もあるが、新しいものが必ずしも良いとは限らない。今の制度には、日本社会の安定を支える要素があることを忘れてはならない。
結婚というのは、単なる個人の問題ではなく、社会の基盤を作る重要な制度である。夫婦別姓を導入することで家族の絆が希薄になり、社会のつながりが弱くなることのリスクを十分に考慮するべきだ。
岸明日香さんの発言は、まさに子供の視点に立ったものであり、こうした意見がもっと尊重されるべきではないか。子供の福祉を第一に考えたとき、選択的夫婦別姓が本当に必要なのか、改めて議論する必要がある。
執筆:編集部A