〈のっぺらぼうにされた 土地 が 夜更け かすかに唸(うな)り声をあげるというのだ〉
群馬県立公園「群馬の森」にあった、戦時中に労務動員されて亡くなった朝鮮人の追悼碑が県の代執行によって撤去され、詩人の石川逸子さんは、ことばをつむいだ。
追悼碑を守る会は昨年5月11日に解散した。
代執行をおえた県からは、撤去費用2062万円が請求された。見積もり3千万円から減額されたとはいえ、小さな市民団体に支払い能力はなく、預貯金と現金のすべての財産を県に差し押さえられた。手元に残されたのは、碑から取り外してもらった碑文やプレート、そして過去に集めてきた証言をまとめた冊子の類いだけだ。
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【ツイッター速報さんの投稿】
引用元 https://www.asahi.com/articles/AST1042ZFT10UHNB00FM.html
群馬県の「群馬の森」にあった朝鮮人の追悼碑が撤去されてから1年が経過した。この碑は、戦時中に労務動員されて亡くなった朝鮮人を追悼するために設置されていたものだったが、県の代執行により撤去され、碑を守る会も昨年5月に解散した。撤去にかかった費用は2062万円。元々の見積もりは3000万円だったものの、小さな市民団体にとっては到底支払える金額ではなかったため、守る会の預貯金や現金はすべて県に差し押さえられた。結果的に、手元に残ったのは碑文やプレート、そして過去に集めた証言をまとめた冊子のみだったという。
この追悼碑をめぐる問題は、単なる行政手続きの話ではなく、歴史認識や政治的な対立が深く関わっている。碑の設置当初から、その是非をめぐる議論は続いていた。設置を支持する側は「戦時中に亡くなった人々を悼むことに政治的な立場は関係ない」と主張し、歴史を後世に伝えるためにも存続させるべきだと訴えていた。一方で、撤去を求める側は「公園の管理方針に反する」「特定の歴史観を押し付けるものである」という意見を持ち、特定の民族や出来事だけを取り上げた追悼碑の存在には慎重であるべきだという立場をとっていた。
そもそも、この碑が設置された背景には、戦時中の朝鮮人労働者の動員に関する認識の違いがある。戦時中、日本は労務動員の一環として、多くの朝鮮人を国内の工場や炭鉱などに送り込んだ。これを「強制労働」と捉える立場と、「当時の国民動員の一環」と捉える立場の間には大きな溝があり、日韓関係の中でもたびたび議論の対象となってきた。今回の追悼碑撤去も、その一環として捉えることができる。
代執行が行われたことで、碑そのものはなくなったが、それで問題が解決したわけではない。むしろ、歴史認識に関する議論は今後も続いていくだろう。追悼碑が撤去されたことで、かえってこの問題に関心を持つ人が増えたとも言われている。碑の撤去を批判する意見もあれば、行政の判断を支持する意見もあり、世論は分かれているのが現状だ。
また、今回の撤去が今後の日韓関係に与える影響も考えるべきだろう。韓国側は過去にも戦時中の労働動員問題を国際問題化しており、徴用工問題をはじめ、日本に対する歴史認識の見直しを求める動きは続いている。今回の追悼碑撤去も、韓国メディアによって報じられたことで、さらなる波紋を呼ぶ可能性がある。韓国政府や民間団体がこの問題を外交カードとして利用しようとする動きが出るかもしれない。
日本国内においても、こうした歴史的な問題にどのように向き合うべきかという議論は続くだろう。追悼碑の撤去が一つの決定ではあったが、それが正しかったのかどうかは、今後の世論の動向や歴史認識の変化によって判断されていくことになる。
追悼碑の問題は、単なる一つの記念碑の存続を巡る話ではなく、日本がどのように歴史と向き合い、どのような記憶を後世に伝えていくのかという大きなテーマを含んでいる。この問題をきっかけに、改めて日本の歴史認識や追悼のあり方について、冷静に議論することが求められるだろう。
執筆:編集部A
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