犯罪被害者やその家族・遺族が受刑中の加害者に思いを伝えることのできる「心情等伝達制度」。所管するのは法務省矯正局で、犯罪者の教育や矯正に役立てることを目指す。しかし、実際に利用した被害者遺族に聞くと、加害者から期待した返事は返ってこず、再び傷つけられた人もいる。殺人などの生命犯の場合、加害者がなんと返答しようと、亡くなった人は帰ってこない。私たちはこの制度に対する被害者遺族の言葉をどう受け止めればいいのか。2つの家族と、制度化を訴えた研究者、そして法務省矯正局に取材した。(取材・文:藤井誠二/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
加害者の更生「再犯しないこと」だけでは不十分
そもそも、なぜこのような制度がスタートしたのか。その理由は、日本の刑事司法において、最近になるまで、犯罪被害者への支援がほとんどなされてこなかったことと関係している。
近代的な刑事司法では、私的報復は認められない。その代わりに国家が刑事裁判という厳格な手続きを用いて、ルールに違反した者を裁くことになっている。
今回の心情等伝達制度も、制度上は、「犯罪者処遇」(警察で検挙された者や非行少年が、検察、裁判、矯正、更生保護の各段階で受ける取り扱いのこと)の一部だ。
近代的な刑事司法において、「犯罪者の矯正や更生保護」と「被害者支援」が両立するかという問題は、少年による殺人事件をきっかけに被害者遺族を長年取材してきた筆者にとって、追いかけずにはいられない問いなのである。
法務大臣の諮問機関である法制審議会の部会で本制度の推進を強く主張したのが、同委員だった法学者の太田達也さん(60、慶應大教授)だ。
刑務所に「被害者の視点を取り入れた教育」が導入され始めたのは2000年代初め。およそ20年経つが、太田さんは「今でも、加害者に被害者のことを考えさせるのは報復的な処遇だと批判される」と言う。つまり、犯罪者(加害者)の権利を侵害するということだ。それほど、被害者の権利は刑事司法の中で考えられてこなかったのだ。
太田さんは、犯罪者の矯正・更生保護と被害者支援は両立できると考えているのか。
「そう思っています。今の国(法務省)の考え方では、更生=再犯しないこととされていますが、それだけでは半分。被害者への贖罪に向けた誠意ある対応が不可欠です。更生とは再犯をしないことと、被害者への贖罪の両方が含まれると私は考えています」
もちろん、誠意ある対応をしている加害者もいるだろう。しかしそうでない場合、どのように誠意を育むのか。また、被害者が亡くなっている場合、加害者が反省の色を見せたとして、遺族は受け入れられるのか。「受刑中の心情伝達」は始まったばかりの制度だが、課題は山積している。
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【ねこCHANNELさんの投稿】
引用元 https://news.yahoo.co.jp/articles/c35562c751565b18e9d2c2d12b423e70ea8e4db1
犯罪被害者やその遺族が受刑中の加害者に自身の思いを伝えることができる「心情等伝達制度」。これは、加害者の更生を促す目的で導入された制度だが、果たして本当に機能するのか疑問を感じる。被害者や遺族が伝えた言葉に対し、加害者が期待通りの反応を示すとは限らない。実際にこの制度を利用した被害者遺族の中には、加害者の反応によって再び傷つけられたという人もいる。このような状況を考えると、本当に被害者のためになる制度なのか、慎重に検証する必要がある。
日本の刑事司法は、これまで被害者支援を十分に行ってこなかったという背景がある。そのため、被害者の思いを加害者に伝える仕組みを作ること自体は、一見すると前向きな取り組みのように思える。しかし、実際の運用を見ると、制度の目的と効果の間に大きな乖離があるように感じる。加害者の矯正や更生に「被害者の視点を取り入れる」という考え方は理解できるが、それが被害者の利益につながるとは限らない。
そもそも、犯罪被害者が求めているのは「加害者が罪を悔い改め、二度と同じことを繰り返さないこと」だけではない。被害者遺族の中には、加害者の謝罪など望んでいない人もいるだろう。殺人などの生命に関わる犯罪では、どれほど加害者が謝罪したところで、失われた命は戻ってこない。その現実を前に、加害者からの言葉を受け取ることが、本当に遺族の救いになるのかは疑問が残る。
一方で、加害者に被害者の思いを伝えることで、更生を促すという意図は理解できる。実際に、被害者の言葉を聞くことで、自らの罪の重大さを再認識し、心から反省する加害者もいるかもしれない。しかし、それはあくまで加害者側の問題であり、被害者が新たに傷つく可能性がある中で無理に行うべきことなのかは、慎重に考えなければならない。
法務省はこの制度を「被害者支援の一環」としているが、実際には加害者の更生を目的としたものに過ぎないのではないか。被害者の心のケアを本当に考えるのであれば、加害者との関係を断ち切り、新たな人生を歩めるような支援を充実させるべきだ。被害者が望んでいないのに加害者との関係を持たされることが、果たして本当に支援と呼べるのだろうか。
さらに、加害者が本当に反省しているかどうかも不明だ。仮に反省の言葉を述べたとしても、それが本心から出たものなのか、それとも刑務所内での扱いを良くするためのものなのかは判断が難しい。加害者の言葉を受け取ることで、被害者が「裏切られた」と感じる可能性もある。このようなリスクがある中で、この制度を「被害者のため」と言い切るのは無理があるのではないか。
犯罪者の更生と被害者支援は、本当に両立できるのだろうか。制度を推進した研究者は「更生とは、再犯しないことだけでなく、被害者への贖罪も含まれる」と述べている。しかし、その贖罪とは一体何を指すのか。単なる謝罪や手紙のやり取りで済む話ではない。被害者が受けた苦しみを、本当の意味で加害者が理解し、償うことができるのか。この問題は簡単に解決できるものではない。
現状では、この制度は被害者遺族にとって必ずしも有益とは言えない。むしろ、新たな苦しみを生み出す可能性の方が高いのではないか。被害者遺族が加害者と関わることを望むケースもあるかもしれないが、それが制度として強調されることには違和感を覚える。被害者にとって本当に必要なのは、加害者との対話ではなく、心の平穏を取り戻すための支援なのではないか。
この制度が「更生のため」と言われるたびに、被害者の気持ちが置き去りにされているように感じる。加害者のために被害者が利用されるような制度になってはならない。法務省は「被害者の視点を取り入れた教育が重要だ」と主張するが、それが加害者の利益につながるだけでは本末転倒だ。
今後、この制度がどのように運用されるかは分からないが、少なくとも現時点では被害者のためになっているとは言えない。加害者が更生することは重要だが、それが被害者の犠牲の上に成り立つものであってはならない。
犯罪被害者の支援を本気で考えるのであれば、加害者との関係を断ち切る自由も保障されるべきではないか。この制度が、加害者の更生という名のもとに、被害者を無理に加害者と向き合わせるものにならないことを願う。
執筆:編集部A