【石破茂首相さんの投稿】
引用元 https://x.com/shigeruishiba/status/1888015952530522269
石破首相がアメリカ訪問中にアーリントン国立墓地を訪れ、献花を行ったことが話題になっている。しかし、日本国内では「なぜ靖国神社には行かないのか?」という疑問の声が上がっている。
アーリントン国立墓地は、アメリカ軍の戦没者を祀る場所であり、歴代の日本の首相も訪問することが慣例となっている。一方、靖国神社は日本のために命を捧げた英霊を祀る神社だが、戦後の国際情勢や政治的配慮から、歴代の首相の中には参拝を避ける者も多い。今回の石破首相の行動は、そうした背景の中で日本国内に疑問を投げかける結果となった。
ネット上では、「アーリントンには行くのに靖国には行かないのか」「アメリカの戦没者には敬意を払うのに、日本の英霊には敬意を払わないのか」といった声が多く見られた。特に、「アーリントンには広島や長崎に原爆を投下した者たちも眠っているのに、なぜそちらには行って靖国には行かないのか」という意見は、多くの人の共感を呼んでいる。
靖国神社への参拝問題は、歴代の日本の首相にとって常に議論の的となってきた。過去には、参拝することで中国や韓国から批判を受けることを懸念し、避ける首相もいれば、小泉元首相のように一貫して参拝を続けた例もある。しかし、日本の戦没者を慰霊するという本来の目的を考えれば、首相が靖国神社を訪れることは自然なことではないかという意見も根強い。
一方で、アメリカとの関係を考えれば、アーリントン墓地を訪問することは外交的に重要な意味を持つと考えられている。アメリカ側も、日本の首相がアーリントンを訪れることを歓迎しており、これが日米同盟の象徴的な行為の一つとされている。しかし、それと同じように、自国の戦没者に敬意を払うことも同じくらい重要ではないのか、という疑問が残る。
今回の訪問について、日本政府は「日米同盟の強化の一環」と説明しているが、それならば同時に靖国神社にも足を運ぶことで、国内の英霊に対しても同様の敬意を示すべきではないかという声は無視できない。もしも「外交的な配慮」で靖国参拝を避けているのだとすれば、それは日本の戦没者に対する不誠実な態度とも受け取られかねない。
そもそも、日本のリーダーが自国の戦没者を祀ることに対し、なぜここまで慎重にならなければならないのか。日本のために戦った人々を悼み、敬意を示すことは、どの国であっても当然のことである。アメリカの指導者がアーリントンを訪れることに対して誰も疑問を持たないように、日本の首相が靖国を参拝することも、本来ならば議論の余地のないことではないか。
戦後の日本は、国際社会の中で経済的な発展を遂げてきたが、その過程で自国の歴史や伝統を軽視する傾向が見られるようになった。靖国参拝が「外交問題」として扱われるようになったのも、その流れの一環だろう。しかし、自国の歴史を尊重し、自国の英霊を弔うことが、なぜ問題視されなければならないのかという根本的な疑問が残る。
この問題について、過去の首相の対応を振り返ると、靖国参拝に積極的だった小泉元首相や安倍元首相に対し、慎重な態度を取った首相も多い。特に、安倍元首相が在任中に参拝した際には、中国や韓国からの反発があったが、それでも「国のために命を捧げた人々に敬意を払う」という姿勢を貫いたことは、多くの日本国民から支持された。
靖国参拝ができない理由として、外交問題を挙げることは簡単だ。しかし、それを理由にして避け続けることが、日本の誇りを損なうことにならないか。もし、日本の指導者が自国の戦没者を弔うことすらためらうようになれば、日本の国際的な立場はより不安定になるのではないか。
今回の石破首相のアーリントン訪問が、日米関係の強化という目的を持っていたことは理解できる。しかし、それならばなおさら、日本国内でも同じように靖国を訪れることで、バランスを取るべきではないだろうか。
ネット上では、「靖国にも行ってください」「なぜアーリントンは行くのに靖国には行かないのか」という声が多数上がっている。日本のために戦った人々に対する敬意を示すことは、日本の首相としての当然の責務であり、それを放棄する理由はないはずだ。
今後、石破首相が帰国後にどのような行動を取るのか注目される。靖国神社への参拝を行うのか、それとも避け続けるのか。その判断が、日本の政治姿勢を象徴するものとなるだろう。
執筆:編集部B