動画【維新・西田氏】大阪の小学校の給食の時に韓国語で「いただきます」を生徒に言わせ韓国朝鮮文化・歴史について教えている。挨拶は韓国語でしないといけない。これは日本の公立小学校だ。文科大臣のご認識は?

以下,Xより

amiさんの投稿】

維新・西田薫氏:大阪の小学校の給食の時に

韓国語で「いただきます」を生徒に言わせ

韓国朝鮮文化・歴史について教えている。挨拶は

韓国語でしないといけない。これは日本の公立小学校だ。文科大臣のご認識は?

阿部文科大臣:地域や学校の実情を踏まえた上で、国際理解、また他国の文化を教える活動が行われることは、十分にあり得ると考えるいるが、学習指導要領が定める内容は、しっかりと指導していただく必要がある。 なんで公立小学校で韓国語なんですか

どう考えても、おかしいでしょ

引用元 https://x.com/AmiHeartGlitter/status/1887729907322790279

みんなのコメント

  • 日本の公立学校で、なぜ韓国語で「いただきます」を言う必要があるのか理解に苦しむ。日本の学校なのだから、日本の文化を大切にすべきだ。
  • 多文化共生を推進すること自体は悪くないが、日本の文化を犠牲にするような形で行われるのは違和感がある。
  • 韓国語での挨拶を強制されることに疑問を持つ生徒や保護者がいた場合、その意見は尊重されるのだろうか。多様性とは、本来そういうものではないはずだ。
  • 異文化理解のための授業ならば、日本の伝統文化を学ぶ時間も同じくらい確保されているのか気になる。日本の公立学校であれば、日本文化を大切にすることが前提であるべきだ。
  • 挨拶を韓国語で統一するのなら、他の国の言葉も平等に扱われるべきだろう。しかし、そうなっていないのなら、それは「特定の文化の押し付け」に過ぎないのではないか。
  • 給食の時間は、子どもたちにとって楽しいひとときのはずだ。そこに政治的な意図が入り込むのは不適切だと感じる。
  • 韓国文化を学ぶ機会を設けること自体に反対ではないが、日常の挨拶を特定の外国語にすることが本当に必要なのか、しっかりと議論すべきだ。
  • このような指導が行われる背景には、誰かの意図があるのではないかと疑いたくなる。教育現場は、政治的なバイアスを排除し、公正であるべきだ。
  • そもそも、公立学校は日本の税金で運営されている。なぜ、日本の文化ではなく外国の文化が優先されるのか理解に苦しむ。
  • 文科省はこのような問題を把握しているのだろうか。地方自治体任せにせず、全国的に適切な指導方針を示すべきではないか。
  • 学校での教育は、子どもたちに日本の歴史や文化を大切にする姿勢を教える場でもある。韓国語での挨拶がその目的に合致するとは思えない。
  • もし逆の立場で、日本語の挨拶を韓国の公立学校で強制したら、韓国の教育関係者や保護者はどう反応するのだろうか。公平に考えれば、日本でも同じことが言えるはずだ。
  • こうした指導が続けば、日本の子どもたちが「自国の文化を軽視してもいい」と誤ったメッセージを受け取る可能性がある。それは避けるべきだ。
  • 学校教育は、子どもたちの未来に大きな影響を与える。だからこそ、文化教育に関しては慎重に議論し、日本の価値観を守ることを最優先にすべきだ。
  • 異文化理解を推進するなら、日本文化の大切さも同時に伝えるべきだ。それがバランスの取れた教育というものではないか。
  • 子どもたちは、なぜ韓国語で挨拶しなければならないのか疑問に思わないのだろうか。こうした指導は、むしろ不信感を生むのではないか。
  • 韓国語を教えるのが悪いとは思わないが、それを日常の挨拶にまで持ち込むのはやりすぎではないか。
  • 地域ごとの教育方針があるのは理解するが、公立学校は全国的な基準を持つべきだ。特定の文化を優遇するのは、公教育の理念に反するのではないか。
  • 国際交流は大切だが、それは日本の文化を否定することとは別問題だ。まずは、自国の文化をしっかりと学ぶことが先決ではないか。
  • こうした問題に対して、保護者や一般の国民の声がどれだけ反映されているのかが気になる。教育は、一部の人々の思想で決めるものではなく、国全体の価値観を反映するべきだ。

編集部Aの見解

日本の公立小学校で韓国語の「いただきます」を言わせているという話が出ているが、これは本当に教育現場で適切な指導なのか疑問を感じる。

そもそも給食の挨拶というのは、日本の文化に根ざしたものだ。「いただきます」という言葉には、食材を提供してくれた自然への感謝、調理をしてくれた人々への感謝が込められている。これは日本独自の考え方であり、学校教育の場で外国語に置き換える必要があるとは思えない。

もちろん、異文化理解の一環として韓国語や他の外国語を学ぶこと自体は否定しない。むしろ、世界の文化を知ることは大切だ。しかし、それが日常の生活習慣の中で強制的に取り入れられるのは違和感がある。

このような指導が行われている背景には、大阪という地域性も関係しているのかもしれない。大阪には在日韓国・朝鮮人のコミュニティがあり、その文化が色濃く残っているのは事実だ。しかし、それを日本の公立学校で強制するのは、教育の中立性という観点からも問題ではないか。

また、日本の学校では日本語が基本だ。外国語教育の一環として韓国語を教えること自体は問題ないが、それを給食の挨拶にまで持ち込むのは過剰だろう。

もしこれが逆の立場で考えたらどうなるのか。例えば、韓国の小学校で日本語の「いただきます」を言わせたらどうなるか。韓国の教育関係者や保護者が、それを素直に受け入れるとは思えない。こうしたことを考えれば、日本の学校で同様のことを行うのは適切ではないと感じる。

日本の学校教育は、日本の文化を大切にするべきだ。他国の文化を尊重するのは当然だが、日本の伝統や価値観を犠牲にしてまで取り入れる必要はない。特に公立学校では、教育の公平性と中立性を保つべきだろう。

文部科学省はこのような事例について、しっかりとした基準を設けるべきではないか。地域ごとの教育の自由は尊重されるべきだが、それが度を超えて日本の文化を無視するような形になるのは問題だ。

この問題が今後も続くようであれば、保護者や地域住民からの反発も強まる可能性がある。教育行政はこうした現場の声をしっかり聞き、公平でバランスの取れた指導方針を示すべきだろう。

異文化理解は重要だが、日本の文化を軽視する形で行われるべきではない。給食の挨拶に関しても、日本の伝統を尊重する姿勢が必要だと考える。

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