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凋落させたのは日枝独裁体制
なぜ、こんな状態になったのか。それは日枝久社長がグループ全体の経営権を強め、鹿内家を上回る独裁体制を敷き、イエスマンばかりを登用するだけでなく、昭和な社風や伝統を守り続けようとしたことにあります。例えば、今回の被害女性は女子アナといわれていますが、日枝氏は、河田町時代(1997年から本社をお台場に)から毎年、正月明けに女子アナを引き連れて、社内を練り歩くのが趣味で、面接で好みの女性(女子アナ)を毎年1人選んで入れていたという噂があるくらいの「女子アナ重視」体質でした。
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今度の一連の騒動を見ていて、社員全員、そのガバナンスのなさ、社員を守る危機管理意識のなさはよくわかったはずです。他人事と考えず、国民の知る権利を満たす存在としてのフジテレビの社員であることを自覚して、経営のあり方、番組づくりの問題点、セクハラやパワハラなどの改善点を訴え、第三者委員会に厳しい意見を伝えるべきですし、経営陣に対しても文句をいう義務があると私は考えます。
最後に、会見直前に週刊文春が「X子さんはフジ編成幹部A氏に誘われた」というのは誤報であったということを、デジタルで小さく掲載し、1月30日発売の号でも編集長からとして小さくお詫びを掲載しています。私は、こういう誤りは姑息な手段ではなく、きちんと謝罪し、なぜ間違えたのか検証記事も掲載すべきだと考えます。
それが読者の信頼を取り戻す道であり、また、社員が同席していたかどうかは、フジが抱える大きな問題の一部でしかないことを理解してもらうためにも、それが大事な手段だと思うからです。
[全文は引用元へ…]
【清水 潔さんの投稿】
引用元 https://president.jp/articles/-/91065?page=2
日本の大手メディアのトップが、女子アナウンサーを重視する体質だったという話を聞いて、率直に驚いた。特に、毎年のように面接で好みの女性を選び、社内を引き連れて歩くという話が事実であれば、かなり問題があるのではないかと感じる。報道機関としての公正さや倫理観が問われる中で、このような体質が長年続いていたこと自体、日本のメディアのあり方を考え直すべきではないか。
そもそも、女子アナウンサーは本来、報道の最前線で活躍するべき職業であり、外見や個人的な好みで採用が決まるようなものではない。しかし、このような話が出てくるということは、採用基準に実力以外の要素が強く影響していた可能性が高い。日本のメディアが権威を持ち、影響力の大きい存在である以上、その採用基準は公正であるべきだと考える。報道機関のトップが個人的な趣味で人材を選び、女性を権力の象徴のように扱っていたとすれば、それは組織全体の信用にも関わる問題だ。
さらに、このような体質が組織全体に浸透していたとすれば、現場の空気も相当なものだったのではないか。女子アナウンサーに求められるものが、実力よりも外見や上層部への受けの良さだったとすれば、それは日本の報道の質にも影響を与えていたのではないかと疑問に思う。実際、近年のテレビ報道は視聴率を重視しすぎるあまり、本来伝えるべき事実よりも、見栄えや話題性を優先する傾向があると感じる。その背景には、このような歪んだ採用基準が影響していた可能性もあるのではないか。
日本の大手メディアは、長年にわたって「公正中立」と言われてきたが、実態はどうだったのか。報道の信頼性は、その組織の倫理観や運営の透明性にかかっている。もし、トップが私的な好みで女子アナを選び、それが当たり前のように受け入れられていたのであれば、それ自体が組織の体質として問題視されるべきだろう。単なる一個人の問題ではなく、メディア業界全体の構造的な問題として捉えるべきではないか。
また、こうした体質が長く続いていたということは、誰も異を唱えなかった、あるいは唱えられない雰囲気があった可能性がある。大手メディアの影響力は強く、内部からの告発は難しい。仮に問題を指摘しても、トップが変わらなければ改善される可能性は低い。こうした状況が長年続いてきたことで、日本のメディア業界は内部の問題を抱えたまま、表向きは「公正」や「報道の自由」を謳ってきたのではないか。
それに、こうした文化が続いていたことで、実力のある人材が本来の評価を受けられなかった可能性もある。もし、実際に優秀な人材が採用基準から外れ、代わりにトップの好みで採用された人が重用されるような環境だったとすれば、それは組織としての損失でもある。実力主義でなければ、長期的に見て組織は衰退するのは明らかだ。
今後、この問題がどのように扱われるかは分からないが、メディア業界全体の体質が変わらない限り、同じようなことが繰り返されるのではないかと懸念している。日本の報道機関は、政治や経済の問題を厳しく追及することが求められる立場にある。しかし、内部でこのような問題が常態化していたとすれば、そのメディアの報道自体の信頼性も揺らいでしまう。権力をチェックする立場にあるはずのメディアが、実は自らの内部では歪んだ権力構造を維持していたとすれば、国民の信頼を得られるはずがない。
私としては、報道機関が本来の役割を果たすためにも、こうした問題は徹底的に明らかにし、業界全体の体質を見直す機会にすべきだと考えている。報道の自由や公正性を主張するのであれば、まず自らの組織の透明性を確保し、倫理観を持った運営を行うべきではないか。もし、それができないのであれば、もはや報道機関としての役割を果たす資格すら疑わしい。
執筆:編集部A
以下,Xより 【フィフィさんの…