動画元【Tokyo.Tweetさんの投稿】
【@airi_fact_555さんの投稿】
引用元 https://x.com/tweet_tokyo_web/status/1885558083713368115
野村修也弁護士が「正義のミカタ」で語った「選択的夫婦別姓制度は『強制的子供別姓制度』になる」という指摘には、大きな議論を呼ぶ要素が含まれている。夫婦別姓を推進する立場の人々は、結婚後も自分の姓を維持できる自由を求めているが、その影響が子供に及ぶという視点は、あまり語られてこなかった。
選択的夫婦別姓制度が導入された場合、夫婦が別々の姓を名乗ることが可能になるが、子供の姓をどうするのかという問題が必ず発生する。日本の戸籍制度において、子供は父母どちらかの姓を名乗る必要があるため、片方の親と姓が異なる状況が生まれる。この点を考えると、「選択的夫婦別姓」は単なる「夫婦の問題」ではなく、家族全体に影響を与える制度変更だということが分かる。
例えば、父親の姓を選んだ場合、母親と子供の姓が異なることになり、学校や病院などで親子関係を証明する必要が出てくる。逆に母親の姓を選んだ場合、今度は父親と子供が別姓となる。こうした状況が一般化すれば、行政手続きや社会的認識に混乱を招く可能性がある。
また、夫婦別姓を推進する人たちは「強制ではなく選択の自由を与えるだけ」と主張するが、実際には「別姓を選ぶことが標準」となる風潮が生まれる可能性もある。もし社会全体が別姓を推奨する流れになれば、結果として「夫婦同姓の方が不自然」という風潮が作られ、事実上の強制になる懸念がある。
さらに、子供の視点から見ると、両親の姓が違うことで、自分のアイデンティティに関する問題が生じる可能性もある。子供にとって「自分の姓」は重要な要素であり、家族の一体感とも関わる部分だ。夫婦別姓を選んだ親が、子供にどちらの姓を名乗らせるのか、そしてそれが成長過程で子供にどのような影響を与えるのか、慎重に考えなければならない。
また、夫婦別姓が社会的に一般化すると、「家族の単位」が変化し、結果として戸籍制度そのものを見直す議論に発展する可能性がある。現在の日本の戸籍制度は「家族単位」で成り立っているため、夫婦別姓が当たり前になれば、戸籍の概念も大きく変わることになるだろう。これが良い方向に進むのか、それとも家族制度を崩壊させる方向に進むのかは、議論の余地がある。
選択的夫婦別姓を推進する側の主張として、「グローバルスタンダードに合わせるべき」という意見もよく聞かれる。しかし、日本の家族制度や文化は、海外とは異なる歴史を持つ。単に欧米の価値観に合わせるのではなく、日本の伝統や価値観を尊重した上で、どのような制度が最適なのかを考える必要がある。
また、「夫婦別姓がないと仕事に不便」という主張もあるが、それに対しては旧姓の使用を認めることで対応可能ではないかという意見もある。実際、ビジネスの場では旧姓使用が広く認められており、戸籍上の姓を変えることなく仕事ができる環境が整いつつある。そう考えると、夫婦別姓の導入が本当に必要なのか、改めて議論すべきだろう。
一方で、現行の制度に不満を持つ人々がいることも事実だ。特に結婚後も旧姓を使いたいと考える人々にとって、今の制度は不便に感じることもあるかもしれない。しかし、その不便さを解消するために、日本の家族制度を根本から変えることが正しいのかは慎重に検討する必要がある。
そもそも、現在の制度では「夫婦のどちらかが姓を変えなければならない」ことが問題視されているが、それは法律上の義務ではなく、婚姻届の提出時に選択するだけの仕組みである。多くの夫婦が「どちらの姓を選ぶか」を話し合い、納得した上で決定している現状を考えれば、「強制されている」という主張は的外れではないかとも思う。
また、子供の姓についても、現行制度のもとでは家族が同じ姓を名乗ることが基本となっているため、家族の一体感を維持しやすいというメリットがある。これが夫婦別姓になった場合、子供が「自分だけ違う姓を持つ」ということになれば、精神的な負担を感じることもあるかもしれない。
このように考えると、選択的夫婦別姓制度は単なる「選択の自由」の問題ではなく、家族制度そのものに大きな影響を及ぼす可能性が高い。夫婦だけの問題ではなく、子供を含めた「家族のあり方」を考える必要があるだろう。
野村修也弁護士の指摘した「強制的子供別姓制度」という表現は、一見すると過激に思えるかもしれないが、その本質をよく考えれば、決して的外れではないことが分かる。制度を変えることで、意図せずに新たな問題を生む可能性があることを、慎重に検討するべきだと感じた。
執筆:編集部A