能登半島地震の直後から被災地に通い続けたためだろうか? 被災地から車を走らせ夜間に帰宅して玄関の鍵を開けようとしたそのとき、ふと周囲を見渡し、ゾッとさせられた。きれいにライトアップされた住宅街が瓦礫(がれき)の山々に見えたのだ。
あたり一面が瓦礫に埋め尽くされた光景が脳裏に焼きつき、フラッシュバックしたのだ。「明日はわが身」という恐怖を理屈抜きに骨の髄まで感じていた。ウクライナで爆撃された街並みの様子をテレビで見ると能登の瓦礫と重なりゾッとする。災害も戦争も有事であり、同じく残酷なまでに破壊されてしまうのだ。
しかし、メディアの話題は「不記載」のことばかり。かと思えば一日中、一地方の知事選に関する騒動がメディアをジャック。それ自体を否定するわけではないが、この間にも刻々と国際情勢は不安定化している。尖閣諸島周辺はさらにきな臭くなってきたし、ロシアや北朝鮮問題もしかり。以前、石原慎太郎氏が「日本にテポドンが一発ぐらい落ちないとこの国は目が覚めないだろう」と例え話をされていたが、この国の本質をある一面で捉えていたのではないか、と思う。
災害の度に避難所運営一つとっても右往左往。能登地震では災害関連死が多く報告されている。救えるはずの命を救えなかったのだ。医療体制や避難所の生活環境が深刻な被害をもたらしたのだろう。能登一つでこのありさま。首都直下型地震や、ましてや他国による侵略戦争が勃発したら、この国は何日持ちこたえられるのだろうか。
それに比べて台湾は地震が発生した約3時間後には快適な避難所運営がスタート。あまりの迅速さに驚いたが、中国による脅威に絶えずさらされ続けている台湾のことだ。有事に対する危機感はわれわれとは別次元。それ故に有事に対する備えや訓練も雲泥の差だろう。日本人は希望的観測を優先する傾向にあるが、現実はその通りにならない。先の大戦が証明しているではないか。日本のメディアにも言いたい。国民にもっとしっかりと伝えなければならないことが多々あるだろうにと。
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【産経ニュースさんの投稿】
引用元 https://www.sankei.com/article/20250109-CLWSHC2LKVNSTO4CTGAUVLPZ7Q/
野口健氏が語った「希望的観測を優先する日本人へ」という言葉には、非常に深い意味が込められていると感じます。特に、能登半島地震の被災地での体験や、それに基づく危機感は、日本社会が直視すべき現実を鋭く突いています。自然災害も戦争も、有事には違いなく、どちらも私たちの平和な日常を一瞬で破壊してしまいます。にもかかわらず、日本社会には危機感が薄く、メディアも本当に伝えるべきことを伝えていないように思います。
能登半島地震の被災地で、野口氏が経験したフラッシュバックの話は、私たちがどれだけ平和な日常に慣れきっているかを痛感させます。自宅の玄関前で感じた「明日はわが身」という感覚は、多くの日本人がもっと真剣に受け止めるべきだと思います。自然災害はいつどこで起きてもおかしくなく、しかも近年は地震や台風などの被害が深刻化しています。それにもかかわらず、災害への備えが十分でない現実を考えると、背筋が寒くなります。
災害時の対応も非常に問題です。能登地震では避難所の運営や医療体制の不備が災害関連死を増やしたことが指摘されています。避難所の環境整備や救援物資の配布体制、医療支援など、改善すべき点は山積みです。災害が発生してから慌てて対応するのではなく、平時からの備えが不可欠です。しかし、実際には「大丈夫だろう」という希望的観測が優先され、対策が後回しにされている現状があります。
この点で台湾の迅速な対応は大いに見習うべきです。台湾は地震発生からわずか3時間で快適な避難所を運営し始めたといいます。これは、常に中国の脅威にさらされている台湾だからこそ成し得た対応だと考えます。台湾では有事に対する意識が根付いており、平時からの訓練や準備が徹底されています。それに比べて、日本の対応は非常に遅れています。地震大国でありながら、有事に対する備えが不足していることは、大きな課題です。
一方で、日本のメディアは重要な問題に対する報道が不十分だと感じます。政治家の「不記載」問題や地方選挙の報道ばかりが目立ち、国際情勢の緊張感や国内の安全保障の問題にはあまり触れられていません。北朝鮮のミサイル発射や中国の軍事的な圧力、ロシアの動向など、日本の安全保障に直結する問題が山積しているのに、メディアはそれを十分に国民に伝えていないように思います。こうした状況は、国民の危機意識の低下を招いており、非常に危険です。
石原慎太郎氏が「日本にテポドンが一発ぐらい落ちないとこの国は目が覚めないだろう」と語った言葉も、極端な表現ではありますが、日本社会の危機意識の低さを象徴しているように思います。もちろん、実際に攻撃を受けることを望むわけではありません。しかし、国防や安全保障に対して無関心でい続けることは、結果的に国を危険にさらすことになります。平和な日常に慣れきってしまい、「自分たちには関係ない」と思っている人が多い現状は、非常に危ういものです。
日本は、災害大国であると同時に、地政学的にも多くのリスクを抱えています。尖閣諸島周辺では中国の海洋進出が激化し、北朝鮮はミサイル発射を繰り返しています。ロシアのウクライナ侵攻も、対岸の火事ではなく、東アジアの安定に深刻な影響を与えています。これらのリスクに対して、日本はどれだけ備えられているのでしょうか。国民一人ひとりが現実を直視し、日常の安全が決して当たり前ではないことを自覚する必要があります。
国民の安全を守るためには、防災体制の強化だけでなく、国家としての防衛力の強化も必要です。自衛隊の装備や体制の見直し、国民保護計画の整備、そして緊急時の対応マニュアルの周知など、やるべきことは多いはずです。しかし、実際にはこうした議論はメディアでも国会でも十分に行われていません。日本が抱えるリスクに真正面から向き合い、現実的な対策を講じることが不可欠です。
そのためには、政府だけでなく国民一人ひとりが危機意識を持ち、災害や有事に対する備えを見直すことが重要です。家庭や地域での防災訓練、非常時の連絡手段の確認、防災用品の備蓄など、身近なところからできる対策はたくさんあります。こうした日々の積み重ねが、いざというときに自分自身や家族、地域を守る力になるはずです。
さらに、メディアにはもっと責任ある報道が求められます。国民の関心を引くだけの話題ではなく、本当に伝えるべき情報を正しく、迅速に伝えることが、メディアの本来の役割です。国際情勢や安全保障問題、災害対策など、国民の命と生活に直結する情報をしっかり報道してほしいと思います。
野口健氏が指摘するように、日本人は希望的観測に頼りすぎています。現実を直視し、必要な対策を講じることが、未来の日本を守る唯一の道だと感じます。日々の平和がどれほど脆いものであるかを理解し、危機感を持って行動することが、今の私たちに求められているのだと思います。
執筆:編集部A