あるインド人が社長である日本の製菓会社で株価が急に下がったという。それは、その社長が「日本は移民をもっと増やすべきである」と言ったことに端を発したらしい。
しかし、よく調べてみると、その経営者はそんなことはまったく言っていないというのだ。たんなるいやがらせにしては、毒のある表現である。その真意はわからない。
「移民」と「外国人」への嫌悪感
最近SNSからいわゆる“炎上”が起こり、大きな影響を及ぼすことが多い。問題はそうしたSNSの批判が、時に根も葉もない言いがかりであることである。
しかし、それによって世間の批判は一気に高まり、時には大きなスキャンダルとなり対象となった人が社会から葬り去られる。企業の場合は、経営破綻にまでつながる可能性がある。
今では誰もが、言論の自由という衣を着て偽情報を流すことで世間を欺き、世論操作できる。こうしたスキャンダルの伝達は、かつては新聞や放送局などの大きなメデイアの専売特許であったが、今では誰でも世論を操作することができる時代になった。
今回の場合、流された偽情報もさることながら、それに過激に反応した人々の方が気になった。それは「移民」と「外国人」という言葉が、この製菓会社が嫌悪された理由であったことだ。不買運動まで呼びかけられたという。
経営者が外国人であることは、世界中どこでもおかしなことではない。また移民を受け入れることは日本政府も検討していることである。世界的に人口減に苦しむ国では当たり前のことである。
移民と外国人に対して過剰反応と思えるほどの嫌悪を示すことが、最近とみに増えてきているような気がする。日本経済の停滞と日本企業の競争力の低下が、極度の劣等感を生み出し、そのはけ口として外国人と移民が批判の対象になっているのだ。
しかもその外国人と移民が指すところは西欧人ではなく、近隣のアジア人のような非西欧人であることが、もっと気になることだ。そこには、人種差別的な響きが感じられるからだ。
[全文は引用元へ…]
【保守速報さんの投稿】
引用元 https://toyokeizai.net/articles/-/850647
「外国人」や「移民」といった言葉に対して、日本人が過剰な嫌悪感を抱いているという指摘には、一部理解できる部分があると感じます。しかし、その背景には日本の歴史や文化、社会構造が深く関わっていることを考慮する必要があります。日本は長い間、単一民族国家としての意識が強く、島国という地理的条件も相まって、外部の文化や人々に対して慎重な姿勢を取ってきました。これは、決して単純な排他主義ではなく、慎重に物事を進めようとする国民性や、安定を重んじる価値観が影響しているのではないでしょうか。
近年、少子高齢化や労働力不足が深刻化し、外国人労働者や移民の受け入れが議論されるようになってきました。しかし、その一方で、急激な変化に対する不安や懸念も強く存在します。これは当然のことであり、どの国でも急速な社会構造の変化には一定の抵抗感が生まれるものです。特に、日本は治安が良く、社会の秩序が維持されているため、その安定が崩れることへの警戒心が強いのだと思います。
記事で取り上げられた、インド人経営者が率いる製菓会社に対する批判や不買運動は、根も葉もないデマに基づいていたとのことですが、これはSNS時代ならではの問題です。SNSは情報発信の自由度が高いため、真偽不明な情報が瞬時に拡散され、多くの人々が感情的に反応してしまう傾向があります。言論の自由は重要ですが、匿名性の高さが無責任な発言やデマの拡散を助長しているのも事実です。このような状況下では、企業や個人が一方的に批判の的になり、大きな損害を受けるリスクが増しています。
しかし、私が気になるのは、日本人が外国人や移民に対して全体的に嫌悪感を持っているわけではないという点です。観光客や留学生、ビジネスで来日している外国人に対して、日本人は非常に親切で丁寧に接している印象があります。問題は、移民政策や外国人労働者の受け入れに関する制度や仕組みが十分に整備されていないことにあるのではないでしょうか。制度の不備や情報不足が、不安や誤解を生み出しているように思います。
また、外国人や移民に対する反発が、西欧人ではなく近隣のアジア人に向けられる傾向があるという指摘についても考えさせられます。これは、日本社会における無意識の序列意識や歴史的な背景が影響している可能性があります。かつての歴史的な関係や経済的な格差が、こうした無意識の偏見を生んでいるのかもしれません。しかし、それを単純に「人種差別」と片付けるのではなく、その背景にある社会的・歴史的要因を冷静に分析し、改善に向けた議論を深めることが必要だと思います。
移民政策に関しては、受け入れた結果としてどのようなメリット・デメリットがあるのかをしっかりと検証することが重要です。労働力不足の解消や経済活性化といったプラス面がある一方で、治安の悪化や文化摩擦といったリスクも無視できません。移民受け入れを進めるにあたっては、こうしたリスクをどう最小限に抑え、共生社会を築くかが問われます。単なる感情論ではなく、冷静で現実的な議論が必要です。
また、日本はこれまで外国人労働者を「労働力」として受け入れる政策が中心でしたが、これでは根本的な共生社会の構築は難しいと思います。外国人労働者も一人の人間であり、生活者です。労働環境や住環境、教育・医療といった社会インフラの整備がなければ、トラブルや摩擦は避けられません。単に「移民は嫌だ」と拒絶するのではなく、受け入れるならどうすればお互いにとって良い社会を作れるのかを真剣に考えるべきです。
政府やメディアの役割も非常に重要です。外国人や移民に関する正確な情報を分かりやすく発信し、誤解や偏見をなくす努力が必要です。また、SNSのデマ拡散対策として、情報リテラシー教育やデマ対策の強化も求められます。国民一人ひとりが正しい情報を基に冷静に判断できる社会を目指すべきです。
最後に、移民や外国人を受け入れるか否かという議論は、感情的なものではなく、冷静で理性的な議論が求められます。経済的な利益や社会の安定、文化的な共生など、あらゆる視点から総合的に考え、最善の道を選択することが重要です。日本がこれからも安定した社会であり続けるために、感情論ではなく、理性的で建設的な議論を重ねていくべきだと思います。
執筆:編集部A
以下X(旧Twitter)より…