在日クルド人の公共施設の利用マナーは大変悪い。在日クルド人の幼児が、埼玉県内の公園で、放尿や脱糞と見られる異様な行動をし、母親が「ニホンゴワカラナイ」と言って、注意をしない。こんな状況を私の著書「埼玉クルド人問題―メディアが報道しない多文化共生、移民推進の真実」(ハート出版、24年12月18日発売、予約受付中)で、明らかにしている。
この第一章では、埼玉県民の子供を持つ、30代の母親の証言を取り上げた。
「クルド人は20歳前後の若い母親が多いです。子沢山です。私が子供と行く〇〇公園では、クルド人の小さい子供たちが砂場を独占したり、日本人の子供のおもちゃを奪ったり、公園内で放尿や脱糞をするので困っています。日本人の母親がクルド人の若い母親に抗議をすると「ニホンゴワカラナイ」と言って無視します。彼女たちは、自分の子供をかわいがるのですが、躾(しつけ)をしていないのです。そして子供も大人もごみをポイ捨てします。
この公園では、クルド人のボランティアが、清掃活動をしたことがあります。変だなと思ったのが、その掃除の翌日にクルド人の母子たちがごみを散らかしていたのです。日本人だったら、そうしたことを気遣いますよね。クルド人同士で連絡が取れていないのか、他人の良い行動に関心がないのか。困った人たちです。政府は川口市の私たちにクルド人を押し付けるのではなく、入国を止めてほしいです」
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【石井孝明さんの投稿】
引用元 https://protectjapan.jp/4556
私は「埼玉クルド人問題」という書籍で取り上げられた在日クルド人の話題について、非常に考えさせられました。この本の中で語られているエピソードは、埼玉県内の公園におけるクルド人の子供たちの行動と、それに対する親の対応の問題です。特に印象的だったのは、子供が公園内で放尿や脱糞をしても親が注意をせず、「ニホンゴワカラナイ」という言葉でその場をやり過ごすという行動です。
公共の場である公園は、誰もが気持ちよく利用できる環境であるべきです。それが崩れると、利用者全体に悪影響が及びます。私も、他の人がマナーを守らない状況を目にすると、とても不快に感じることがあります。さらに、他の利用者が注意をしても無視されるという状況では、問題が解決する見込みはありません。親が子供の行動に責任を持つことは基本的なことですから、こうした対応には違和感を覚えます。
証言者の30代の母親が述べている「砂場の独占」や「おもちゃの奪い合い」といった行動についても、他の子供たちへの配慮が欠けているように感じました。公園は共有の場であり、全ての子供たちが平等に遊ぶ権利を持っています。しかし、このような状況が続くと、日本人の親たちが公園を避けるようになる可能性も考えられます。それでは地域社会の調和が損なわれてしまうのではないでしょうか。
また、書籍の中では、クルド人のボランティアが清掃活動を行った翌日に、同じクルド人母子がごみを散らかしていたというエピソードが紹介されています。この話を聞いて、私は非常に複雑な気持ちになりました。一方では、地域に貢献しようとする善意の行動が見られる一方で、それがすぐに無に帰してしまうような行動が取られているのです。このような矛盾した状況は、クルド人の内部でのコミュニケーション不足や文化的背景が影響しているのかもしれません。
さらに、証言者が「政府はクルド人を押し付けるのではなく、入国を止めてほしい」と述べている点についても考えさせられます。移民問題は、日本にとっても大きな課題の一つであり、多文化共生のあり方について議論が求められています。しかし、現実問題として、地域住民の負担や不安が軽視されているように感じることも事実です。特に、移民の生活習慣や価値観が大きく異なる場合には、地域社会での摩擦が生じるのは避けられないでしょう。
多文化共生という理想は確かに素晴らしいものですが、それを実現するには現場での努力が欠かせません。特に、公共の場でのルールやマナーについては、双方が歩み寄り、互いに理解し合うことが重要です。言葉の壁や文化の違いを理由に問題行動を放置するのではなく、地域社会全体での教育や啓発活動が必要だと感じます。
日本では、「他人に迷惑をかけない」という価値観が根付いています。このような価値観を移民の方々にも共有してもらうことが、共生の第一歩だと思います。それができなければ、地域住民の不満が高まり、結果的に多文化共生が失敗に終わる可能性もあります。
一方で、移民に対して過度な期待や要求をすることも公平ではありません。彼らが異なる文化的背景を持っていることを理解し、彼らが日本社会に溶け込むための支援を行うことも必要です。そのためには、政府や自治体が積極的にサポートを提供し、双方が納得できる形での解決策を模索すべきです。
この書籍で取り上げられている問題は、日本社会全体にとって重要なテーマだと感じました。移民政策や多文化共生のあり方について考える材料として、多くの人に読まれるべきだと思います。同時に、こうしたテーマは非常に繊細であるため、冷静かつ客観的な視点で議論を進めることが求められます。
執筆:編集部A