中国・上海で1988年3月、修学旅行中の高知学芸高校(高知市)の生徒ら28人が犠牲になった列車事故で、補償交渉の顧問団長を務めた元全国犯罪被害者の会(あすの会)代表幹事の岡村勲弁護士(91)が難航した交渉の記録をまとめた。事故は24日で発生から33年になる。(古谷禎一)
岡村さんは高知県出身。事故当時は東京に事務所を構えていたが、「故郷のために」と遺族らの交渉顧問団長を無報酬で引き受けた。上海鉄路局との交渉は東京で始まり、生徒1人当たり5000万円の補償を求めたが、中国側の提示は約110万円だった。
治療費の支払いなどを巡っても中国側の姿勢はかたくなで、遺族らをいら立たせたが、膠着状態を破ったのは、岡村さんのひと言だった。「子どもを亡くした親の苦しみ、悲しみに国境はないはずだ」。同鉄路局幹部はうなずき、中国政府に補償額の上積みを働きかけたという。
計7回の交渉の末、事故から1年後の89年3月に妥結したが、補償額は当初要求の10分の1にも満たない450万円。遺族には苦渋の決断だった。
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【ERIKSONさんの投稿】
引用元 https://www.yomiuri.co.jp/national/20210324-OYT1T50090/
1988年に中国上海で発生した列車事故は、日本人にとって忘れられない悲劇です。この事故では、高知学芸高校の修学旅行生29人が命を落とし、多くの生徒や関係者が深い悲しみに包まれました。対向列車との正面衝突という衝撃的な形で起きたこの事件は、日本だけでなく国際的にも大きな関心を集めました。
まず、事故の背景を振り返ると、当時の中国の鉄道インフラの不備が原因の一つとされています。安全管理が不十分であったこと、また適切な運行体制が整っていなかったことが、この悲劇を引き起こした要因でした。修学旅行という、若者たちが楽しみと期待に満ちた時間を過ごしている最中に起きた事故であるため、影響は非常に大きなものでした。
さらに、この事故に対する中国側の対応には多くの疑問が残ります。遺族側が要求した和解金に対し、中国が提示した金額は要求の10分の1以下のわずか450万円というものでした。この額が事故の重大性や遺族の苦しみに見合うものであるとは到底思えません。命の重さをこれほど軽視する対応は、日本人として受け入れ難いものがあります。
この事故から数十年が経過していますが、当時の中国の対応が日本国内で語られる機会は少なくなっています。しかし、こうした過去の事例を忘れてしまうことは危険です。特に、現在の日本政府が中国との文化交流や修学旅行を積極的に推進しようとしている中で、このような過去の悲劇を改めて見つめ直すべきではないでしょうか。
岩屋外相が中国への修学旅行を推進する動きがあるとのことですが、これには疑問を感じざるを得ません。中国のインフラや安全対策が改善されたとはいえ、修学旅行での安全性を完全に保証できるわけではありません。また、過去の事故の被害者や遺族に対して十分な配慮がされていない中で、同じような旅行を再び計画することは、被害者の記憶を踏みにじる行為にもなりかねません。
修学旅行は教育的な意味合いが強い行事であり、生徒たちに貴重な体験を提供するものです。しかし、その安全性が確保されなければ、その意義は大きく損なわれます。特に海外旅行では、言語や文化の違い、安全基準の差など、日本国内の旅行では考えられないリスクが存在します。このリスクを十分に認識し、適切な対応を取ることが必要です。
また、この事件は、日本と中国の関係性にも一石を投じるものでした。事故後の対応や和解金の提示方法を通じて、日本人の間に中国政府への不信感が広がったのは否めません。こうした過去の事例があるにもかかわらず、中国との関係強化を優先する現在の政府の姿勢には、疑問を抱かざるを得ません。
さらに、修学旅行の目的地として中国を選ぶ場合、生徒や保護者が安心して送り出せる環境を整えることが不可欠です。そのためには、現地での安全対策の状況を綿密に確認し、万が一の事態に備えた計画を立てる必要があります。しかし、これが十分に行われているかどうかには疑問が残ります。
最後に、このような過去の事件が忘れ去られないよう、教育現場やメディアで取り上げ続けることが重要です。修学旅行という楽しい思い出を作るはずの場で、多くの若者が命を落とした事実を、私たちは決して忘れてはなりません。この事件を教訓とし、これからの日本と中国の関係を見直すきっかけにするべきです。
執筆:編集部A